遅牛早牛

時事雑考 「2020年を振り返り、2021年を想う」

コロナ禍にあっても人の性根は変わらずや

◇ 2020年はコロナに始まりコロナに終わりつつあるが、その影響は実に大きく深い。それにまだまだ続きそうだ。さてどう続いていくかは誰にもわからない。それにしてもワクチンはどの程度効くのか、いつごろ行き渡るのかなど新年もあれやこれやと感染症に翻弄されることは確かである。

 また災厄にあってグローバリゼーションが持つ感染拡散力のすごさをあらためて痛感しているが、だからといってグローバリゼーションを止めることにはならない。残念ながら甘受せざるをえないことになる。まあこれも文明病と受けとめるべきなのか、沈鬱な思いの年の瀬である。

 しかし、文明病と無為に受けとめる前に日常に浸潤しているさまざまなリスクを体系的に整理できていない私たち人類の科学性の欠如が気になる。科学の発展は人類の成果であり、大げさにいえば人類文明の精華である。しかし私たちはそれほど科学的ではない。

 たとえば確率論、統計学、論理学などを習ってはいても身についているとはとてもいい難い。だから、感情が先立ち正しく怖れることができず多くの場合事態を甘くみるか過剰に怖がるかの極端に走りがちで、とどのつまり最適解には遠くおよばないのが現実である。

 今回の災厄も、新型コロナウイルスが原因であることは間違いない。しかし、わくように起こっている被害の多くはむしろ科学性を欠いている私たちが生みだしている気がしてならないのだが、これも何年か後には整理がつき、ことの次第がはっきりすると思う。おそらく正しく怖れることは大変難しいことであったと、そいう結論になるのではないか。

 科学は迷信ではないが、科学といわれる迷信が一人歩きして、余計な悪さをしている。それが被害を広げているともいえる。それにしても、確かなことは私たち人類は科学よりも迷信を好むということであり、さらに嘘と噂も大好きで、どうにもこうにも度しがたいものである、とは地球規模の話であるが人間の性根はそんな千年や二千年で変わるものではないだろう。

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時事雑考「臨時(素うどん)国会が終わった」

◇ 臨時国会が閉じた。素うどんのような国会で、管総理の初舞台としてはいかにも「らしい」ものであったといえる。それにしても閣法7本とは情けなやの一言である。法律の更新は円滑な行政のために必要不可欠であるから国会は遅滞なく対応すべきではないか。かけひきもほどほどにすれば、もっとやれるだろう。

 素うどんではあるが、底にエビ天一本が隠されていた気がしたのが、労働者協同組合法の成立である。全会派賛成の議員立法、それも100条を超える堂々の押し出しである。聞けば10年余の奮闘があり、故笹森清中央労福協会長の念いがあり、関係者の大量の汗があったという。まるで奇跡のようであり、画期の匂いがする。こういう政策・制度の取り組みもあるのだ、久しぶりの快挙の報に心が躍った。

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時事雑考「いっさいにきんさんとうしりごせい」

◇ 「困ります」といわれたので押し入れに入れっぱなしだった「いっさい、にきん、さんとう、しり、ごせい」がやはり気になるので引っぱりだすことにした。呪文ではない。「一再二金三党四理五政」すなわち「再選、資金、政党、理念、政策」のことである。

 「ほとんどの議員の頭の中はこの順番ね」と親しくしていた政党関係者に問いかけたところ、不機嫌そうに「そういうことをいわれると困ります」と返えされた。

◇ 「政治不信がひどくなりますから」ともいう。そうかもしれない。決して貶(おとし)める気はないのだが、そう受けとられても仕方がない。世間では、政治家である議員こそはいつも高尚な政治理念や政策を掲げ、その実現に向けて日夜奮闘邁進していると思っている、ことになっている。おもてむきの話であるが、みんながそう思っているだろうと思っている。

 しかし同時に、そうではないとも思っている。表と裏、それに虚実の二面性があると感じているのだが、おもてむきは「べき論」が優勢である。

 とはいっても「政治家ならそうだろう」ということをいつ、だれが決めたかはわからない。まあ、いってみれば勝手な決めつけだが、それがいつの間にか妖怪となり「政治家はこうあるべし」と、そういった言論空間が作られていく。本当にそうなのかという問いにはいっさい答えず、夜祭りの張りぼてのような仮想空間が安易に作られていくのだが、やがてそれが「ポリティカル・コレクトネス」という大妖怪に化けていくのだ。それにいまさら抵抗する気はないし、それはそれでいいのだが、やはりやり過ぎ感は否めない。政治家を窒息させて世の中良くなるのかと思うだけである。

