遅牛早牛

時事雑考 「二大政党制は幻影か?立憲民主党に贈る花束」

◇ 立憲民主党が合流の結果150名の規模となったことから、名実ともに野党第一党の趣を持ちはじめた。また、首班指名では日本共産党の協力を得るなど野党共闘の目鼻立ちを整えたといえる。

 画期である。世間の期待感はともかく新たな船出にあたり花を添えたいと思うが、どのような花を用意すれば喜んでもらえるのか、心もとない。

◇ まずは「脱労組」を贈りたい。「脱労組」あるいは「脱労組依存」は民主党時代はもちろん、古くから野党勢力において何かと悶着を起こしてきた因縁深い言葉である。とくに、2005年秋、小泉郵政選挙において敗北を喫した岡田民主党代表の後を継いだ前原新代表の発言が有名であろう。有名といえばいささか不穏当の感があるが、当時民主党労働局長であった筆者にとっては忘れがたい出来事であった。

 「脱労組」の意味は「脱労組依存」、つまり「反労組」でないからいいではないか、また、政権をめざす政党にとってはあたりまえのことだと思っていた。それが炎上したのである。とくに連合地方組織の反発が激しかった。当時、新任の古賀伸明連合事務局長の要請もあり、なんとか収拾にいたったものの、2006年2月16日「偽メール」事件が起こった。この日は連合中央執行委員会であり、連合加盟組織と地方連合など関係者が多数集まることから、合同(党労)懇談会を開催し、党として労組との修復を完結する予定であったが、新たな問題発生で事態はふりだしへ戻ってしまった。

 思いのほか「偽メール」事件のダメージは大きく、春先に前原氏は代表辞任を余儀なくされた。後任の小沢氏は前原執行部をほとんど居抜きで継承し、懸案の対労組姿勢を脱どころか依存を飛び越えて、政治的籠絡へと方向転換した。 

 これが2007年の参議院選挙「逆転の夏」へ繋がっていくのであるが、とくに世代交代を果たした前原執行部のメンバーがその後飛躍する契機ともなったのだがここらあたりの論考は別の機会に譲りたい。

◇ さて、今回の合流劇は「脱労組」を実現するための一里塚であり、多くの関係者は意識していないと思われるが、連合首脳陣を触媒として結果的に労組支援を間接遮断した快挙として政治史に刻まれるであろう。

 嫌味ではない。皮肉でもない。国民政党を目指すならとうの昔に脱労組を断行すべきであった、と思う。当面苦労すると思うが、すでに、連合加盟産別の多くの職場は「脱労組」の対語である「脱政党」に移行しているのであるから早いか遅いかの問題であって、いずれ決着を図るべきものであるのだから英断であるといってもいいのではないか。ただ、今回の脱民間労組ともいえる純化路線は合流新党の今後の進路に大きな影響を与えると思われるが、その吉凶の顕れは不明というしかない。

 ここで、「脱労組」は決して「反労組」ではないことを強調しておきたい。一部にそのような誤解があるので、念のために記する。

◇ 二つ目の花は「中道と改革からの離脱」である。離脱というより解脱に近いかもしれない。つまりは、中道は大きな票にならないとようやく確信できたのであろう。世界の政治潮流は分断、両極化であるから、いい悪いは別としてやっと国際レベルに達したともいえる。中道路線を葬り、偽善の塊である改革に背を向け、自助よりも共助、共助よりも公助すなわち「大きな政府」路線を鮮明にしたことにはただただ刮目するばかりである。

 これもまた野党第一党としての自己変革であろうか。考えてみれば中途半端な距離感では与党には歯が立たない。だから、主張は真逆であればあるほどエッジが立って際立つし、やり方は与党を超えるポピュリズムの徹底こそが強靭な与党に打ち勝つ唯一の道である、と確信してのことであろう。残念ながら、なぜ残念がるのかは筆者の流儀に合わないだけで、この認識はあたっている。

