遅牛早牛

時事雑考「立憲民主党の再生なるか?遠ざかる二大政党制 (その1)」

◇ 苦境にたつ立憲民主党の新しい代表が11月30日には決まる。政党は公器であるからその動向には衆目が集まり、とくに代表選についてはその過程と結果は人々に何かしらの政治的感慨をもたらすものだが、残念ながら今はブルーな空気が漂っている。

 これではいけない。野党第一党の代表選が浮かない顔つきでは、わが国の政治そのものが危うくなる。そこで陳腐な表現ではあるが意義ある代表選を経て12月の臨時国会では新代表の鮮烈なデビューが見られることを期待しながら、余分なことではあるが「なぜこうなったのか」についての管見を述べながら新代表への祝辞としたい。

◇ 先ずは、「立憲」なのか「立民」なのか、あるいは「民主」なのかである。略称はたんなる記号ではあるがハッシュタグとして広範なコミュニケーションを支えるものである。だから、まとめたほうがよいと思う。

 そこで、憲法改正をめぐる今日までの経緯を考えれば「立憲」はあきらかに左派であることを宣言するもので、他方「立民」は中道左派を中心とする中道までの領域宣言であり、「民主」は中道右派をも包含する風呂敷のようなものであるが、反面「もふもふ」感が強すぎるのと実行力の欠如を連想させるところが弱点かもしれない。

 ここは「立憲民主党とは何者ぞ」と問われているのだから、自分たちが描く自我イメージと有権者がもっているイメージをできるだけ近似させる努力つまり修正が必要であると思うが、そういう議論が欠けているのではないか。

◇ また、ブランドとは「らしさ」から始まると考えれば、まだまだ立憲民主党らしさが未集約であるといえる。にもかかわらず「批判ばっかり」といったレッテルが先行しているのが妙な具合で、それもほんの一部の議員への指摘なので、かなり印象操作されていると思われる。しかし貼られたレッテルを剥がすでもなく、またそれ以上に強烈な別のレッテルをみずから貼るでもなく、ただ「批判ばっかり」といわれるポジションに安住しているだけではないか、積極的にイメージ修正を怠ったことは反省すべきではないか。

 放置しているからマイナスイメージとして定着したのである。こういった議論は大切で、おそらく党内においても立憲民主党らしさをどこに求めるのか、さまざまな検討がされたと思うが、この党には闊達な議論をするには難しい何かがあるのかも知れない。

 さて、リベラル、進歩主義、改革派、理想主義、環境派、ジェンダー、反新自由主義、反原発...とさまざまな記号となる言葉を思いうかべ、また党首の保守本流発言もあったし、ふりかれば応援団もメディアもずいぶん幻惑されたといえる。また野党第一党としてのイメージがなかなか定まらない状況にあって、限定的とはいえ共産党との閣外からの協力路線の表明は、政治的に中道に位置する人びとにとって「とどめ」的であった。たとえれば、まだ固まっていないコンクリートに大きな足跡をつけた感じである。だから立憲民主党に少なからず関心をもっていた有権者としては、いきなりの左展開とその生々しい刻印に呆然とならざるをえなかったのではないか。コンクリートが固まってさえいれば足跡が克明に残ることもなかったのに、というのが筆者の感想である。

◇ おそらく立憲民主党の過半のメンバーは、中道あるいは中道左派という自己認識をもっていると思われる。また、日本共産党(以下共産党)との選挙協力についてはどちらかといえばビジネスライクに受け止めていただけではないか。さらに小選挙区のしくみからいって候補者の一本化はあって当たり前と思い込んでいたのではないか、だから選挙後に共産党との協力関係が議席減につながったと批判されても、「言われるほどの大問題だとは思わなかった」といった感じで、いまだに腑に落ちていないと思われる。腑に落ちていないから代表選では厳しい争点にはならないと思われるが、世間的にはやや狐につままれた感じであろうか。

◇ この点についてさらに注文をつければ、まずオール連合の支援が難しい状況を自分たちが作ってしまった自覚がないと思われる。むしろ民間労組が離れていることを非難がましく受け止めていたようで、候補者たる議員が「なぜ政権交代へ全力で応援してくれないのか」とこぼしているという話がたびたび聞こえてきた。経過の反省もなく一方的に不満を鳴らされるようでは、支援を求められる側としては、候補者としての最低限のわきまえすら忘れているのではないかと難詰したくもなる。ずいぶんとギスギスしてしまったが、新代表は戦後の労働運動史をふまえ関係修復を図るべきであろうが、もちろん党全体としてその気があればの話である。

