遅牛早牛

時事雑考「2021年2月 妄想から覚め、風の未だ冷たきを知る」

◇ 現首相の発信能力に疑問符がついている。そうかも知れない。しかし、「だから何なの」という声もある。確かに心に響いてはいないと思う。それに議員としても演説はうまくない。が、まあ嘘よりはましではないかとつくづく思う。  

 ところで、響きすぎるのも暑苦しい。演説の巧拙が感染症対策の効果性を決めるとも思われない。だいいち国民は適切に行動抑制しているのだから当初の目的は達成できているといえる。感染症対策こそ首相の演説に寄りかかるべきものではないだろう。

 そういえば小泉時代は首相の言葉に動かされた。古い話であるが2005年の郵政解散時のテレビ姿は鬼気迫るもので選挙結果も壮烈であった。時に巨大な情念が政治を支配する危険性を感じたが、幸いにも自民党は全体主義には陥らなかったが、与野党ともに党首の発信力に過度に依存するようになってしまった。また有権者への迎合が強まった。今は演説下手っぴ-な政治家で世の中が治まることのありがたみを感じ、そのことを神仏に感謝したいぐらいである。

 なんといっても、政治は国民の被統治能力が肝心だと考えているので、国民の受信能力の方に着目したい。そもそもコミュニケーションは送信側と受信側の共同作業だからフィルターやバイアスがあることを考えながら双方が努力することが大切であろう。今さらドイツのメルケル首相と比較しても仕方がない。感動させても結果が出なければ馬鹿みたいではないか。

◇ 「新型コロナウイルス対策の特別措置法改正案など(修正)」が2月3日参議院で可決、成立した。法案提出が1月22日、施行が2月13日なので超特急といえる。成立に先立って1月28日自民党と立憲民主党が協議し感染症法の刑事罰削除、過料減額を主とする修正案が合意された。両党の国対委員長、幹事長の並び姿がテレビで流れていたが談合成立記念写真のようで可笑しい。それになんでこのタイミングなんだと怪しく感じる。

 この報道を受け、久しぶりに国会のダイナミックな役割を感じたといった声もあったが、なんといっても出色なのは、国会審議も経ずして修正するのは異例だ。国会での議論を国民に見せたうえで、直していくのが議会制民主主義の基本だという伊吹文明元衆議院議長の発言であろう。

 ご指摘の通り異例であり、異様でもある。とくに刑事罰の導入にあたり政府内あるいは与党の事前審査でどういった議論がなされたのかに世間の関心が高まっていたのは当然のことで、であるのに早々と削除に応じたのはもともと交渉における取引材料ではなかったのかと勘ぐってしまうのであるが、そうであればまことにつまらない仕掛けであり、喝采をおくった報道関係者は恥じ入るべきであろう、まんまとのせられたのだから。

 あるいは、刑事罰の導入がずさんすぎて国会審議に耐えられないから、国対政治の取引に使ったのであれば、取引に応じた野党の責任は重大である。刑事罰あるいは行政罰は人権侵害と紙一重なので、わけてもしっかりした議論が必要である。感染症に絡んで罰を与えなければならない事態とは一体何なのか、たまにはハードな議論をやってみてはと思う。

 ここらあたりは外からは見えない世界であるが、キツい質問をして悦に入りながら、裏では55年体制と見まがう国対政治にうつつを抜かすようでは政権はまだまだ遠いといわざるをえない。

 ところで、件の伊吹文明先生だが、立派に筋を語られているが筋を通したというわけではなさそうで、自民党には筋を通される方々が数多(あまた)おられたのに、昨今竹林に隠棲されているのかお姿が見えず寂しいかぎりである。

◇ 野党といえば、立憲民主党の岡田克也衆議院議員が新たなグループを結成するらしい。様子を見ながら、年も改まったのでそろそろということであろうか。政党内に派閥をはじめさまざまなグループが結成されることを咎める論はない。派閥イーコール悪と決めつけるのは一部報道の意図的解釈である。

 とりわけ立憲民主党の場合は党内グループがもっと活発に動いてくれないと、有権者にしてみれば捉えどころがないのであって、なにかしら燻っているだけで火が見えない。消えているのか燃えているのか。これからどうしたいのか、さっぱり分からない。だから支持率がいまいちなのではないか。

 岡田氏が発信する、そうするとそれはおそらく中道的な立ち位置にもとづくものであろうから、多くの人が安心する、ということで支持の幅が広がる、少なくともその可能性がでてくる。立憲「命」とばかりに応援した連合首脳部も安堵の念を強めるのではないかしら。