◇ 一方、改革はどうあつかわれるのだろうか。ここは、少なくとも新自由主義由来の改革では人びとの暮らしに役立たなかった、むしろマイナスであったとの反省を踏まえしばし立ち止まるのか。すなわち、民主党時代の改革路線の流れの相当部分を過ちと認め勇気をもって転向するのか。議論はこれからのようであるが、どのような判断を示すのか興味深い。過去にとらわれず斬新なものを期待したい。

 政党も時として変わらなければならないのだから、それを変節と断じるのは酷ではなかろうか。そのための新党ともいえる。もちろん、政党であれ議員であれしっかりと説明すべきことは当然であろう。

◇ 本当のところ150人の彼ら彼女たちの気持ちは痛いほどわかる。その一つが現下の財政・金融政策で、これらは見方によってはじつに「羨ましい」代物に思えるであろう。異次元の金融緩和とは洒落たいいまわしではあるが、実態はあめ菓子が熱気でドロドロと溶け出すようなだらしのない政策である。しかし、それで問題が起こらないとの見通しがあったのなら、2012年の野田政権での消費税率引き上げをめぐる火山噴火のような党内激論は不要であったであろうし、さらにそれ故の党分裂も政権崩壊もなかったのではないのか、と多少の悔恨をふくむ複雑な思いが民主党時代に政権の枢要な地位にあった者にはよみがえってくるのではないか。こういった反芻される苦い思いを丁寧にこなしてもらえれば、政党とは何か、また、政党とは誰のものかについて一皮剥けた新たな境地にいたると信じている。そうすれば、選挙互助会といった揶揄や批判を朗らかにはねのけられるのではないかと思う。

◇ ところで、異次元の金融緩和など一連の政策と、アベ政権が邪教まがいと罵倒したMMTとの違いはどこにあるのか。永田町も日本橋も霞が関も表向きはともかく実態はMMTに寄りかかっているように見える。7年と8ヶ月、アベ政治の教訓は財政規律を奉じれば民意は離反する、百の理屈より現金給付、ツケ払いは後世の責任というもので、政権を失った民主党一族にしてみれば狐につままれた感じではなかったか。

 だから、与党でもないのに不人気政策を後生大事にすることはない、早く貧乏くじは捨てて、ポピュリズムと誹謗されようが人びとに喜ばれる政策をというのが、新党である立憲民主党の結党意義ではなかろうか。ひと言、お見事といいたい。

 ただ問題は、主要なメンバーの顔ぶれが変わっていないので、同じ口から異なる話が出てくることを人びとからいぶかしく思われることで、これを適切な説明をせずに放置すれば、今度は人びとが狐につままれた感じに襲われることになるだろう。

◇ 三つ目の花は「脱原発」である。2011年の東日本大震災は広域にわたる地震、津波、原発事故による未曾有の災害であった。とくに東京電力福島原子力発電所の事故は炉心溶融、水素爆発にいたる重責大規模災害であり、多くの住民に避難生活を強いる人災であった。

 今回綱領に「原発ゼロ社会」の実現が盛り込まれ、名実ともに脱原発政党に生まれ変わった。その方針に賛同はしないが、鮮明になったことは確かである。この鮮明さとこのことを選択、決断した政治姿勢がめざすものは明快である。 

 同党内に、この点についてさまざまな考えを持つ議員がいることは事実であり、実際の方向は必ずしもそうはならないとの見解があることは知ってはいるが、近々原発停廃止法案を提起すると思われるし、そうしなければ意味をなさない綱領ではないか。合流協議の中でこだわり抜いたと聞いているし、そのことが大同団結にいたらなかった理由の一つとも聞いているので、そうであるなら尚さら鮮明にすべきであろう。

 ここで少し心配なのは、「脱原発」と「反原発」の違いである。民主党時代は時間をかけた「脱原発」路線で、現実を踏まえた政策展開であったといえるが、廃止ありきの期限を切る「脱原発」路線は事実上「反原発」路線と変わらないもので、即断はできないがおそらく「反原発」に近いものと思われる。そうなると中間派の対応が注目されるが、この方向は変わらないであろう。