 ついでに言えば、党風すなわち政党としての自我が完全に確立するまえに異なる体質との連携を試みたわけで、たとえば歴史を共有し、かつ政策的にも支援組織的にも親和性をもつ国民民主党との連立政権協定が結ばれていれば、展開が変わっていたかもしれない。歴史に「if(イフ)」はないといわれるが、いろいろと思索を巡らせるなかで行きつくのは、昨年の合流は何であったのかという疑問である。完全合流はできなかった。また現国民民主党を残存させてしまった。そしてその残存勢力が議席を伸ばしたという事実が、胸に突き刺さり出血しているように見える。今おこなわれている代表選においてこの点が明確にされなければ路線論議は始まらないと思う。

 

◇ 「戦略としての合流」が、ただの吸収合併に堕した時点で政権交代は未完の事業になったといえる。「大きなかたまり」が目指すものは旧民進党時代への復旧ではないだろう、いずれ政権交代をという大望がなければそのような話にはならないのであるから、そこは是としたうえで、その大望をはたす橋頭保としての2020年9月の合流は、せっかくの好機であったのに惜しいことをしたものである。中道から中道右派をごっそり囲い込める機会を自らの手で捨てさり、左派の砦に閉じこもってしまったようだが、これではこの国の政権を手にすることはできないであろう。あえていえば、綱領から原発ゼロを引き取り、たとえば玉木雄一郎氏を党首に据えるぐらいの胆力があればこそ天下を望めるというもので、与えることは取ることだから、まず与えることから始めるのが定石といえる。

 直近における筆者の評価をいえば、2020年9月の合流の内容ではいくら温めても孵化しない、それは有精卵ではないからである。したがって当然政権交代というひよこは生まれないのである。残念ながらここまでは昔語りで過ぎ去ったことである。しかし、ここのくだりをしっかり述べておかないと全体像が見えてこないだろうし、冒頭の「なぜこうなったのか」に答えることにはならない。いわば幾何の補助線のようなものである。

 ということで、筆者は落胆と安堵という、とてもひどい背反感情に襲われている。落胆と安堵についてはいずれと考えている。

 

◇ さて話はもどるが、いってみれば新たな顧客層への対応に失敗したわけで、たとえば昨年9月の合流以前の立憲民主党であれば、共産党との「連合政権」は無理としても、その手前ぐらいは案外許容されたかもしれない。とくに2017年の総選挙で「立憲民主党」と書いた有権者の多くは共産党との境界線をあまり気にしない政治感性をもっていたように思う。つまり、許容あるいは見て見ぬふりをしてもらえた、といえるほどに有権者側に幅広のブランド解釈があったのではないかと思っている。

 ところが、中道あるいは中道右派的であった旧国民民主党からのメンバーを抱えこんだ2020年9月からの党内構成を考えれば、共産党サイドに引き寄せられた路線では合流した側の支援者から、左傾化していると受けとられても仕方がない、むしろそれが大多数の認識であったとなれば、小選挙区では候補者個人名を記したとしても、比例票は「白票」あるいは「他党名」を、また案分されることを知りながら「民主党」と記したのではないかという推理はあながち間違っているとは思えない。そして、これが小選挙区増でありながら、比例区減が生じた真因ではないかと思う。

◇ 神津前連合会長は「大きなかたまり」が必要との認識にたち両党の合流を促進してきたと、また一貫して共産党との連携には異を唱えてきたと報道されている。しかし、公的な発言とはべつに機微に触れるニュアンスなどについては不明であるので推察には限界がでてくるが、反対なのか賛成なのかといえば発言は反対であるから、連合としては野党総結集といったモメンタムを意図することはなかったといえる。ただし、立憲民主党に所属する連合系の議員が個々にどのように考えていたかはこれも不明であり、またその議員を擁立している産業別労働組合(多くは官公労系)としてどの程度の野党結集を頭に描いていたのか、これもよくはわからないといえる。

