遅牛早牛

時事雑考「芳野連合の賃上げと岸田総理の分配政策」

◇ 来年春の賃金交渉について、連合の芳野会長は10月21日にひらかれた中央委員会後の記者会見で、ベースアップ2%程度(定期昇給をふくめ4%程度)の賃上げをもとめる方針であるとのべた。

 これで9年連続のベースアップ要求となる。「新会長として来年春の賃金交渉をどのようにまとめられるのか手腕をとわれる」とおさだまりの記事が目にうかぶが、これは連合会長だけの問題ではない。むしろ政府と経営者にかせられた、日本経済のこれからの成長をどのように導くのかという国民にとってもきわめて重要なものといえる。予言的にいえばおそらく「ターニングポイントになる」であろう。いや「ターニングポイントにしなければならない」と思う。

◇ いまだに「春闘」と呼称されている春の賃金交渉については「曲がり角の春闘」あるいはたびたび「春闘終焉」と半世紀前からあれこれといわれてきた。とくに高度経済成長にのっかった賃上げが1975年をもっておわり、それいこうは経済情勢や産業事情あるいは政治情勢の影響をうけるなかで、なんとか賃金決定システムをいじするための労使のむつかしい調整がおこなわれてきたといえる。

 とくに1980年代にはいってから、わが国の賃金が世界でも最高水準にあるとの認識にたち、このままではいちじるしく国際競争力をかくことになるとの問題意識をたかめるなかで、日経連(当時)をちゅうしんとする経営者団体の賃上げとそれをもたらす春闘システムにたいする抵抗はつよまっていった。それから30年、経営者の要望どおりわが国は先進国のなかの低賃金国になった。

◇ ここでの低賃金国という表現は、賃金水準だけに着目するのではなく、毎年の増額や将来期待などうけとるがわにたった評価に重心をおいたもので、また購買行動や意欲さらには生活設計などへの影響を視野にいれれば、やはり低賃金国の風情であるとの考えを基盤にしている。

 さらに、経済全体にとってもよろしくない賃金実態であることはまちがいのない事実であり、経済団体(経団連ほか)としても考えるべきところがあるのではないか、とくに金融や財政政策など政府にたよるべきものとはことなり、自らの経営権でおこなる賃上げを政府からいわれなければ腰をあげないというのではあまりにも情けないではないか。今日のわが国の経済の惨状は、賃上げがかんばしくないうえに将来賃金への期待がもてない労働者の心象からもうかがえるもので、このような状況では経済成長などできるはずがないといえよう。 

 あらためて述べるが、賃上げは経営者の判断であるのだから、労使それぞれが理解と納得ができるしくみを考える時期ではないだろうか。

◇ そういえば「会社はだれのものか」という議論もあった。金融の自由化あるいは国際化の進展がさまざまな影響をふりまいたが、なかでも株主の権利をつよめ株主利益の最大化をはかることについてはさまざまな議論があったが、あるていどの理解はえられたと思われる。しかし株主は唯一絶対の主権者ではない。株式を時価で取得するのは自由であって、ときに紙切れになるかもしれないという危険負担が、たがくの配当とばくだいな値あがり益を手にすることの根拠であることも理解されている。しかしおおくの人びとは額面をもっての有限責任であるとの理解にたっているのであって、つねに取得価格をうわまわるように政府に圧力をかけることについては理解のそとであろう。まして、現下の経済情勢を民意にもとづき改善するための政策の発案(金融課税)にたいし、株式市場が下落という現象をたずさえて脅迫まがいに拒否感をあらわすことなどは、おおくの人びとからみれば常識的ではないとうつるであろう。さらに、解散価値を山わけしようとするにいたっては言語道断であり、長年にわたり努力をかさね、生産物である財貨・サービスでもって社会に役だってきた公的存在ともいえる企業にたいする破壊工作ではないかとすら思わざるをえない。となると、「そこまでやるのならこちらにも考えがある」という社会決意が凝縮する契機となるのではないかと思う。この社会決意とはなにか、それは人びとが政治をつうじて問題を解決しようとする集団的意思であって、組織的団結にはいたらなくとも共感的団結といういみで共同行為がなりたつ社会現象であると考えている。 これはいわゆるよわい力ではあるが、なにもできないわけではない。これからの政党のありようを考えればじゅうような要素となるだろう。