◇ 問題は政権政党になったときに「原発ゼロ社会」実現のロードマップを法案として提起できるかである。また、国際紛争による原油などの途絶や二酸化炭素排出減を考えれば「原発ゼロ社会」実現の環境が整っているとは思えない。相当にナイーブな提案になると予想されることから、政権担当能力への疑問もでてくるのではないか。ここを乗り越えなければ政権を担う資格を欠くことになる。そんな硬直した姿勢で大丈夫か、ということである。

◇ さて、「脱中道」「脱改革」「脱労組」「脱原発」と4枚のカードから新党のイメージが少しずつクリアになっていくが、それで二大政党の一翼を担えるのか、が当座の問いかけであろう。

 また、憲法改正の議論を否定していないので、社民党のようなゴチゴチの護憲政党ではないとしても、それでも「脱改憲」の趣が強いといえることから、それらの5枚のカードが現在の自公体制への対立軸として有効に機能するのか、が議論の焦点となるだろう。

 もちろん、行き過ぎた自己責任論を排すとか、多様性の尊重などさまざまな「らしさ」が散見されるが、どう考えても決定的な対立軸にはならないと思われる。その理由は、現政権の政治姿勢がきわめて柔軟で、たとえば最賃をふくむ賃金引き上げに対する姿勢など親労働者政策も多く、不十分・不徹底のきらいがあるものの国際的に見れば十分リベラルである。くわえて発足間もない菅政権であるが、地道な取り組みが得意なようで、生活者、労働者にかかわる改善政策を丁寧に実施されれば、綱領の旗印とはかかわりなく野党第一党の出番がなくなる、すなわち野党が与党によって政策において侵食される恐れが強いのである。

 もちろん、気候変動対策が新政権の鬼門であることは変わらない、すでに世界はSDGsを軸に回りはじめている。感染症対策と経済成長が背反関係にあるが、さらに気候変動という要素が加わり、あらためて経済のあり方が問われている。従来から、自民党の弱点は構造問題への計画的対応であって、目の前の課題に対しては器用に対応していくが、長期課題への対応は下手というかセンスに欠ける。

 筆者は、直面する諸課題については、すでに勝負はついていると判断している。もちろん、残念との思いを持ちながらではあるが、要は執行権の有無が決定的である。

 この傾向はアベ政権時代から顕著になったと思うが、もともと自民党も公明党も生活者や労働者政策については半開きではあるが前向きであり、雇用形態にかかわる規制緩和を除けば口汚く罵られるものではないと思う。ここらあたりは人あるいは立場によっての評価はさまざまであろう。要は狡猾なのである。この狡猾さに民主党は知恵で負け、力で負けたわけであるから、新党になり数が増えたからといって決して侮ってはならない。

 敵を侮るのは未熟さからくる悪い癖であろう。野党第一党といえども比較劣位にあることを思い知るべきである。とくに、国対レベルでの小細工は控えたほうが良い。関係者でなくとも少し注意してみれば気がつくことがある。

◇ 5枚のカードを眺めながら与党との対立軸がどのように作られていくのだろうかと想像をたくましくしているうちに、ふとこれらは日本共産党のそれに近似していることに気がついたのであるが、長らく孤高にあった同党に初めて友党ができたといえばいい過ぎかしら。もちろん、立憲民主党の場合はあくまで「脱〇〇」であって「反〇〇」ではないから近似の域を超えるものではないと思われるが、首班指名などを念頭に置くなら、両党が急接近していることは間違いないだろう。後は選挙協力で、場合によっては抜き差しならないことになるかもしれない。

 しかし、考えてみれば不思議ではないか。立憲民主党150人の顔を思い浮かべながら、いや全ての議員の顔は浮かばないので、主要なメンバーの顔を思い浮かべながら、日本共産党との親和性はどこから来たのだろうか、と思う。不思議である。時代なのかとも思うが、そんな曖昧な理由ではないはずだ。

 ふりかえれば、民主党時代に日本共産党との距離が急速に縮まった時期があった。それは2015年の安保法制をめぐる闘いであった。そういえば、シールズという団体が脚光を浴びたのもその時期であった。今は「市民連合」が安保法制廃止を求めている。