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時事雑考 「二大政党制は幻影か?立憲民主党に贈る花束」

◇ 立憲民主党が合流の結果150名の規模となったことから、名実ともに野党第一党の趣を持ちはじめた。また、首班指名では日本共産党の協力を得るなど野党共闘の目鼻立ちを整えたといえる。

 画期である。世間の期待感はともかく新たな船出にあたり花を添えたいと思うが、どのような花を用意すれば喜んでもらえるのか、心もとない。

◇ まずは「脱労組」を贈りたい。「脱労組」あるいは「脱労組依存」は民主党時代はもちろん、古くから野党勢力において何かと悶着を起こしてきた因縁深い言葉である。とくに、2005年秋、小泉郵政選挙において敗北を喫した岡田民主党代表の後を継いだ前原新代表の発言が有名であろう。有名といえばいささか不穏当の感があるが、当時民主党労働局長であった筆者にとっては忘れがたい出来事であった。

 「脱労組」の意味は「脱労組依存」、つまり「反労組」でないからいいではないか、また、政権をめざす政党にとってはあたりまえのことだと思っていた。それが炎上したのである。とくに連合地方組織の反発が激しかった。当時、新任の古賀伸明連合事務局長の要請もあり、なんとか収拾にいたったものの、2006年2月16日「偽メール」事件が起こった。この日は連合中央執行委員会であり、連合加盟組織と地方連合など関係者が多数集まることから、合同(党労)懇談会を開催し、党として労組との修復を完結する予定であったが、新たな問題発生で事態はふりだしへ戻ってしまった。

 思いのほか「偽メール」事件のダメージは大きく、春先に前原氏は代表辞任を余儀なくされた。後任の小沢氏は前原執行部をほとんど居抜きで継承し、懸案の対労組姿勢を脱どころか依存を飛び越えて、政治的籠絡へと方向転換した。 

 これが2007年の参議院選挙「逆転の夏」へ繋がっていくのであるが、とくに世代交代を果たした前原執行部のメンバーがその後飛躍する契機ともなったのだがここらあたりの論考は別の機会に譲りたい。

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時事雑考 「2020年秋、総裁選と代表選の競争」

◇ 自民党総裁選の真最中である。菅氏の当選が確実視されているので、むしろ論戦の展開とその含意に注目すべきであろう。多くの派閥が早い段階で菅氏支持を表明し勝ち馬に乗る雪崩現象が起こったが、多ければいいのかと深く考えれば菅氏にとって痛し痒しの現象であろう。まあ本心をうかがうことはできないが。

 選挙そのものは結果が見えている。が水面下では、安倍路線をどのように継承するのかという戦略と、派閥間の椅子取りゲームが交錯している。見どころは、菅氏がどこで匕首の刃面を見せるかで、それ次第で後々の政局が変わってくるであろう。

 その一つが、解散総選挙である。まず、何のためにやるのか、仮の話ではあるが、菅氏にとってはそれが最大の難問であろう。いわゆる救援投手に徹する覚悟なら、任された総裁任期1年を完投すればいいということになるが、本格政権すなわち総裁任期以降も総理大臣を続けるのであるなら、躊躇なく解散総選挙を選択するべしというのが一般論であるが、これが巷間いわれているほど簡単ではない。感染症の壁がある。また、安倍氏にはアンチも多かったが、それ以上にシンパが多かった。また、カリスマ性もあったし、いわゆる運の力もあった。

 しかし菅氏の場合、正直いって不確実性が高い。とくに、選挙でしくじるとそれで終わってしまう。また、アベ政治の継承だと強調すればするほど、アベの負の遺産を引き継ぐことになるから、いずれ引き算になる恐れがある。だから、そんな危ない橋を渡るよりも、得意の課題処理能力を活かし地道に実績を積み重ね、アベ継承といいながら中身の濃い菅政治を売り物にし、来年秋、満を持して任期満了選挙に臨むほうがいいのではないか。と、思案の最中かもしれない。

 そのように思うのは、アベ継承政権の最大の課題はいつどのようにアベ離れを果たすかで、その昔、中曽根政権が発足時に「田中曽根」と揶揄されたことがあったが、巧みな田中離れで結局長期政権を成し遂げた。

