遅牛早牛

時事雑考「2021年秋の政局のはじまり-紅白試合か歌舞伎演目か」

◇ 8月22日横浜市長選挙の投票がしめきられた午後8時山中竹春氏に当確がうたれた。この瞬間から秋の政局がはじまったといえる。

 総理として解散などいろいろと思い描いたと思う。しかし昨年も今年も新型コロナウイルスに諸事差配されていたから解散権などは総理の掌中にはなかったのではないか。筆者も選挙日程などの質問には「コロナしだい」とみじかく答えるしかなく、また事実そうであった。

 なによりも感染症対策を、これが総理のいつわらざる思いであろう。またそうあるべきであろう。しかしざんねんながら全力をつくしたとしても事態が好転するかどうかはわからない。すでに制御不能ではないかとの不安がひろがっている。だからどこに明るいきざしがあるのかと、総理発言にたいし反発と不安をいだく人びとの目線が日ごとに厳しさを増しているのである。そしてその目線のさきにスガ政権だけではなくアベ政権もさらに自公政権があることはまちがいないといえる。

 このように人びとの目線が厳しくなったのは最近のことではなく、何年もまえからのことで、それは政治家がみずからの「責任」をズダ袋にいれどこかに隠してしまったからで、「責任をとってなんぼの先生」と考えている人びとは政治家のいうことをまるで聞かなくなっている。これがわが国を難しくしているのではないか。 

◇ さて、「菅総理で選挙をたたかえるのか」という風が自民党内に吹いていると聞くが、党内の事情はべつにして、問題はなぜ支持率が低迷しているのかであって、それはこの一年半の感染症対策がいかにも素人感まるだしで、現場の努力でなんとか支えられているものの、とても人びとの合格基準にたっしていないからである。またオリンピック東京大会についても人流管理にたいする対応が首尾一貫していない、さらにワクチン接種では先進国のなかでは後発ではあったが、それでも後発なりに努力をしていると思われていたのに、途中からワクチン不足が判明し急ブレーキがかかった。職域などでがんばって旗をふっていた人が恥をかいたといわれている。そのいいわけが自治体に滞留あるいは隠匿されているような口ぶりであった。これではだれも納得しないであろう。またメーカーとの契約で数(量)は表にだせないとボソッとテレビでいっていたが、「それでは不足を知っていながら旗をふらせたのか」とやるせなく感じた人も多かったのではないか。

 なにかしら歯車が一枚はずれているような、日本の行政機構ってこんなにできない組織だったのかと正直がっかりしている。ということで、総理ひとりの問題ではないような気がする。だから議員たちには自分の選挙を心配するまえに日本のことを心配しろよ。政治家は行政機構を円滑に動かすのが仕事ではないか。与党議員が内閣に連帯し責任をおうという基本を忘れては困る。まあ、というのも長期政権にあってずいぶんあまやかされたんだろう。しかし本当にそんなふやけた議員がいるのかとも思う。

◇ どうも報道にバイアスがかかっているような気がする。というのも「○○○で選挙はたたかえない」なんて恥ずかしくて普通の議員であればいえない。それに選挙をたたかうのは議員本人であり、また一年前に総裁を決めたのはだれなのかと選んだ責任が浮かんでくる。いわゆる天ツバである。

 まあ選挙を党首にたよるようでは小選挙区での勝利は危ういだろうし、そんな議員は聞いたことがない。だからメディアに踊らされているのか、ぎゃくにメディアが踊らされているのか、どちらにしても結局踊るんだな、これが。

 この程度の仕掛けというと横浜市に失礼と思うが、政令指定都市の首長選挙をダシにして感染症以外のアナザーストーリーである自民党物語に突入するのかい、そりゃないでしょう、といいたくなるのは筆者だけではないと思う。

◇ 選挙は議員の内心に肝があるのだがその取材は難しい。そこで取材記者としてはどうしてもシナリオにたよらざるをえないのであろう。で、いろいろと想定するのだろうが、いつのまにか記者の思いをシナリオに投影しすぎるというか脚色過多になってしまうのではないか。とここまではいい、おのれの解釈であるからそこで止(とど)まっているうちはいいのだが、そのシナリオにそって話をつくり記事や編集に影響がではじめると怪しいことになる。一歩まちがえると作り話の紙芝居の世界になってしまう、それに記者オリジナルのシナリオなのかといった由来も気になるところである。

  

◇ 余談ではあるが、そんな紙芝居のもっともショボいところが、さまざまあるつぎの総理にと期待するランキングのたぐいである。あいかわらずのメンバーをながめながら知名度だけのエントリーで「報道あるいは解説にたえうる」内容なのか、引用するなら最低限の資料批判をしたうえでと思うのだが、バラエティ番組との垣根はとっくにきえているからいうだけ無駄かしら。