◇ どんな資本主義であったとしても人びとにしじされないかぎり持続できない。暴走する金融資本主義は改造し制動装置をつけなければならないが、この問題は21世紀初頭いぜんからすでに認識されていた。にもかかわらず、状況は悪化するばかりである。この問題の解決には国際社会が団結するひつようがあるのだが、中国を専制国家としてけん制するのもいいが、足元の社会的公平を実現しなければ国内の政治的対立激化と分断をもたらすことになる。ようするに傷をふかめるということである。わが国は欧米ほど格差はひどくはないが、それでいいというわけではない。貧困率がたかすぎる、子どもの貧困がひどすぎることがおおきな問題である。他の先進国ほど成長できなかったことのしわ寄せがよわいたちばを痛撃しているともいえるわけで、これこそ政治の責任ではないか。人びとが主義あるいは制度の犠牲になるようでは民主国家とはいえない。民が主役といいながらその主役が犠牲にならなければならないという矛盾を解決するのが政治の役割であるとシンプルに考える政党が好感度をあげると思う。

◇ あらためて岸田政権が分配を重視するというが、それは労働への分配を資本への分配(利子配当)からもぎ取るということなのか。そのぐらいつよい決意でないと賃上げなどできない。といったら、「それでは世界の資本がにげていく」というだろうが、この国のどこが資本不足なのか、むしろ貸出先がなくてこまっているではないか。まことにおかしなことになっている気がする。金融の世界こそ合成の誤謬ではないかしら。

◇ ということで低賃金国になるには、時間はかかったが嫌味をこめていえば「かんたん」であった。そうなったことのいちばんの要因は、経営者がそう希望したからである。高賃金では競争できないと本気で思ってしまった。(おなじような条件下にあったにもかかわらず、他の先進国は経済成長と賃上げをなしとげているではないかというこだわりがある)

 ここで重要なのは1975年いこう政労使の話しあいの場としてたとえば産業労働懇話会が中央での対話ムードをかもしだし、また職域では生産性運動の普及などにより、ゆっくりとしたテンポではあったが対決型から協調型へと交渉の転換がはかられたことが、労働がわの「争議を背景とした交渉力」をしずかにそぎ落としていったと思う。つまり、経営がわの意思がかんてつされたといえるが、しかしこのばあいの経営がわの意思構造をつきつめれば経営における労務担当の影響力の沈降であり、役員会での労務問題の軽視であったといえる。対決型から協調型へまたその方法論としての話しあい路線はそれなりに果実をうみだしたが、はんめん平和すぎて労使が本質をみうしない非対称な労使関係をうみだしたのではないか、そしてそのことが低賃金化をリカバリーできない状況、つまり力の欠如をうみだし、くわえて労働にかかわるさまざまな課題への対応力をよわめたのではないかと、このあたりに筆者としても反省があるといえる。

 

◇ 二は、政府(政権)が低賃上げの副反応にきづくのがおくれた。あるいは経営者団体に遠慮して声をあげなかった期間がながくつづいたのではないか、つまり本格的に声をあげたのはここ7、8年おそらく第二次安倍内閣からであったと思う。声をあげたのは多としても経団連と連合にはっぱをかけて良しとするようでは仕事をしたことにはならない。わが国の賃金決定システムがすでに制度疲労をおこし波及効果をうしなっていることを直視し、本格的な(賃金決定の)構造改革に着手すべきであったと思う。 

 まあタイミングをいえば小泉内閣あたりがラストチャンスだったかもしれない。しかし小泉改革では、規制改革といいながらひたすら低賃金化をもとめる規制緩和がとりあげられ、とくに不安定雇用をかくだいするしくみを完成させたといえる。つまり政策の方向が逆向きであった。ちえぶくろがまちがえたのではないか、この点の評価は後世にまかすべきかもしれない。