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時事雑考 「2020年、秋の政局の始まり」

◇ 新型コロナウイルスに襲われた2020年は試練の年となったが、長かった安倍政治がようやく終焉し、残された4か月、新たなドラマが始まろうとしている。前回、感染症の収束、米大統領選、野党合流再編の3点を待つ停滞の政局と述べた。ついでに辞任待ちもつけ加えたがこれは「愛嬌」のつもりで、もともと状況転換を図る一手段として俎上にあったのであるが、実際に起こってみれば何ともいいようがなく実に気の毒なことである。

 さて、当面の話題は「次は誰なのか」、「その選定プロセスの含意」、「内閣と党の陣立て」に絞られるであろう。この3点を見れば、秋からの政局の半分は見えてくる。その中でも最大の関心事は、解散総選挙の時期と有無であろう。やるべきではないといっても、はやる気持ちを抑えられない議員も多いと思われる。今なら不都合なことはすべて安倍さんのせいにできる、つまりシャッフル効果が期待できると考えているのだろうが、そんなふうに都合よくことが運ぶのだろうか、自民党の支持率が高いからといって党利に走っていいのだろうか、など疑問は尽きない。

 とくに、感染症への対応や景気対策など人びとの生活を思えば、政治空白を作らないといった掛け声を大切にすべきで、新しい総理大臣の信を問うなら予算案を作ってからにしろといいたい。

 政治の最高責任者が病をもって辞するのはよっぽどのことである。つまり、緊急事態なのである。緊急事態にはそれなりの対処があり、この場面は、路線を円滑に継承することが一番であろう。そういった原理原則に徹することが政治への信頼を支えていくものと思うが、小泉政治以来の風潮なのか詭道に流れすぎているように思える。(党員投票を省くほど急いでおきながら解散総選挙で一月間の空白を作ることの論理矛盾と桁外れの自分勝手さが今の与党を支えているのであろう。そろそろ、言葉と行動を一致させてほしいものだ。)

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時事雑考 「2020年真夏日からの政局」

◇ オリンピック・パラリンピック大会を失った「2020年8月」は遅い梅雨明けの後、酷暑の夏を迎えた。5月25日に緊急事態宣言は解除されたが、7月から増え始めた感染者が大都市では4月の水準を上回り、最高値を更新している。

 政府は死亡者数あるいは重症患者数を引き合いに事態の推移に余裕を見せているが、内心は薄氷を踏む思いであろう。一方、都道府県は緊急事態宣言が発令されない中で、独自の対応策を模索しているが、権限や予算の壁に苦労している。

 国も地方も閉塞しており、誰しも口にはしないが内心「失政」だと思っている。

◇ 「一強」と謳われた長期政権も落日を迎えている。そんなに遠い昔ではないが、いつしか国内政治での取りこぼしが多々見られるようになって、また国際環境が追い風から向かい風に変わり外交上の収穫が無いまま、今年に入り新型コロナウイルス感染症に襲われたが、それは落日の前の斜陽に似ている。

◇ 何か変わる兆しを感じるが、今のこの時点で政局を占うことは困難である。それは、感染症の収束はおろか第二波の襲来の予想すら立てられないでいること。また、米大統領選の行方が不透明であること。くわえて、米中関係の緊迫化の程度が不明であること。などの理由により、予測にあたっての前提がグラグラしている。

 外部環境が固まっていないのに内部が固まることはこの場合ありえないから、あくまで外が固まるのを待つしかないといえる。

 しかし、内には内の絡みあった事情があるので、それらを丁寧に解いていけば、想定されるシナリオのいくつかについてイメージを作ることは可能である。あくまで、条件つきではあるが。

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時事雑考「新型コロナウイルス感染症がもたらす変化(政治分野)付録集」

 新型コロナウイルス感染症について5月ごろから書き溜めたものを今回付録集として10本掲載することにした。一体のものとしたかったが、少し脈絡に問題があることからゴロゴロと素材を並べただけの仕事になった。

 感染症そのものと、その対策が急流のように変わりゆく状況からそれも致し方ないと妙な納得をしている。2月、3月と労働関係の雑考を掲載してきたが、雇用や労使関係は感染症の直撃を受け、まさに変わりゆく途上にあるのでしばらく準備に時間がかかると思う。当面は、やはり政治と労働に焦点を絞った時事雑考を中心に進めていく予定になると思われる、COVID-19に罹患しなければ。

付録 1  感染症対策の基本構想があったのか

 