◇ 内閣支持率が30%前後で低迷しているのは感染症対策の不首尾が原因であることはまちがいない。とうぜん国民にはやまほど不満がある。しかしだからといって総理をかえれば感染症がおさまるわけではあるまい。ここが大事なところで、「かえてもかわらない」問答のたぐいになってしまう。ということで問題は「いま何をすべきか」であって、全力で具体策に集中すべきであるというのが大方の意見であろう。だからかえて良くなるのならかえればいいだけの話で、それを良くなる確証もなしにかえろかえろというのは「かえたい」だけのマニアではないか。そんなレベルの低い話をまにうけることはないのである。

 だから、おそらく情報宣伝策であろう。総選挙のまえに紅白試合を全国ネットでながすのだから自民党にとってはとてもおいしい話であろう。

 つまり、普通に総裁選挙をやればいいのだが、感染症対策にさしさわりがでてくれば禍根をのこすからとくべつな技を考えているのであろうか。ところで総裁選であるが、二択になれば結果はよめない。自民党というのは怖いぐらいポピュリズムにたけているので、紅白試合が「判官老獪を追う」歌舞伎演目にはやがわりしたりして融通無碍な展開のすえ、野党にとってもっともやりにくい状況をあえて選択するかもしれない。「そらっ、やっぱり選挙のためにかえたじゃない」といわれることになっても、総選挙の不確実性はいぜんとしてのこる。

◇ さて総選挙であるが、解散の時期をどうするかといった奇策はないだろう。かりにワンチャンスあるとしても、妙手がのちの悪手になることがままあるのが政治の世界である。だから自然体がいいのである。これは野党もおなじで「菅総理での選挙のほうが有利」といったかるい発想ではとんだ落としあなにはまることになりかねない。だいいち解散総選挙に連帯してどうするのか。わが国はまだまだデルタ型に圧倒されているのだ。たとえば選挙のタイミングによっては医療崩壊をよびこむ危険がある。人びとの不安がまったく解消されていないなかで野党が解散総選挙を誘引するのは自滅の道ではないかと心配している。

◇ 総選挙の結果についてはいまだ予測のそとにある。しかし現時点でいえることは、デルタ型の猛威に政権与党の情勢はかなり悪化していると思われる。コロナ禍と表現されているが対策の遅れや不手際による被害もおおく、また経済損失もあちらこちらにでている。これらのすべてが与党の責任だとは思わないが、それでも人びとの恨みは確実にのこっているから与党にとってはひき算の選挙となる。このあたりは筆者もあまく考えていたが、ひき算の程度はこれからの感染状況しだいであろう。とくに選挙期間中がどうなるのか、また情緒面もふくめ国民の不安感の程度と方向が大きく作用すると思われる。

 極端なケースとしては、表現はともかく事実としての医療崩壊となればつまり国民のおおくがそううけとめれば、ざんねんながら政権崩壊にちかづくであろう。崩壊には崩壊を、主権在民なんだからそのぐらいのことはありうるのではないか。

◇ つぎに野党へのたし算であるが、与党がかんばしくないときに野党までかんばしくないとなるとこの国の政治は漂流する。主張よりも物事をうまく処理できる能力に着目し投票先をきめる有権者の比率があがっているときく、まあイギリスでの話であるが、わが国でも主張がよくても処理能力がいまいちなので投票しない流れがでてきているのではないか、とくに旧民主党系へのマイナスイメージが残影となっているとすれば、そのおおくは印象操作によるものと思っているが、野党としては執行能力の研鑽も重要な課題であろう。

◇ それにしても総選挙の争点はどうなるのだろうか。あしもとの感染症、悪化する格差、ますますひどくなる気候変動、ざわつく国際環境など大型テーマがめじろおしである。

 という観点にたてば官邸あるいは与党幹部の「状況判断」はあまいと思われる。とくに感染症、格差、気候変動、国際環境の重要課題すべてがけっしてアンダーコントロールではない。とくに気候変動問題は2030年目標をとりあえず強化してみたものの「なぜ46%減なのか」についての小泉大臣の説明はよくいって詩的表現、政治的にはねごとたわごとであって中身ゼロをみずから暴露しているではないか。「人新生」に終止符をうたざるをえないかもしれない大問題のイントロにすら触れられないのに政権選択選挙などとよくもいえることよ、といった批判をうけとめ激論ねがいたいものである。また、格差問題もいっこうに手がついていないつまり格差拡大によって苦しんでいる人がふえているではないか。さらに対中、対韓関係をどうするのか、まさか嫌中、嫌韓ですまそうとか、とりあえずパスとは考えていないと思うが、具体的にどうするのか方向性だけでもしめすべきであろう、また対ロ交渉の到達点としてなにが確認できたのか、さらにミャンマーにしても国軍首脳とのふといパイプは一方通行でしかないのかなど課題と疑問がさんせきしている。

