遅牛早牛

時事雑考 「2020年、秋の政局の始まり」

◇ 新型コロナウイルスに襲われた2020年は試練の年となったが、長かった安倍政治がようやく終焉し、残された4か月、新たなドラマが始まろうとしている。前回、感染症の収束、米大統領選、野党合流再編の3点を待つ停滞の政局と述べた。ついでに辞任待ちもつけ加えたがこれは「愛嬌」のつもりで、もともと状況転換を図る一手段として俎上にあったのであるが、実際に起こってみれば何ともいいようがなく実に気の毒なことである。

 さて、当面の話題は「次は誰なのか」、「その選定プロセスの含意」、「内閣と党の陣立て」に絞られるであろう。この3点を見れば、秋からの政局の半分は見えてくる。その中でも最大の関心事は、解散総選挙の時期と有無であろう。やるべきではないといっても、はやる気持ちを抑えられない議員も多いと思われる。今なら不都合なことはすべて安倍さんのせいにできる、つまりシャッフル効果が期待できると考えているのだろうが、そんなふうに都合よくことが運ぶのだろうか、自民党の支持率が高いからといって党利に走っていいのだろうか、など疑問は尽きない。

 とくに、感染症への対応や景気対策など人びとの生活を思えば、政治空白を作らないといった掛け声を大切にすべきで、新しい総理大臣の信を問うなら予算案を作ってからにしろといいたい。

 政治の最高責任者が病をもって辞するのはよっぽどのことである。つまり、緊急事態なのである。緊急事態にはそれなりの対処があり、この場面は、路線を円滑に継承することが一番であろう。そういった原理原則に徹することが政治への信頼を支えていくものと思うが、小泉政治以来の風潮なのか詭道に流れすぎているように思える。(党員投票を省くほど急いでおきながら解散総選挙で一月間の空白を作ることの論理矛盾と桁外れの自分勝手さが今の与党を支えているのであろう。そろそろ、言葉と行動を一致させてほしいものだ。)

◇ 立憲民主党と国民民主党が合流し15日にも新党が発足する。結果につながることを期待したい。この新党が立憲民主党色の強いものになると思われることから、合流できない国民民主党の人のための新党もできるようである。それはそれで当然のことといえる。なぜなら昨年の12月から今年のはじめにかけて精力的に進められた合流協議が不調に終わったのも、早い話が完全合体は無理であるという現実が厳に横たわっていたからで、妥協できないのであるなら、残る人のために舟を用意するのはあたり前のことであろう。

 見方を変えれば、いわゆる比例復活組を移籍するにはこの方法しかないということであろう。国民民主党の支持率は1%程度であるから、選挙に強くない議員にとって、いわゆる比例復活の確率を高めるためには大きくまとまる以外に方法はないと思い詰めるのは仕方のないことで、その不安感に対しある意味適確な処置であったと思うが、究極の議席ファーストに支援者の思いは複雑である。

 

◇ 虜囚のごとく落日に部隊をはなれる議員にどんな夜明けが待ちうけているのか。今は誰にもわからない。しかし、2017年10月の総選挙では「希望の党」で議席を得、2018年5月には「国民民主党」に新設合流し今日にいたっているが、この際改革中道路線をどう考えているのか聞いてみたいものである。

 今回の合流にあたり支援組織である民間労組に慎重論が見られるのは、改革中道という旗を掲げたのは「あなたたち」ではなかったのか、そして、その旗印をもって党員・サポーターを勧誘したのではないか、と思っているからであろう。

 ところで、8月11日の国民民主党の役員会では合流提案にたいし賛成少数であったと漏れ聞いている。それを諸般の事情と移籍を可能にする寛容な思いやりなのか、結論は「分党」になった。これ以上の詳しい事情はわからないし、知る必要もないが、支援できる中道政党が必要と思っている有権者も少なくないことから、中道路線を継承する政党は必ず必要であり、そういった有権者のニーズに基づく政党のありようを真剣に考えてもらわないと、持続可能な政党とはいえないのではないか。