◇ 三は、組織率(推定)が低位かつ漸減状態にあり、また労働協約の拡張適用が組織率にもおよばないという組織的に「広がらない」構造になっているにもかかわらず、いつまでも「春闘」にこだわり他の方法を発想できなかった。というように波及効果をうしなった「春闘」では中小零細規模企業や不安定雇用労働者の賃上げはむつかしく、構造的に賃上げのない社会になってしまった。

 低賃上げがつづくなかで、春の交渉時期になるとそうそうたる経営者が賃上げを巧妙ないいかたで否定することによって「賃上げ悪印象」をつよめるという、とんでもない反経済活動を展開することによって反賃上げムードが形成されていった。反賃上げムードは財貨・サービスの値上げも不可能にするわけで、いいかえればデフレ志向の要因のひとつは春の巧妙な反賃上げキャンペーンであったともいえるのではないか。デフレで苦しい苦しいといいながら毎年デフレキャンペーンに精をだしていたのだから、いいたいことはいろいろあるが、ここは「いうことないわ」にとどめておくことにする。

 そのうえこういった抑制策は賃上げだけではなく、社会全体の意欲や期待をも抑圧したのではないか。春には賃金があがるというのは人びとの購買意欲をささえるもので社会を明るくするものでもある。くわえて職場における不満をもふきとばす力をもっているもので、いってみれば活力源のひとつでもあるのだが、それをおさえこむどころか息の根をとめようとしたのだから、経済人が経済をわすれたとしかいいようがない。今日のわが国経済の劣位の原因のひとつかもしれない。

◇ 四は、産業別労働組合が雇用を優先せざるをえなかった。これは良しわるしではなく、わが国の労働組合の歴史にゆらいするもので、主要産業における産別機能が賃上げに集中しにくい実態がありその改善がすすんでいないといえる。つまり、組合員の雇用に責任をもつ企業別組合と、産業の労働条件の向上をめざす産業別組織との役割上のすき間を戦略的にうめることがなかなかできていない。たとえば「賃上げか雇用か」と問われ「賃上げも雇用も」と答えているうちはいいが、企業別組合はとうぜん「賃上げよりも雇用」と考えるだろう。そこで産業別組織が「雇用よりも賃上げ」といいきれるのか。ここが問題であって、雇用の流動化とセイフティネットの整備がない状況では賃上げを優先させることはむつかしかったと思う。雇用の流動化が労働者に益するばあいもありうるわけで、ほんとうに賃金をあげたいと政府が考えるのなら、「流動性の確保とセイフティネットの整備」に注力すべきである。労働者が安心して転職できる状況がないかぎり、流動化が賃金上昇に寄与することにはならないと思う。

◇ 五は、長らく政権をたんとうしている政党が「労働組合は敵」とかんちがいしていた。労働組合も未組織労働者の賃金改善をしんけんには考えてはいなかった。「そんなことはない、労働組合のほうが非自民といっているだけだ」あるいは「未組織労働者対策には力をいれている」との反論はただしい。だがそこまでにとどまっており、さらなる前進の意欲は感じられない。

 問題領域からながめれば双方ともに古いのである。不安定雇用の解消と労働条件の改善が世のためにならないとする論はないと思うから、賃上げという手法をとるのか、再分配を考えるのか、いずれにせよ双方が協力しなければすみやかな改善にはつながらないと思う。いまや2000万をこえる不安定雇用層の生活改善に力をあわせられないのであれば、(与党と労働組合は)それこそ旧態依然とした守旧派ではないか。

 残念なことは、より問題を理解しているはずの野党が、もちろんすべての野党とはいわないが、主張はするけれども解決できる力をもっていない、またおおくの人びとがそう思っているのである。待てない、時間がないのである。民間労組のなかにはそういった思いがあると思われるが、むつかしいところであろう。ルビコン川をわたれというべきか、わたるなというべきか、次々回あたりの雑考になるか悩ましいところではある。

