遅牛早牛

時事雑考「2021年暮れゆく年の瀬に、沸々たるもの少しあり」

◇ 今年もあと三日となりました。新型コロナウィルスに翻弄された一年でしたが、政界も総理交代と総選挙で大きく変わりました。また、延期されていたオリンピック・パラリンピック東京大会は無観客ベースで何とか形を整えましたが、課題山積だったといえます。オリンピックのブランド価値はまだまだ健在といえますが、国際オリンピック委員会にとっては自己革新が求められる時代になったといえます、、、、「自己革新が求められる」ということは「多分できないだろう」とみんなが思っているということです。

◇ 新型コロナウイルスはオミクロン型まで変異しました。この先どうなることかと心配されます。パンデミックは社会のストレステスト(過負荷試験)といえますが、テスト(試験)というより本番そのものです。来年も真摯に対応していかなければなりません。また、ストレステストは社会の患部を白日の下にさらしました。この二年間で思いもかけない多くの問題が明らかになりました。対策の強化が望まれるところですが、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ことにならないようにと願うばかりです。しかし、「多分忘れるだろう」とみんなが思っているでしょう。

◇ 先進国の中の低賃金国から抜け出せない状況が続いています。成長なくして分配なしという人がいれば、逆に分配なくして成長なしという人もいて、堂々巡りが続いています。そんな中、新しい資本主義という看板を岸田総理が掲げました。まだまだ並べられる品物が見当たらないようです。さっそく元総理がアベノミクスの継続が必要だとけん制していますが、異次元の金融緩和という底なし沼からの脱出はとうてい無理だし、「三本の矢」という成長戦略もいまだに不発のようで、「どうでもいいじゃんアベノミクス」とみんなが思っているのでしょうか。ところで、「新しい」といった時はかならず陳腐な議論に終わるもので、「多分新しくはないだろう」とみんなが思っています。

◇ 低賃金国のまえに低成長国としての課題があり、経済をめぐる数字やランキングをみるかぎり比較劣位国の風情でありますが、その風情のうちに今年も暮れようとしています。除夜の鐘も20撞を過ぎるとあとはどうでもよくなりますが、各種ランキングも同様で、なんとなく衰退のなかの安気さに浸っているように感じられます。

 そういえばひと昔前には、「六重苦(円高、経済連携協定の遅れ、法人税高、労働市場の硬直性、環境規制、電力不足とコスト高)」が、経済界から「うまくいかない」理由として悲鳴さながらに突きつけられました。六重苦のうち前の三つは改善されたようで、残る環境規制は今やわが国だけのものではないし、電力不足とコスト高は原発の扱いで少しは改善されると思われます。ところが、労働市場の硬直性だけは経済界の意向には沿っていないようです。

◇ とはいっても、六重苦の多くは解消されたのですから、いよいよ経営者の出番ですね。といいながら、内心ではほんとうに大丈夫かしらと思っています。というのも、わが国経済の不調の原因が企業数において99.7%をしめる中小企業などにあり、それは半世紀以上前から「二重構造」として議論されてきたにもかかわらずあまり改善されていないからです。また、何百万人もの企業経営者が突然パーフォーマンスを改善できることも期待できません。この二重構造という問題設定がはたして的確であるのか、まだ判断に迷いもあるのですが、企業間の付加価値の分配にマクロ経済発展に逆行する不公正な構造があると考えています。岸田総理の賃上げ支援策を否定する気はありませんが、この構造問題への切り込みなくして「みんなの賃上げ」は不可能といえるでしょう。

 これは、大手企業にとっても重要な課題で、わが国経済が全体として活力を回復することなしに個別企業のさらなる発展は難しいと思われます。経営あるいは経営者団体の存在意義をかけて奮闘願いたいものです。

◇ さて、あれこれとできない理由を振りまわすのはみっともないから、労働生産性の前に経営生産性を議論してみたらとぽつりといい、また「あの時は結構いいたい放題でしたね」と嫌味の一つもいってみようかな。ともかく今は経営者の手腕が問われていることだけは間違いないでしょう。

 たとえば製造業でいえば、円滑な価格転嫁を認めるのが第一歩で、労働市場の硬直性が問題というのであれば価格転嫁の硬直性のほうがもっと問題ではないでしょうかと返したい。そもそも原材料の価格上昇を常に経営努力で吸収できるはずがないことは周知の事実で、要するに納入業者の負担とすることで、関係する労働者の労働条件を改善させないどころかさらに悪化させていると思われます。こういったことを日本国中でおこなえば全国の中小企業は疲弊してしまい、雇用者所得が漸減していくのは当然です。危機やショックが起こるたびに身を削りやせ細っていく日本、どうして堂々と価格を上げないのか。これこそ現代版の世界の七不思議ではないでしょうか。安くて立派なことは、決してほめられたことではない。均衡点まで値上げして労働に分配すべきと考えるのが普通ではありませんか。

 

◇ というわけで、デフレの克服あるいは脱却を基本スローガンにしている割には足元が見えていないといえます。この国で起こっていることは、みんなで汗をかいて苦労を重ねて貧乏になりました、という天下の珍事といわざるをえません。人を大切にする経営というのは結局ウソで、本当にそう思うなら、汗と涙の結晶を一円でも高く売るべきです。現場が頑張っても経営者が安売り、たたき売りをしているかぎりこの国の産業の未来はないということでしょう。

◇ 少し気を悪くされたかもしれませんが、世界の先頭を切ってドジなこけ方をしたわけです。そしてこれは他国にとっては大変参考になっているようですが、問題は役には立っているが少しも尊敬されていないということで、大変悲しい物語といえます。政治家とか政党がどれほどこの実態を理解しているのか、一度ストレステストを受けてもらいたいと思います。

◇ 来年こそ、経営者と労働者が一致団結し、正当な価格転嫁をどんどんやりましょう。といっても「そりゃ無理だ」とみんなが思っています。(残念)

 今年はこれで筆納といたします。新年は、政局あるいは政界三分の計、賃上げと雇用すなわち産業別と企業別労働組合の相克、感染症対策、政治と労働の深淵などを予定しています。一年間「遅牛早牛」をお読みいただきありがとうございました。

◇ 串柿が届きし日に筆しまう

加藤敏幸