 そもそも中道を抱えない政権政党なんてありえないでしょう。もたもたしていると左派政党という烙印が押され、本当に左派政党になってしまう。まあそれはそれではっきりしていいけど、しかし政権は遠ざかるだけ。時間はあまり残っていないように思えるが、中道の方々の健闘を祈りたい。

◇ トランプ太鼓が止まった。「選挙で勝てば(選挙に不正があったなどとはいわず)そのままオーケー、負ければ不正選挙としてあらゆる手段を尽くし無効にする」というきわめて手前勝手で下品な作戦だったのではないか。どなたのアイデアなのか知らないが、おそらく誇るべきものを持たない者の考えのような気がする。それにしても議会に塗られた泥が完全に落ちる日が来るのか、重要な同盟国だけにとても気になる。

 気にしているうちにミャンマーに飛び火したのか、証拠もなく「選挙に不正あり」と勝手に宣言しただけで国軍がクーデターを起こした、のだ。流行(はや)りものではあるまいに、またトランプの真似ではないと思うが、真実を不確定化してしまうのが専制体制の常套手段のようである。

 そういえば、日本政府はミャンマー国軍には寛容というか、制裁よりも対話に軸足をおき経済発展を促進する道を選択したのだが、今回のクーデターを受けあらためて事態の複雑さあるいは困難さを痛感しているのではないか。

 とくに東南アジアにおけるミャンマーの地政学上の価値を考えれば、人権、自由、民主といった価値観を振りまわすだけの外交では間に合わない現実を前に再び憂鬱の森に迷い込みそうである。中緬(チャイナ・ミャンマー)の物流線を鉄道、道路、電線、油送管などで確保することは中国にとってアジア制覇の橋頭堡を築くことに等しい。という戦略上の要衝であることは米国も承知のことであるから、ここに来て外交方程式が複雑化している。

 中東からの石油をインド洋からミャンマーに陸揚げし直接パイプラインで輸送できれば中国の安全保障は強化される。おそらく脆弱性の克服へ階段をあがっていくのであろう。しかし、時間がかかるうえに米中対立の激化がどう影響するのか、まだまだ霧の中にある。

 霧の中といえば、英国が包括的進歩的環太平洋パートナーシップ協定(CPTPP)への加盟を申請し、EU離脱後の進路をアジアに向けた。また米日豪印の連携(QUAD)への参加も目指しているとも聞く。新たなゲームが始まろうとしている。静かに歓迎したい。

◇ ところでCovid-19の初現は解明されたのか。WHO調査団がようやく中国での調査を終えたようだが成果が怪しい。怪しいというよりはじめから結論が見えているのではないか。

 それにしても「輸入冷凍食品付着」などと急場しのぎのでたらめをよく言うわ。WHOもずいぶん足許をみられたものだ。

 2月9日、WHO調査団の記者会見が北京で行われたが中身はほぼゼロで悲惨なものであった。後日場所を変え何かがでてくるのか、少なくとも第一号感染者の出現時期ぐらいは明確にして欲しいものである。

 まあ証拠隠滅の証明は困難なのでいうべき言葉もないが、せっかくの無実の証明機会だったのに中国としては惜しいことをしたものだ。と嫌みを少し、それにしても今日の中国にとって最も貴重な信頼を失ってはどうにもならないだろう。それとも有罪の立証機会を潰すことを優先したのか。そうなると永遠に疑われるぞ。推定無罪という法理はあるが、それは人々の心情とは別もので、疑わしくは罰しないかわりに永遠に疑い続けることで、おそらく中国の初動に問題があったと人々は疑い続けるであろう。そのうえで、他国の感染リスクよりも自国の体面を重んじる不誠実な国との負のレッテルが貼られるであろう。

◇ 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡り、選挙管理委員会に提出された署名の83.2%が無効と判断された。(2021/02/9 19:00|日本経済新聞 電子版)

 そういえば2019年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展」の騒動を思い出すが、論点が不鮮明でまた生煮え感がひどくずいぶんと閉口した記憶しか残っていない。その流れで行われた解任請求の署名の無効率が8割を超えるとは開いた口が塞がらない。リコール運動の結末が署名のねつ造という悪質事件であるなら今までの議論は何だったのか、強い怒りを禁じえない。右翼を気取り大騒ぎをした上での悪質行為は民主政治への破壊行為である。地方自治法違反容疑で告発し法廷で決着すべきである。フェイクで政治をもてあそぶな、とは天の声であろう。

◇ 7日までの緊急事態宣言が延長された。ようやく感染者数が減りはじめたが、毎日祈る思いで数字を聞いている。期間中は散歩と買い出しが隔日の日課となった。後は読むか書くか、飽きると時代劇。さらに飽きるとポアロにコロンボに相棒。三食すべて自宅で、後はマスクとアルコール消毒が癖になった。アルコール消毒って飲用しなくても依存症になるのかしら。