◇ 六は、経済成長につながる規制緩和と、成長をだいなしにする規制緩和を整理しないまま後者だけを強行してしまった。前者はおもに経済規制であり、後者は社会規制である。社会規制を緩和すると労働条件の悪化をきたすことがおおく、わけても労働規制のばあい賃金低下をもたらしやすいといえる。

 近年では、二で述べたように小泉改革が労働規制の緩和にはしり、賃上げしにくい構造をうみだしてしまった。不安定雇用層の拡大はだれの利益なのか、おおきな問題があったと思うが、もし不安定雇用層の政治意識がたかまったときには規制緩和路線はきびしくきゅうだんされるであろう。政権のちえぶくろが規制緩和をまちがえて(わざとまちがえたともいわれているが)、賃金抑制のしくみをつよめてしまったわけで、だからいまさらなにを分配するのかという声になるのであろう。

 むかしは賃金の「下方硬直性」についてわいわい議論されたが、ここ30年のあいだに「上方硬直性」が顕著になった。これからは上方硬直性の実害のこくふくが議論の対象になると思われる。

◇ 七は、賃金を人件費としか考えない経営者がふえ、社内のコスト管理にくみこんだことから、賃上げが檻にいれられてしまった。この檻は、賃金は人件費であり人件費はコストだからコストはつねにマイナスサムでなければならないというコスト原理主義でこりかためられているのである。

 ふつうは、賃金には本人と家族つまり労働の再生産の役割があり、それが市場と新製品の開拓につながると考えるものだが、コスト原理主義者にはそんな理屈はつうようせず、ひたすら調達先もふくめ引き下げにはしる。こんなことを国じゅうでやりまくっているものだから、この国からデフレの黒雲がさることはなかった。ということから労働への投資がなくなり、マーケット(個人消費)がやせほそり、労働生産性ののびがとまった。水も肥料もやらずに収穫だけを期待されてもどうにもならない。やらずぶったくりではなかったかとも思う。

◇ 1990年代の労使交渉での議論のひとつに合成の誤謬があった。それは個別企業におけるコスト管理(賃金抑制)はとうぜんのことでそれは合理的な経営行為といえるが、そういった合理的行為を国全体でつみかさねると賃上げ不足の消費不況という意図せざる結果、すなわち誤謬をまねくというもので、「それはよくわかるが、残念ながらこの状況では賃上げできません」というのが労使会合終了まぎわの発言で、落語を聞きにきたんじゃねえよ、とついいいたくなったものである。

 また雇用者所得がのびないのに個人消費ののびようがないではないかといえば、「賃上げしてもおおくは貯蓄にまわるので個人消費増にはつながらない」と判でおしたような答えがかえってきた。いずれにせよマクロの議論とミクロの議論がまじわることはなかった。

 

◇ 一部の企業が好業績を背景に賃上げするのは「カラスの勝手」といえるが、それがひろく波及するのであれば社会貢献である。そのうえ所得税、地方税が増収ともなれば福祉の財源がでてくる。こういった好循環のスタートは「みんなの賃上げ」である。それを「成長なくして分配なし」といってしまったらおしまいである。なんといっても先進国のなかでいちばん成長のない国なんだから、だから成長の条件をさがしているのにどうして頭に「成長なくして」とつくのかよくわからない、そもそも選挙公約に分配が頭だしされたのは、お金を必要としているところに分配すれば好循環となるのではという着想が原点ではないか、それを今さら成長がさきだとはなんとも情けないことで「しっかりしろ」といいたい。

◇ くどくなって申しわけないが、窮乏世帯にちょくせつわたる貨幣はかならず循環する。そしてその一部は税として政府に還流する。富裕層は巨大な吸引器であるから、いちどすいこんだらなかなかはきださない。だすときは利子配当を要求する。政治的には富裕層とたいりつし追いこんだほうが有利なのにそうしないのはきっとなにかあるからと疑問がひろがる。選挙戦術もあるとは思うが、金融資産への課税あるいは利子配当課税のみなおしを、出口をきめなくてもいいからしっかりやることは国民への責務ではないか、いいだしっぺには説明責任がある。

