遅牛早牛

時事雑考「やはり環境問題でしょう、頭の痛い」

 「国連気候行動サミット」が922日開かれた。報道ではスウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥンベリさんが大きな注目を浴びた。発言や立ち居振る舞いもさることながら、多くの国で確認できないが400万人以上が彼女に同調し、授業を休み座り込むなどの行動(Fridays For Future)をとっているという。その影響力に各方面が驚いている。「われわれを失望させることは許さない」と思いつめた鋭利な迫力が世界を駆け巡り、例によってプラスマイナスの反応を生んでいるようである。

 若い世代がこの先何十年かの地球環境に強い関心を持つことは当然で、平均気温が2℃以上も上昇すれば、地球上の生態系が破壊されその悪影響がもたらす災厄は計り知れない。被害という言葉を超える壮絶な悪事象を想像する力や、それらに対する感受性に世代間では違いがあることは間違いのない事実であろう。

 32年前の話であるが、1987年の民間連合の発足を期して、若年層の意識調査が行われた。その調査で政策・制度課題の優先順位を聞いたところ、トップが環境問題であった。当時の竪山会長(故人)が、報告書を眺めながら、「意外だけどなるほどなあ」とつぶやいていたのを覚えている。

 そのアンケートに答えた若者たちもすでに50歳台である。グレタ・トゥンベリさんの映像を眺めながらどう感じただろうか。知りたいと思う。

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時事雑考「臨時国会、野党は足並みをそろえ、しっかり議論を」

◇ 来月4日から臨時国会が始まる。20197月の参議院選挙の結果を受けて、顔ぶれも新たに久しぶりの活発な論戦が期待できそうである。ここ三か月あまり国会は本格的な議論を閉ざしたままであった。官邸の意向はともかく国会は国会として国民の負託にこたえる必要があるのだから、日米、米中、米朝、日韓など外交・環境問題、台風被害、消費税、景気下振れ、金利緩和競争と為替など経済と国民生活、年金など社会保障、幼保無償化など子育て支援、働き方改革など山のように溜まっている内外の課題に対し国会の場で積極的な議論を進めることは当然である。

 ここ数年、議会が官邸の付録の趣を漂わせてきているといった苦言も聞こえてくるが、この手の苦言も毎回聞かされると聞く方もいささかいやになると思うが、倦まずたゆまず言い続けることが大切ではないか。小さなあきらめが積もり積もって民主政治の弱体化をもたらすと思われるので、批判者は勇気をもって続けてほしい。野党に対しても同じ扱いが求められる。これは私を含めてのことである。

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時事雑考「悪夢ではない現実だった (リーマン・ショック、地震、津波、原発事故)」

◇ 「悪夢のような」という表現がお好きな方がいる。「悪夢のような」と「悪夢」は違う。悪夢であればうなされるだけで、覚めればなんてことはない。だから、民主党政権を支えた立場でいえば、正直なところ悪夢であって欲しかった。その一つは、リーマン・ショックによる景気の急激な減速であり、二つは、東日本大震災と原発事故である。夢なら早く覚めてほしいが、残念ながらそれらは現実であった。

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「時事雑考」 北朝鮮を考える今日この頃

◇ 過日といっても古い話となったが、今年2月ハノイで行われた第二回米朝会談は不首尾であった。が、「もしそれがまとまっていたとすれば、どのような内容になっていたのか」との問いに、「まああり得ない」との結論に達するのにそう時間はかからない。どう考えても両者の立場も主張も平行線で、簡単に交わるものではない。

◇ 協議といわれているが、正しくは終戦交渉であり、半島に本格的な平和がもたらされるのか、特に東アジアにとって極めて重要な交渉といえる。もとより非核化は関係国や周辺国にとっては絶対条件であり、国際的にも核保有は決して認められるものではない。一部の関係国の思惑もあって、段階的非核化というまやかしが徘徊しているが、速やかに完全かつ非可逆かつ検証込みの非核化でなければならない。この原点に議論の余地はないことを、北朝鮮は肝に銘ずるべきであって、核兵器と長距離ミサイルを持つことにより何らかの交渉上の強い立場を得られるのではないかといった幻想を抱いてはならない。それらを保有することが何らかの利益をもたらすという悪い事例を国際社会は許すわけにはいかない。むしろ保有することが耐えられないほどの大きなリスクをもたらせる、という仕組みを生み出す方向に動くべきであるし、おそらくそうなると思われる。ということから経済制裁は厳しく継続されるべきである。

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時事雑考 「外事多難、めざすは助演賞か」

◇ 飽き足らない、というべきか。あるいは、物足りないというべきか。昨今の政治(まつりごと)である。万事芝居が小さいからか、ときめき感に欠けている。その上、見え透いている。

 たとえば、六月には日露首脳による大筋合意の予定ではなかったのか。重ねに重ねた首脳会談、少し期待していたのだが、一体何があったのか。また、北の首領と会う日は来るのか。拉致家族に朗報がもたらされるのか。さらに、南の大統領とは疎通しないのか。加えて、日没する国の統領とは何を語るべきなのか。

 と、並べてみれば、隣接国との外交が不本意な凪(なぎ)状態にあることが浮かび上がってくる。もちろん、先方の事情によるとの解釈が妥当と思われるが、それでも残念である。いつまで凪っているのか。