 つまり、立憲民主党を支える労働組合の意向を無視して、共産党との協力関係を進めることは常識的には不可能であると思われるので、この論点に限って没交渉であったのか、あるいは暗黙の了解があったのか、あったとして暗黙の了解の範囲が人的にどこまでおよんでいたのかなど、少なくない疑問が浮かんでくるのであるが、筆者の仕事は調査稼業ではないので、これ以上の詮索はやめるが、最後まで神津前連合会長の、共産党との連携を否定する発言の扱いが政治の現場では妙に軽いというか、立憲民主党ってそんなに偉いのか、それじゃあ支援する側の会長に失礼ではないかとつぶやいてしまうほどの「違和感」を感じていたのである。

 くわえて、連合首脳発言が軽く扱われる条件とは、あるいは状況とはどんなものなんだろうと、純粋に好奇心から探索するのであるが、これがなかなかの難物であって、あれだけ神津前連合会長が「共産党とは駄目よ」と言っていたのに蓋をあけてみると過半の選挙区では混淆状態になっていたではないか。そのうえでの議席減とは、結局前会長の危惧が現実のものになってしまったとしかいいようがないといえる。 

 これは難しい事態に至っていると思う。とくに連合と立憲民主党の関係である。この先、共産党との関係をどうするのか。既成事実化するのか、あるいは清算するのか。こういった場合、常識的には公党優先であるから、連合は劣後債を掴まされたに等しいといえるのではないか。まさかわかっていながら掴んだわけではあるまい。だから、先ほどの暗黙の了解がありえたのか、まさに奇々怪々といわざるをえないのである。来年夏の参議院選挙に向けての課題は軽トラでは運べないほど重たいのではないか。

◇ ところで代表を目指す4人衆はこの野党共闘の枠組みの構築過程をどのようにとらえていたのだろうか。聞いてみなければと思うが、真相は「深くは関与していない」ということではないだろうか。ここで知る権利とかを主張することはないのだけども、代表、幹事長、選対委員長あるいは国対委員長をふくめた、ごく限られたメンバーによる精力的な交渉や調整なくして200を超える絞り込みは不可能であったと思われることから、実際のところは濃密に作業が進んでいたに違いないと推察するのであるが、そうであるなら、とうぜんのこととして来年夏の参院選挙をもある程度視野に入れていたのではないかと思われる。つまり、相当早い段階から先々までの「話はできていた」のではないかと素人にだって想像はつく。しかし、そんなことを今問題にしようというわけではない。

 これからの路線をどうするかが最大の問題であるにもかかわらず、代表選のやり取りを見聞するに、新代表にだれがなろうとも野党共闘路線は既定であるかのようなムードがながれていることから、実はそういったことを予定したうえでの代表辞任と代表選のセット販売だったのではないかと。だから代表選のゆくえによって野党とくに共産党との協力関係が変わりうるといった蓋然性は高くはないのではと疑問が確信に変わっていくのである。そして、代表選の議論をくぐり抜けたことで共産党との協力関係はおおむね是認されたという「見えている結論」が用意されているのではないか、という推察もありえると思われるのである。

 この推察には、もちろん多少の予断がふくまれているが、そういった予断を起こす原因のひとつは、党内での選挙総括が結審していないところにあるのであって、それが4人衆の歯切れの悪さの原因にもなっているのではないか。だから「経過と今後の方針」を宙に浮かせての代表選については疑問があるといいたいのである。

 (「限定的な閣外からの協力」とは代表談話なのか、執行部の交換文書なのか、あるいは批准された条約なのか、筆者には見当がつかない。確としたものなら破棄あるいは書き換えをすればいいのだが、あいまいなものほど扱いがむつかしい。イメージだけが残っていくのではないか。)

 

◇ ということから、枝野前代表には路線を変える気はない、なかったと推察する。その気があるのなら辞任せずに自分でやっただろうし、もともと枝野前代表以外にやれる人はいないわけで、「立憲民主党は枝野にはじまり枝野におわる宿命を背負っている」という見方があたっていると考える者には、今回の代表選が人形劇に見える瞬間があるのかもしれない。

 ここらあたりは相当に頭のいい人がシナリオを書いているような、筆者としては久しぶりに興奮を覚えるもので、話はかわるが50年前の時代にセクトの連中に目をつけられた時に感じると思われる戦慄のような感覚、う~んすこし違うか、まあ買いかぶりかもしれないが。

◇ さらに解明すべきこととして、なぜ野党共闘に多くの議席を与えようという政治的モメンタムが生じなかったのか。とくに小選挙区では30余りが接戦であったといわれており、仮にそれらの選挙区で逆転していれば自民党の単独過半数割れもあったのではないかといった、少し悔しさをにじませた解説が少なからず見受けられた。確かにここもポイントのひとつであったと思われる。