◇ 現在ワクチン接種の準備が進んでいるが、未曾有の大事業になりそうである。それにしても、ひと瓶5回分が注射器によって6回分になるとはまるで手品のようであるが、その注射器が用意できないという。貴重なワクチンだけに内心ムッとするがいろいろと難しいことがあるのか、それにしても民間の製造業ではあまり聞かない凡ミスのような気がする。総じて政府機関は現場や技術、技能に疎いといえる。早い話が人文系優位の職能体系で今はやりの「ブルシット・ジョブ」の世界ではないが、COCOAとか消えた年金とか、多少の技術的知識があれば防げたことも多々あるのではと残念がっている。

◇ 東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長発言が物議をよんだ。森氏が背負うべき問題ではあるが、発言があった場で誰も注意しなかったのは組織委員会の問題である。

 一般論ではあるが失言はありうることだから常にそのリカバリー策は準備されなければならない。しかし、わが国では無謬性を前提にしていることから失言訂正のプログラムが発動しないケースが多い。国際標準にもとづく運営管理が必要なことは自明であるが、それを越えてそうはならない事情があったのか、まあそれを森ワールドと表現していたのかとも思う。

 さらに理事会などの執行会議で話されたことは共有化を前提にしているので反対意思を明確にしない限り承認と見なされるのが普通である。あれは個人的見解でしょうなどと後からいいわけはできない。そうであるのならそう指摘すべきである。

 だから、会議が終了した途端に出席者全員の共同責任になることが多いので油断できないのである。こういったある種の厳しさが失念されお飾り的に椅子に座る人もいるが、それで時に遭難することがある。それが嫌なら就かなければいいのだ。

 今回の詳細は不明であるが、並びいる理事だれ一人として異を唱えなかったのが寂しい。恩に報いるは諫言をもって為すという言葉があるのかどうか、功労者に依拠しているばかりではつまらないではないか、世話になった親父だからこそ自分が言を制す、こういった気概がわさびの香りなんだがすべては後の祭り、森会長の蹉跌はご本人ばかりか大会まで襲うであろう。2月12日森会長は委員会で落日のごとく辞意を表明したが当然の流れであろう。が、氏の功績を思うに言葉はない。どうも時代は新しいページを求めているようだ。

◇ さて、東証株式市場は30年ぶりに29000円台を回復し3万円台をうかがう勢いだと聞く。ニューヨークもさらにさらに活況と聞く。とはいえ世情はギスギスとして吹く風は冷たい。だからなのか、新型コロナウイルスが紡ぐ株高に気持ちがざわつく。災厄でさえ肥やしに肥え太るざまは誠に醜悪至極である。何が起こっても経済格差は目をむくほどに広がるものなのか。人の不幸を栄養源にするのだから妖怪怪獣格差魔呑(かくさまどん)と名付けてやろう。

 ということで、富の分配が我慢ならないほど不公正であるという現実があらわになっている、のだ。無限の経済成長で資本主義体制の矛盾を克服するというシナリオは絵空事であった。経済成長の果実を富める者が総取りする仕組みは改善されるどころかさらに酷くなっている。そのうえ、無限は有限に、経済成長は縮小にパラダイムは書き換えられようとしている。惑星地球号の悲鳴が気候変動となり、水の惑星はマイクロプラスチックの海に飲み込まれ、緑の大陸は砂漠に向かっている。惑星の支配者は映像でしか美しかった自然を見ることができず、その子供たちはトマトの味も匂いも知らない、すべてはAIが作りだす合成映像、合成食品なのである。

◇ 昔のアヘンが今のスマホだと哲学者が語ってもGAFAが許さない。しかし、貧しき者はGAFAを許さない。強欲は大罪であるから天国への道を閉ざすのは当然として、この世の地獄すなわち生き地獄を味合わせてやれと、日々の生活でさえままならぬ者はそう思い、必ずそうなるであろう。

 1月6日にトランプが開け放った鉄扉からカオスという魔獣が飛び込んできている。魔獣は人々の欲望と不信を餌に増殖していく。私たちは何と戦っているのか。また何と戦わなければならないのか。おそらく古代人もひどく苦しめられたその問いに私たちも懊悩するのであろうか。であれば21世紀はふたたび神話の世界と化すであろう。

◇ 2月の妄想も悲惨であった。さらに「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」に苦労している。デヴィッド・クレーバーさんよ、どうしてこんなに長いのか。

◇ 野川越え仙川までに梅や咲く

加藤敏幸