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時事雑考 「代表されない人々―絆が薄くなっている―」

◇ 「絆(きずな)」は、東日本大震災の折りにメディア空間に出現し広がった。ことばの響は平易であるが、意味はむつかしい。言葉としては連帯の方が分かり易いと思う。しかし、連帯ではポーランドのワレサを連想するかもしれない。また、労働運動あるいは反権力運動に連なる感じもあり、政治的ニュアンスが薄い絆のほうが好まれたのであろう。たぶん、絆を使う方が無難、つまり無用な雑音を生じさせないという意味で、日本的な選択であったと思う。

 さて今日、この絆はどうなっているのだろうか。そもそも、絆とは、人と人のつながりであり、そのあり方でもある。さらに、つながりにともなう心情を含みながら、個々のつながりを社会全体におよぶ巨大な集合体として捉えたものでもある。

◇ 東日本大震災に限らず、災害体験は国全体としても家族、地域、団体の結びつきを再評価し、そのことの強化に向かわせる。ゆえに、社会の絆を強めようという主張は容易に受け入れられやすい。

 しかし、絆を強めるとは具体的にどういうことを指すのか、はっきりしない。たとえば、疎遠であった遠縁の者と音信を復活させるとか、同窓会名簿を改めて眺めてみるとか、自治会の会合に出て近所づきあいを濃くするとか、いろいろなことが考えられるが、端的にいって地味すぎるし、長続きしないと思う。

 防災についての具体策を進めるうえで、絆という言葉はあまりにも抽象的かつ情緒的すぎるのではないか。

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夏に向け、憂鬱感の払しょくに腐心―民主党を支援してきた人々の思い

◇ 子供にとって親のいさかいほど憂鬱なものはなかろう。同じものではないが似た憂鬱感がかつて民主党を支援してきた職場に漂っている。2007年夏の参議院選挙から2009年夏の総選挙まで、本格的な政権交代をめざし職場には熱狂とまではいかないがそれでも軽い興奮があった。

 あれからおよそ十年。今民主党、民進党由来の野党二党の相克を伝え聞く職場には何ともいいようのない憂鬱感が漂っている。

◇ 仲間内での政策をめぐる論争はどちらかといえば陽性である。しかし切り崩しとか引抜きとか良く分からない情念に動かされた陰性のいさかいは耐えがたいし、誰しも関わりたくないと思うだろう。それも最近まで応援した人々の間で起こっているわけだから、支援者のとまどいと失望は相当なレベルに達している。

 もちろん政党も生き物であるから熱心に勢力拡大に注力することを難ずる気はない。やればいい。しかし程度と手口の問題がある。今のままでは支援の輪は広がらないどころか逆にしぼんでいくのではないか。心配である。

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2019年 政治と労働の主要課題について

労働が論壇の主役の時代に

◇ すでに労働の時代である。1985年以来30年余続いた資本(金融)の時代は終わった。資本の時代、働く多くの人々にとっていいことは起こらなかった。カネがカネを産むという何の感動もない仕組みのために犠牲にしてよいものなど地上には無い。すでに資本は後衛に退き、労働が前衛にせり出す時代が来ている。そして労働の意味と価値が問われる時代となった。(とはいっても、まだまだ資本が大きな顔をして跋扈するであろうが、社会的にまた倫理的に被告席に座るべき時は近づいている。)

労働組合の組織化は構造的課題を抱える

◇ 労働の時代であるが労働組合の時代ではない。心情的にはそうなってほしいと思うが難しい。なぜなら労働組合の結成と維持には資本と技術(オルグ)が必要であるが、その調達が随分と難しくなっているからである。たとえば現在の連合など既存組織の資源投入をベースに考えれば年10万人規模の組織化が限界ではないか。この規模では10年で100万人、100年で1000万人のペースでありとても間に合わない。つまり、既存組織からの支援は社会的な要請の規模に比べ小さいであろうし、また限定的である。

 労働組合の組織経営も企業経営と同様であり、組織化のために投下した資本が増大裡に回転・回収できなければ組織活動として持続しえない。投下、回収、再投下という正スパイラルが可能であるためには、組織化対象自体にスケールメリット状態があり、かつ投下資源量がスケールメリットを得られる規模を超える必要がある。さらに大規模事業所が減少し、小規模分散型かつネットワーク型が増大している現実を考えると、組織拡大の現場を支える努力は多としつつも、一度発想の転換を試みることを提言したい。

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「平成30年の大晦日、去年の蕎麦が残り候」

◇ 平成30年もあとわずかな時間となった。この一年間も多難多事に暮れていこうとしている。残されたいくばくかの時間を用い、そう治部煮に取りかかる前に、忘れてはならないことを並べてみる。

◇ 議院内閣制は民主政治のいくつかの欠点を補う、たとえば行政機関の最高責任者の選定過程を民衆から距離を置くつまり間接的に選びうるという意味で優れていると思う。すなわち選挙で選ばれた国会議員による選挙で指名されるという二段構造は、主権者が激高し感情に走る状況などに対し、一拍二拍の間を作ることにより国の進路を安定化させる、いってみれば鎮静化効果を持つといえる。しかしこの一年間はその議院内閣制の他の欠点が露わになりとても繕いきれなくなったことを強く印象づけた。

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時事雑考「第197回臨時国会閉幕、審議の在り方に問題を残す」

◇ 第197回臨時国会は12月10日閉した。もともと会期が短いうえに首相の海外日程が多く国会での審議日程の確保の難しさは危ぶまれていた、それにしても酷い国会であった。たびたび指摘してきた三権分立の感覚比率(行政府対議会対司法)を今まで80対15対5と表していたが、いよいよ85対10対5に変更しなければと思う。それにしても「一割国会」とはあまりにも悲しいではないか。筆者の偏見に留まることを願う。

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