 その原因は、アベ・スガ政権への批判という政治的モメンタムと、共産党の協力をえるエダノ政権樹立という政治的モメンタムとはもともと異質なもので、決して同じ地面に存在しているものではないということであろう。接戦ではあったがけっして逆転しない構造は、よく夢にでてくる近づけば近づくほど遠ざかるあの嫌な構造によく似ていると思う。

 また、立憲民主党がブランド的に未確立なところが多く、有権者にとってよくわからないとか、あるいは幅のあるものと受けとめられていたようで、たしかに一人ひとりの議員を見れば、ベテランも多くイメージがはっきりしているのだが、問題は集団として、政党としてどうなのかということであろう。

 そういえば民進党時代は衆参まとまっていたのは2年程度であり、立憲民主党は4年であるが、同一ブランドではなかった。短期間に再編、離合集散をくりかえした結果、有権者にしてみれば政党イメージが定着する暇もなかったのが実情であろう。それを端的に示しているのが低い政党支持率であると思う。ここにもブランドをおろそかにしてきたツケがでているのではないか。

◇ ブランド問題でいえば、たとえば文書通信交通滞在費についても「日割り計算」で決着をはかろうと自民党国対と足並みをそろえているように見える。この問題は初めてではなく積年の課題であって、日割り計算はあたりまえで、すでに論点は使途説明に移っている。非課税である以上説明を求められるのは当然であろう。であるのに、なぜ早々と国対委員長二人が、やってあたりまえの日割り計算で幕引きを図るのかと疑問をもっている者は多い。

 実はこういった国対政治的側面が、立憲民主党のイメージを傷つけていることに早く気づくべきである。「批判ばっかり」というレッテル貼りには不公平な面があると筆者は同情してはいるのだが、一方で強く鋭い言葉とは裏腹に国対政治的な妥協が安易になされているのではないかという疑問がある。そういった妥協先行の体質に対し「ばっかり」という言葉が投げつけられているのではないか。

 野党が政権批判をするのは当然のことで、責務といってもいいぐらいであるが、そういった入口にある使命や精神と、出口での国対政治との大きなギャップに違和感をもつ人が多くいるのではないか。昨今の国対政治的体質には「ほぼ自民」ではなく「まるで自民」的要素の萌芽が見られることから、野党共闘への不信につながってはいけないので、この際スタイルを変えたほうがいいと思う。

◇ さて、選挙協力を進めるにあたり野党勢力の結集が叫ばれたが、その際の結集の大義として、たとえばアベ・スガ政権への有権者からの批判が前提となっていたと思われる。しかし、相手はさっさと表紙を変え、巧妙な争点はずしを図ったことから、アベ・スガ政権への批判がおおきなモメンタムを引き起こす引き金にはならなかった。

 そこで、そもそも論でいえば「大きなかたまり」の必要性の根っこには選挙対策という動機があるのだから、そうであるのならいっそのことレンジを維新(日本維新の会)をのぞくオール野党にひろげた方がより合目的的ではないかというのが、政策よりも政局に軸足をおくグループの従前からの主張であり、筆者は賛成しないが戦術論としてはありえるといえる。

 一方、前連合会長らの「大きなかたまり」論は決して大きいものではなく、中程度の「旧民進党規模への復旧」を意図する中途半端なものと受けとられたのではないか。しかし、政治団体ではない連合の、労働団体としての教養というか矜持としての規範もあり、どこまで行っても目的が違うものとの連携については潔しとしないという原則が歯止めとして機能したといえる。ではあるが、同時にそれは連合の政治アクターとしての限界を示していたともいえる。

 ここで「共産党をふくむ準オール野党の結集」と「旧民進党規模への復旧」という選挙戦略上の乖離が生じていたが、立憲民主党としては連合内の不満を知悉しながらも、すでにルビコン川を渡っていることから予定通り突き進まざるをえなかったということではないか。くわえて選挙調査もさまざまであり、ブレーキを踏む根拠もタイミングもなかったというのが真相であった気がする。

◇ やや振り返りが濃いような気もするが、実は11月30日の代表選を経て「それからの立憲民主党」がはじまるわけで、ここで顛末の子細をあきらかにせずして「それから」を考えることは難しいと思われるので、あらためて要点を振り返ったわけである。