 くわえて今日の状況を支配しているのは新型コロナウイルスそれもデルタ型であることをまず認識しなければならない。だから、非公式情報として解散話がさんざんながされたが、すべて新型コロナウイルスとくにデルタ型につぶされたと筆者はうけとめている。このさい憲法に緊急事態条項をいれようとはなしているわりには感染症への警戒心があますぎる、つまり緊急事態の意味がわかっていないのではないか、というきつめの感想もおおい。デルタ型への対応策はその感染力を考えれば二倍も三倍も強化すべきではないか、とくに医療体勢の強化はきっきんの課題で、担当大臣のおしゃべりはもういい、いいわけもたくさんといったムードが状況をさらにむつかしくしている。こんなときだからこそ今日明日の対応と来年の対策を体系的にしめしてほしい、やるべきことをやれと有権者は思っているのである。

 今回は政局なので政策はこのていどにとどめるが、注意すべきはほんらい必要な政策論をうすめ、おもしろさ抜群の政局論にひきずりこもうとする「忖度力」がメディア界隈に強くはたらきはじめていることである。

◇ 政府が、適切な対応をしなかったからこのような大感染になったと思っている人がおおいなかで、未来にたちむかう政権をしっかり選択する趣旨において適切な選挙ができるのかは疑問である。とくに投票率が気になる。

 投票率は民主政治のバロメーターであるから十分なコンセンサスがひつようであろう。あたりまえのように解散総選挙を強行してきたからデリケートな配慮など無用だと考えているのだろうが、乱暴なだけの自民党なんてつまらない。

 ということで、今なすべきは選挙日程だけでも与野党で相談をして有権者の理解をうながすべきではないだろうか。有権者の理解があっての選挙である。

 そもそも医療崩壊下での総選挙なんてだれの責任でやるのか、国家統治を質にいれるようなまねをやってはいけない。ここは国民の協力を求める謙虚さがひつようではないか。

 そういう事前のこまやかな手続きをていねいにやらないと統治崩壊という未曾有の事態をまねきかねない、と心配している。

 わるいが、すでに選挙管理内閣的ではないか。

◇ 横浜市長選挙は立憲民主党を中心とした野党協力の成果とみなされているが、課題もおおく総選挙にむけて野党の勝利の方程式が完成したとはいえまい。

 今回の市長選挙は、背景にあるIR(カジノ)法をめぐる対立から保守分裂選挙になったことや感染症対策への不安と不満があげ潮のようにたかまりそれが反対票を形成していったと考えられる。 

 さらに山中氏が感染症の専門家であることが説明ぬきで支持を拡大したと思われる。

 いくつかの好条件と対立陣営の失策がおりなした野党候補勝利であって、立憲民主党としてはむしろ課題が鮮明になったといえる。とくに候補あるいは政策の中道色が集票につながったことから共産党との選挙協力にはさまざまな工夫がひつようであろう。また、政権構想にかかわる基本政策の構成をどうするのかとくに「大きな政府」の中身さらに格差問題や気候変動対策そして外交安保など党内あるいは支援組織との密接な対話など一次作業ですらたいへんなのにそのうえ他党との選挙協力をみすえた親和性の高い味つけができるのか、またかぎられた時間でどこまで消化しきれるのかなど「頑張り」を見まもるしかないようである。

 つぎに国民民主党については中道というたち位置や穏健な政治手法などを評価する人がいるものの、そうはいっても存在感をしめす最低限の規模はひつようであるから、そのあたりをどのようにのりこえていくことができるかが当面の課題であろう。

◇ それにしても共産党は立憲民主党にじれているのではないか。筆者は両党の連合政権構想には反対、選挙協力は慎重にという考えであるから、ここで何かをいわなければという事情にはない。ただすこしは議員経験があるので感想をのべれば「にえきらない」と思っているのではないか。いいとこ取りあるいは食いにげといった表現は不適当、不正確なので使うつもりはないが、筆者にしてもどうなるのといった感じではある。この先の感想は文学の領域なのでひかえるが、ただいえることは無償奉仕ほど強いものはないということである。

 まあ党内事情もあると思うので表現されたことがすべてとは思わない。しかし核心は、なんども無償奉仕をうけた者の弱みもこれありで、「与えることは取ること」の定石におさまるのではと思っている。思っているではなくそのように関係が成熟することを警戒している、のである。

 共産党としては立憲民主党が低迷していてはこの先の展望がひらけないわけだから、またリアルパワーと思ってくれる指導層がこけてもやりにくくなるので、2009年型にちかづくと思われる。なんだかんだいっても、この状況で野党議席をふやさないでどうするの、これが野党を支持する有権者の声であろう。「鈍感も時には力秋のかぜ」

◇蛭おちて卓を鏡の八瀬の寺 

(今回も漢字すくなめ、かなおおめです。いずれおちつくとは思いますが、ご辛抱ねがいます。) 

加藤敏幸