◇ 2015年の安保法制に対する当時の民主党の立場は「反対」ではあったが、党内の意見は反対の内容や程度においてさまざまであったと記憶している。であるにもかかわらず国会審議がひどく紛糾した原因の一つは束ね法案に見られるように国会審議における与党の強引さにあったわけで、これは、与党国対というより官邸の強い意向であった。熟議よりも賛否を際立たせる結果主義に権力の意図とそのあざとさを感じ取り、それへの反発が大きかったといえる。それにしても、ここが、つまり安全保障に対する考え方や姿勢の幅広さが民主党の最大の弱点であったことは間違いないわけで、じつに急所を突かれたと今も思っている。

 むろん、緊張の度合いを高める東アジアにあって国民の不安もあり、また日米安保体制の深化を求める米国の強い要請もあり、相応の体制整備、強化は当然のことであった。が、この認識には党内(当時の民主党)での温度差が顕著であり、「遠くは抑制的に、近くは現実的に、国際協力は積極的に」という美文スローガンでは整理がつかない潜在的脅威が顕在化する事態が進行する中で、事態認識の差異に沿ったミシン目が静かに生成されていったと思う。このミシン目が2017年の「希望の党事変」の伏線のひとつだったと認識している。蛇足であるが、この2010年台における中国の軍事力の拡大・増強と北朝鮮の核化、飛翔体技術の進展は著しく東アジアの安保情勢を一変させたというのが適切な認識ではないか。米国も甘かったが、わが国も甘かった。痛恨事であり反省点である。

◇ あくまで大きな塊を目指し、結果として150人規模を達成し、名実ともに野党第一党となった立憲民主党が二大政党の一翼を担いうるのか、「脱中道」「脱改革」「脱労組」「脱原発」「脱改憲」をモノサシとしてイメージを膨らませたが、最も重要な観点が安全保障に対する基本政策である。だれが考えても簡単に「脱安保」にはならない。かつて「全面講和」対「単独講和」という構造がネチネチとした非武装中立論を生み、東西冷戦体制というある意味無風状態の中で経済発展を成し遂げたわが国が、激化する今日的米中対立の現実の中で、どのような進路を選択していくのか、設問はニュートラルではあるが答えはきわめて限定的で、政権を担う資格というきつい言葉をつかってでも指摘しておきたいのは、日米同盟の枠外に政権はないということである。蛇足ながら日本共産党の方針は「反安保」に間違いがなかろう。最近、日米安保条約破棄についてその実現を遠い将来に置き直す「半反安保」ともいえる考えが伝えられているが、その程度では国民の共感を得ることは難しいと思われる。そのこと以上に、相手があっての条約である、将来破棄と唱えているうちに相手にされなくなったらどうするのか。これも立憲共産連携のアキレス腱といえよう。

◇ 逆に、現下の日米同盟の枠外に思索の世界だけでも進路を求めることができるのは長い執政経験と豊富な対米交流をもつ自由民主党だけであり、それでもおそらく腰砕けるであろうし、惨めな結末を迎えるであろう。

 仮に、立憲民主党が政権の中核になったとして、しがらみがないから日米関係においてフリーハンドである、と考えるならそれは滑稽そのもので、その場合は1ミリさえも動かさないことを条件に政権は成立する、というのが正確な表現であろう。つまり、現状の日米関係にズッポリと入り込まなければ政権維持ができないということであり、それは鳩山政権の教訓である。そして立憲民主党においても同じであろう。

◇ このようなことは百も承知で政権交代をめざすための大きな塊を作ったのではないか。飛躍するようだが、立憲民主党が2015年の安保法制を廃止することはきわめて困難である。廃止を許さない国際情勢がある。そして、それに適応するため日米同盟が日々深化しているので、2015年以前に戻すことは不可能といえる。

 軍拡競争の罠に陥ることは避けなければならないが、現実直視は政治家の任務である。ドイツにはEUがあるが、日本にはない。そのうえ近隣国との関係は厳しい。わが国の国家表札には米国の裏判が押されておりそれが安全保障上の信頼を形成している。決して卑下しているのではない。この地球上に国家意思を自由に展開できる国など存在しないし、そもそも国家意思ですら国際関係の従属変数ではないか。