 ということから、二つポイントがあったと思われる。一つは、党運営が多分に専制的であったこと、もう一つは昨年の合流が生煮えであったこと、である。前者は権威主義的な党運営からもたらされたもので、所属議員とその支援者からもしばしば指摘されていた。そういった特定グループによる専断運営に党内民主主義が追いついていない状況のなかで、共産党との選挙区調整を中心とした選挙協力のレベルが、限定的な閣外からの協力という政権運営にかかわる重大な取り決めへと大きく格上げされたにもかかわらず、そのことに多くの議員が参画していないような不協和音が鳴ったのは、意思決定や機関運営に問題があったからではないかと思われる。

 また後者については、「選挙を考えれば小異を捨てて大同につくべし」との理屈が先行しすぎて、もっとも大切な支援者を置き去りにしてしまった、いわば「主客転倒型の議論」を強行したことから、戦略的合流をめざしたのにただの合併に終わってしまったといえる。支援者あるいは支援組織から祝福されないことが多くの問題を起こしていると思われる。(ここで主客転倒型といっているは政党合流の基本は支援者の理解が前提であるにもかかわらず、支援者の賛同なしに強行することを意味する。)

◇ 選挙にかかわる調整はとかく独断専行を招きやすいものであることは、ある程度周知されているとはいえ、調整の内容が限定的な閣外からの協力という高度な連携に呼応しているものであれば、それはすでに「連合政権」を前提にしているからこそ使用できる用語であるといえる。ここが重要な論点となるのは、共産党は事実として連合政権を前提に立憲民主党対応方針を確定し、選挙協力と首班指名を貫徹していると見るのが妥当であって、生半可な決心ではないと思われるのに、対する立憲民主党の内部は極めてあいまいな認識にあふれていたということである。まるで重要な情報を与えられていないかのような立ち居振る舞いであった、と思う。政策協定に類する文書については、「市民連合」が仲介したと紹介する報道もあったし、もちろんそれも事実ではあるが、問題は主要な二つの政党が一体いかなる約束をしたのか、ないならないと、あるなら堂々とその内容を開示するべきではないだろうか。

◇ もし、連合政権という用語が主に閣外協力を意味するものであれば、「閣外協力」も「限定的な閣外からの協力」も中身に大差がないということで、気持ちはすでに連合政権モードといえる。いずれにしても、首班指名と閣法については同一歩調をとることを意味するものであろうが、はたしてそんなことが現実に可能なのか、過去の法案対応からして疑問の残るところである。また、閣僚をおくる閣内協力ではないので、行政府とは連帯するものではない、という政治姿勢には注意が必要で、ここには立法と行政における役割と責任を分離する深謀があると思われる。歴年の政府提出法案に多く反対してきた政党が政権に参加するときの障害が現代と過去との違背である。たとえば村山政権時に旧社会党の表看板であった自衛隊違憲を修正せざるをえなかったように、難しい問題が発生すると思われる。連立政権を攻守同盟体とすれば、今回連合政権といわれているものの正体は、限定的な閣外からのという修飾語をつけた分さらに不安定になったと筆者は考えている。とくに限定的というのは是々非々に近いもので、賛否はこちらの都合で勝手に決めますではどうにもならない。うがちすぎかもしれないが、少数政党による支配という巧妙な仕掛けであって、キャスティングボート効果の最大活用とも考えられる。

 こういった議論が立憲民主党内で十分こなされての「限定的な閣外からの...」発言なのか、とくに連合系議員がそのことを十分咀嚼していたのか、咀嚼したうえでの賛成であるなら、筆者としては30有余年前の労働戦線統一を思いだしながら少なからず慨嘆するのであるが。まあひとこと「勘弁してよ」と。

 

◇ 筆者が危惧するのは、明らかに立憲民主党内には情報格差があり、そのことによる党内分断がすでにあるのか、これから起こりうるのか、という危機的状態であって、野党第一党がさような事態に至ればわが国の民主政治が危殆に瀕するではないかということである。願わくば、代表選の4人衆がことの重大性に気がつき間違いのない道を選ばれんことを。

◇ さてこれからの政局であるが、分析は3事限に分けてなされるであろう。一つは「自公事限」、二つは「中道事限」、三つは「立共事限」である。ここで、残念ながら紙幅の関係から次回へつづく、といたします。

◇ 着く船に鷺も烏も盗み来る

 

加藤敏幸