 もちろん、議員が自らの再選を第一に考えることは理解できるが、それだけでは尊敬できないし、決して納得できるものではない。民間労組が共感しえない最大の理由がここにあることを肝に銘じてほしい。とはいっても、支援は総合的に考えられるので、政党、議員として誠実に対応するのが大切なことには変わりない。

◇ 反安倍を軸に結集することの危うさを都度指摘してきたつもりであったが、それが現実のものとなった。アンチテーゼはテーゼが消えた瞬間、雲散霧消と化す。反〇〇闘争は〇〇に従属している。野党はこの罠から開放されなければならない。それを独立という。

 立憲民主党あるいはその新党はどうするのだろうか。批判政党がときどき嵌るエアーポケット。一日も早く抜けだしてほしいものである。

 さらに、憲法改正の機運は下火になると思われることから、用語としての立憲の位置づけが変わってくるのではないか、と思う。そもそも、集団的自衛権の行使を憲法解釈上可能にしたときから、安倍内閣には関係する憲法改正の動機が消失したと筆者は考えているので、以降の憲法改正は本気ではないと受け止めている。本来改憲すべきものを解釈でねじ曲げたのだから、改憲は要らないでしょうということである。そこで、かかる解釈を元に戻したとすれば、では憲法を変えるのか現実を変えるのか、政権を担当したときには大いに悩むことになるが、どうするのか、と心配である。

 また、米中対立の展開によっては、安全保障上の大幅な変更が必要になるわけで、単純な現状維持策では乗りきれない事態もありうるのではないか。このあたりは相当な柔軟性と可撓性を備えておくべきで、時代あるいは状況において、用語としての立憲の読み方が変わってくる予感がしてならない。政権を臨むといわれるから、おせっかいとは思うが指摘しておきたい。

◇ さて、解散総選挙であるが、最有力のシナリオは菅総理10月解散総選挙であろう。あくまでシナリオである。まあ、だれにも止められなくなるのが解散風だといわれているが、これだけは是非に及ばないので、受け止めるしかない。

 そこで重要なことは、どのシナリオを選択しても与党優位に揺るぎがないことである。とくに安倍首相に由来したトラブルは過去のものとなることから、この機に解散総選挙を煽る手合がいることは間違いない。しかし、常に有利であるなら別にリスクを取る必要もないわけで、一寸先は闇のこの世界で、万が一議席を減らし来年9月の総裁選に波乱を持ち込むこともなかろうという考えもあり、くわえて、現実主義者が冒険主義に走るはずがないという声もある。  

 そうはいっても人生、悪魔のささやきを聞き間違えて喜劇になり、最後は悲劇になるというから油断できない。

◇ 最高権力者の出所進退にお株を奪われた野党政局であるが、民主政治において野党の役割が重要であることは論をまたない。真剣な取り組みに頭が下がる思いである。ただ一点、協議というより調略の匂いがしなくもない、というのも一面の真実であろう。また、支援団体のトップの熱量が半端ないレベルで、界隈では話題となっているらしい。

 「政治と労働の接点」を生涯のテーマとしている筆者にとって常に頭から離れないのは「双方の節度で成り立つ政治と労働の相互関係」の実践での難しさである。どんなに思い入れがあったとしても、ファールラインを踏んではいけない。まして跨ぎながら突進したのでは話にならない。後難を憂える日々である。

◇ 8月をもって電機連合政治アドバイザーを辞した。果たして役に立っているのだろうかと思いながらの4年間であったが、厚情に深く深く感謝している。参議院議員を退任してから、個人的には「民進党」までが限界で、その後は当惑の連続であった。思えば2012年末に政権を失ってから8年、立て直しどころか状況はさらに混迷を深めているように思える。覆水盆に返らず。政権を目指すのに安易な途はないのだから、政党は足元を直視し、一歩一歩進んでいかなければならない。職場の変化に追いついていないとも思う。

◇ 蚊は見えず熱中しのぐ安普請 

 

 

加藤敏幸