 いろいろいってはみたが、落ちてみてはじめてわかる低賃金の罠から抜けだすのはなみたいていのことではない、のである。しかし、他の先進国は成長と賃上げをなしとげているのである。できないこともなかろう。また伸びしろがあると思えばいい。ふたたび「欧米なみ賃金」をスローガンにしてみるか。これは得意なパターンであり、案外いけるかもしれない。

◇ 蘆屋川(あしやがわ)松を侍らせ冬を待つ

《付録》

◇ 「春闘」あるいは「春闘方式」は1955年の八単産共闘共同行動が端緒であるといわれているが、労働組合だけが主役ではなかった。1975年の賃上げは、1973年の第一次オイルショックからはじまった狂乱物価をうけた前年の33%ちかい賃上げを鎮静化すべく国民経済との整合性に軸足をおいた自制的賃金要求により、12.9%に低下した。この結果をうけ1976年には狂乱物価終息宣言がだされ、日経連(現在は経団連)の15%ガイドラインが功をそうしたといえる。また経営者団体(日経連)と金属労協(1964年発足)との話しあいによる合意が、わが国のスタグフレーションからの早期脱出を可能にしたといえる。このように政労使の信頼関係こそが主役であったといってもいいすぎではないだろう。また、1975年11月にはスト権ストが失敗におわり官公労が後衛にしりぞくことになった。

 この1975年、『春闘終焉』(太田薫著)がだされた。春闘の発案者ともいえる太田薫氏本人がそういうのだからそうであろうし、であるなら76年からは呼び名をかえたほうが良かったともいえる。

◇ このあと、民間4産別が主導するJC春闘の時代がつづくが、経済整合性論にもとづく賃上げ抑制がたしかにインフレ防止の役割をはたしたといえるが、一発回答方式が労働運動にあたえた影響については、いまなお議論がわかれている。インフレ防止のための一連の賃金抑制策が、今日の「先進国のなかの低賃金国」の一因をつくったのかもしれない。さらにいえば、今日2%の日銀物価目標にとどかない原因のひとつがそのあたりにあるのであれば、まさにあざなえる縄のごとしであろう。

◇ さらにバブル崩壊、資産デフレとつづくなかで、1989年連合が結成され総合生活改善の取り組みとして賃金、時短、政策・制度の三本セットの時代にはいり、とくに90年代前半は時短が中心となった。

 1995年阪神淡路大震災のためNTT労使は早期妥結をし、また私鉄総連は例年のスト配置をとりやめた。

 この時期、日経連は 自社型賃金決定 、総額人件費管理、能力・成果主義の徹底をつよく主張しはじめた。これはあきらかに横並び賃上げの打破をめざす春闘きりくずし策であった。ということもあり、1990年代後半は産別統一闘争がおおきくゆれうごくことになり、2000年には鉄鋼労連の統一要求に対し分裂回答となり40年余におよぶ鉄の結束がくずれたといえる。

◇ 新世紀にはいりベアへの経営側の抵抗はさらに強まり労使関係は賃金交渉についてはまさに冬の時代をむかえたといえる。

 とくにITバブルの崩壊、9.11同時多発テロをうけた世界同時不況など労使をとりまく環境は厳しさをますなかで、希望あるいは早期退職が多発するなど雇用情勢もおおいに悪化した。ちなみに2001年6月の完全失業率は5%をこえている。

 同年10月連合と日経連は、「雇用に関する社会合意」推進宣言を共同発表し、使用者は、雇用を維持・創出し失業を抑制するとし、労働組合は、賃上げについては柔軟に対応することで一致した。中央労使が雇用優先を明確にしたことの意味はおおきかったといえる。