 その意味においても、中国の目覚ましい発展と台頭がわが国の立ち位置と進路を規定しているわけで、当面、中国共産党が内政に専念せざるをえない事態が発生するまでの間、たとえ対米追従と非難されようが米国との同盟行動を解除するわけにはいかないのである。

◇ 視点を変え、では立憲民主党は中国すなわち共産党政権といかなる親和性を持つのか。今のところ不明であるが、あえていえば今回の合流劇ではインサイドワークに徹したと思われる小沢衆議院議員が、かつて民主党時代に当時副主席であった習氏の謁見を導引したことぐらいであろうか。

 個別の交流はさておき、点眼鏡を片手にどこをどう探しても立憲民主党にそういった親和性を見つけることはできないのである。つまり、米中対立にあって間をとりもつ仲介など手に負えないことから、米中対立が激化すればするほど、立憲民主党政権においては対米関係をスケール上独立から従属へ目盛りを移動させることになると思われるし、それは適切、妥当な対応と評価されるであろう。

◇ 立憲民主党が自公政権に変わりうる政権選択肢として有権者に認知されるためには「反〇〇」というアンチテーゼに立脚した政権批判を行政監視機能に格上げするだけではなく、「脱〇〇」といいつつ旧来のシステムではない新たな仕組みを説得性を持って提起する必要がある。同時に政権交代により発生する負の効果への補償システムを明らかにし、定性的であっても変化の損益対照を示すべきである。また、変えない分野、政策についても積極的に明示することが肝要と思う。要は、ぼやけている全体像を鮮明にし、ベールは剥ぎ取られなければ、人びとの期待を得ることは難しい。

 2012年に政権を失った民主党由来政党であるという出自は消えない。都合の悪いことについて知らんふりをしてはダメで、路線を変更するならちゃんと説明し堂々と宣言すべきである。たとえ新党であったとしても負の遺産をも背負うことが正統性を確保する唯一の道であることを指摘し、苦味が混ざってはいるが折角の新党誕生への贈花としたい。

◇ 怠惰かな風もひかりも秋の朝

◇ <付録> 二大政党制という制度はない、ありうるのは結果としての二大政党状況であり、それも制度の裏付けがないためきわめて不安定かつ脆弱といえる。世の中には二大政党制をもってめざすべき政治形態すなわち目標と主張する向きもあるが、その論拠は形式に流れるばかりで実体の乏しいものである。要は、政権交代の効用を述べることに傾きすぎて、二大政党でなければならない論拠については希薄で、他の方法たとえば連立政権方式との比較考察などに触れようとしていない。

 また、わが国の執政制度、議会制度また選挙制度は、どう考えても二大政党制を配慮した仕組みになっているとは思えない。それ以上に決定的なのが、国民が希求しているのかという点が曖昧で、主権者を疎外した議論になりかねない。

 さらに、政治を直接左右する選挙制度は生ものであり、権力構造の利害に直結していることから理想論やべき論で語り切ることは難しい。また、政権交代のために選挙制度を変更する与党はまずいないので、国民世論の強い後押しのないかぎり議会だけの議論では困難といえる。

 くわえて、政治は現実主義であるから実績のない制度には冷たい。世論も、2012年の民主党政権崩壊でもう十分と思っている有権者が多いので、国民的機運が盛りあがる可能性はいまのところ低いといえる。

◇ さらに、政権交代の道は二大政党制だけではない。多くの先進国は多党状況を前提とする連立政権を日常としているが、この連立政権方式が二大政党制に劣っている証拠は示されておらず、わが国においても現に自公による連立政権ではないか。議員をはじめ政党関係者が二大政党論を唱えるのは、自らの日常活動を棚に上げ自党の不振のいいわけにする、いわゆるためにする議論であると筆者は受け止めている。選挙に勝利した政党がいいだすことではない。

 

 

 

加藤敏幸