◇ 2002年5月、経団連と日経連が統合し、日本経団連(現・経団連)が発足した。新しい経団連は、春闘は終焉したと主張したが、春闘発案者といわれている太田薫氏の1975年の終焉宣言から四半世紀後、あらためて資本がわから終焉宣言がだされたわけであるが、さりとて賃上げの意義がきえさったわけではない。つまり、2021年段階で「分配」論が浮上することこそが、なにが問題であったかを雄弁にものがたっていると思われる。

◇ 2002年からさらに経団連の方針は、ベアは論外、定昇も凍結・見直しというもので、デフレスパイラルを危惧しながらも、さらにデフレをふかぼりするという見事(?)なものであったが、対応する連合もこらえきれず、ベア中心からミニマム重視へと転換せざるえなかった。

 1990年代後半から中国への投資が拡大し製造業を中心に中国の世界の工場化がはじまったといえる。2000年代にはマーケットとしての魅力とまだまだ安価で豊富な労働力をてこに中国沿岸部の工業化がすすみ、わが国からの工場進出も加速されたことから、逆に国内の空洞化がすすみ、主要な製造業拠点ではシャッター通り現象が日常化するようになった。

 いわゆるグローバリゼーションの嵐が先進国製造業を痛撃し、国際競争の荒波の中で国内立地改善のためさまざまな産業政策が展開された。

◇ 2004年あたりから景況の回復が見られ、のちに「いざなみ景気」といわれる戦後最長の経済成長が続いたが、ベア要求の復活は2006年春をまつことになった。しかし、ベアを蛇蝎のごとく忌み嫌う経営側に配慮したわけではないが、表現は「賃金改善」にかえられた。これは、平均、一律方式の見直しのながれのなかで、個別企業内の賃金構造がさまざまな見直しにより必ずしもベアという表現がひとりひとりの組合員にとって明示的ではないことから、ベア分もふくめ総合的に賃金改善としたほうがわかりやすいという現場志向の配慮の面がおおきかったともいえる。グローバリゼーションの影響もあってか、国内従業員数が減少し、高学歴、専門職社員比率が急速に上昇するなかで賃金あるいは処遇の個別管理もすすめられ、労働組合の事情においても脱春闘型交渉が求められたとも考えられる。ここは労使ともに国際競争の激化、あるいは最適地生産のふるいのなかで産業、企業の生き残りをかけた労使の苦闘が土台にあることを理解するひつようがあるのではないかと思う。

◇ 労使の苦闘でなんとか労使交渉を維持し、賃金決定権を死守していたが、2008年のリーマンショックがこれらの努力を無残にもうちくだいたといえる。おおくの企業別労使はいわゆる正社員の雇用維持で手いっぱいとなり、不安定雇用層への対応がエアーポケット化したことから全国的に離職者が急増した。矛盾の露呈ともいうべき派遣労働者の解雇(雇止め)は社会問題としてうけとめられ、職場が大企業であっても雇用形態別に処遇格差があり、ばあいによっては生活拠点をうしなうという悲惨が待ちかまえていたのである。

◇ リーマンショックから回復しつつあったわが国をふたたび大災害がおそった。東日本大震災である。地震、津波、原発事故と三重の災厄であった。また天災と人災であった。2011年は定昇維持と一時金微増で、2012年は前年の震災の影響を受け一時金の落ち込みがおおきかった。

◇ 2013年12月、第二次安倍政権は経済の好循環実現に向けた政労使の取組みをテーマに政労使会議で議論し、経済の好転を企業収益の拡大につなげ、それを賃金上昇につなげていくことが必要であるとまとめた。

 賃上げが日本経済と景気の回復に不可欠であることの認識は、政労使においていくどとなく確認されてきたうえに、総理のつよい要請がつたえられるや官製春闘と揶揄されるようになった。また、最賃額の引き上げも近年にないピッチですすめられた。

 とはいえ、先進国に劣後するわが国の賃金事情が飛躍的に改善される見込みがたっていないことも事実である。政労使が共通認識にたちながらも改善できていないこの事実の存在はおおきいといえる。ことは経済成長の根幹にかかわるもので、雇用者所得の向上がいかなる方法をもってしてもできないとなるとこれはもう日本病といわざるをえない。不治の病なのかと憂えるものである。

◇ という文脈から岸田氏が自民党総裁選において新しい資本主義をうちだしたことには、期待をあおる一面があったことは事実であろう。ようは20年余にわたって賃上げが不首尾であったこと、また15年にわたって政労使が改善をこころみたが、これも成功しなかったという事実と現実をまえに、ほんとうに賃上げができる国になれるのか、という相当にシビアな問かけがうまれているのであるが、それに岸田政権がじゅうぶんな答えをだすことができるのかということであろう。だから期待しながらも危うさも感じるのである。

 それは、2000万をこえる不安定雇用の賃金をどうあつかうのかという労使関係のない世界でのあらたなしくみ作りを、労使の手にゆだねてもやりようがないのではないかという思いと、ではどうすれば当事者つまり使用者と労働者を規定できるのか、またそれが機能しないときの賃金水準の決定と執行担保が可能であるのかといった根の深い問題が浮上するなかで、むつかしい問題だけにだれが情熱をもってやり遂げるのか、そもそもそんな人物がいるのかなどいろいろと考えれば、国会で制度設計するしか手はないのではないか、ということであろう。

◇ 今回の雑考はやや経営者をいじる風であったが、もちろん意図的にそうしたのであるが、そのうえでもっともいいたいことは、経営者として社会全体の賃上げをおさえこむことはできても、その逆はできないという基本原理を理解すべきであるということである。その事例が、2000万をこえる不安定雇用層の賃上げが政府からも切望されているのにその方向でまとめることができる者はいないのである。いってみれば労使関係のおよばない世界になってしまっているのであり、それは意図してそのような構造にしていることから、原因者の経営者団体はてだししてはならないのである。旧態依然として時代の変化に頓着しない春闘を解体し、高賃金すなわち高コスト体質からの脱却をはかった一連の活動に意義がなかったという理屈はないと思う。しかし、事態が反転し適切な賃上げが必要であるという時代にいたっているのに、どうしてかうまく対応できない経営者を筆者は今日における旧態依然とした守旧派と批判しているのである。ただし、上述したようにすでに問題が労使の手のとどかない領域にあることもわかっているので、これ以上ふれるつもりはないが、了解はせずともせめて沈黙をしてほしいと思う。

 おそらく、不安定雇用層の賃上げの成功確率はひくいと思われる。とくに、中小零細の雇用主の説得がきっきんの課題になると思われるが、経営者団体がここで抵抗線を構築すれば賃上げがとんざする確率は残念ながらたかくなると思われる。余談であるが、雇用主のおおくは赤字経営のなかにいるので減税策はインセンティブにはならない。

 もしこの世に公正な物差しがあるとすれば不安定雇用層のおおくが不公正な処遇であると明示されるのではないか。ここで、社会正義をもちだすつもりは毛頭ないが、世の中の信頼感がたかまることが経済を支えるためにも重要であると思う。

◇ 今日、輸入物価の上昇をうけ値上がり品目がふえている。消費者に値上げを受容してもらうことは大切であり、消費水準を維持向上させるうえでも重要といえる。では不安定雇用層の賃金改善はどうするのか。値上げはするが賃上げにはおうじないという姿勢が通用するとは思えない。サプライチェーン全域での価格引き上げを考えないと、「成長もなし分配もなし」という無間地獄にもにた洞窟にとじこもることになるのではないか。呼び水は水をもっているものにしかできないことで、社内留保を倍増させた企業こそが呼び水を提供すべきではないだろうか、またそのリターンは多様にひろがるものと思う。

参考資料:「特集―2015年春季労使交渉の動向『春闘六〇年の軌跡』」(JIL調査・解析部長 荻野登、[Business Labor Trend 2015.6])

加藤敏幸