 本来、感染症対策は適切な法律を背景に、行政機構が正面に立ち、民間組織の参加を得ながら最終的に国民の協力をえることによって有効に働くものであるから、はじめに対策の全体像をできるだけ詳細に説明することが重要である。もちろん、感染症の特性によって強制力の扱いが違ってくるが、基本設計に当たる政策体系をどの程度まとめていたのかが行政評価にあたっての重大関心事である。

 

 

付録 2  思い込み感染リスク(バイヤス)の是正が必要

 

 生活地域にくらべ観光地のほうが、感染確率が高いとはいえない。また、自宅よりもホテルや旅館のほうが危険だとどうしていい切れるのだろうか。業者が生業を守るために真剣に感染対策に取り組んでいることは衆知のとおりであり、少なくとも都市の密集地よりもはるかにきめ細かく対応されているように思える。ということからここでの問題は、事実としての感染リスクと、人々が思い込んでいるリスクとの差が大きいところにある。つまり、リスクに対する認識のギャップ(バイヤス)があるわけで、いいかえれば、人々が思い込みで膨らませた感染リスクの虚像こそが、陰でいろいろな悪さをする要因といえる。また、人々が作り出した虚像が引き起こす不祥事は人間が背負うべきものであり、もともと起こるべきものではない。

 繰り返しになるが、山裾にそびえる瀟洒なリゾートホテルにたまたま滞在している数組の客(非感染者)にどれほどの感染リスクがあるのだろうか。同じことだが、ガラガラの新幹線を怖がる理由を見つけることはできないだろう。マスクを着け、適度な人間(じんかん)距離をとり、ときおり石鹸で手洗いをすれば、日常生活と同じ程度の感染リスクに抑えることができる。といった事実に基づいた現実的な議論が欠けているように思える。

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時事雑考「新型コロナウイルス感染症がもたらす変化(政治分野)」

新型コロナウイルスの急襲を受け暗鬱な年に

 2020年は東京オリンピック・パラリンピックが開かれる輝かしい年になるはずだったが、新型コロナウイルスの急襲を受けて、一転深い谷底に突き落とされ、このままでは暗鬱な年として歴史に残るだろう。

 年が明けてからの半年間、国民の多くは不安のなかで日々の暮らしをしのいできたが、百人百様の苦労を思えば、それぞれの経済的、社会的立ち位置が手にとるように伝わってくる。富める者は微動すらせず、むしろ金余り株高でさらに富を増し、逆に貧しい者は一層の苦境にあえいでいる。この格差は広がることがあっても縮まることはないだろう。

 さて、今回の感染症が政治分野にどのような変化をもたらすのか。まだまだ定まらない状況ではあるが、多少の兆しと、かすかな予感に微量の期待をまぶしながら、予想ではなく妄想に近いシナリオとして書きすすめていきたい。

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時事雑考「新型コロナウイルス感染症がもたらす変化(社会・経済分野)」

感染症対策と経済対策はトレードオフ関係に、当面アクセルとブレーキの併用

 123日の武漢市封鎖から5か月あまり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との戦いは延長戦にもつれ込んでいる。感染者が確認された国の多くは、都市封鎖など積極的に取り組んできたが、それらの強権的対策が経済に与えるダメージが感染症以上の被害を生み出すことへの強い反発を受け、感染状況に細心の注意を払いながらもソロリソロリと封鎖を解除しはじめた。大量の感染者が医療機関に押しかけることによる医療崩壊さえ避けることができるなら、経済活動との両立を図るほうがはるかにマシだと考えることは現実的である。

 消毒、手洗い、マスクの着用などが生活習慣として多くの国民に受けいれられれば、また、車間距離ならぬ人間(じんかん)距離やシールドカーテンあるいはフェイスカバーが広く普及すれば感染そのものを減らすことができると考えることは経験的に正しいといえる。

つまり、ワクチンや抗ウイルス薬が完成、普及するまでの戦いとして、大流行をいくつかの中流行や小流行にコマ割りし、規制措置を適宜コントロールすることで、疾病被害と経済被害の総合最小化を図る、すなわち抑制的集団免疫路線を選択しているといえる。

 もともと、このウイルスの完全封じ込めは難しく、たとえ一国で成功しても海外との交流が再開されれば感染リスクはふたたび高まることから、完全な鎖国が選択できない以上、インクが滲む程度の感染は甘受せざるをえないといえる。

現在のグローバル化した経済を前提にするなら、感染症対策の成功は経済的損失と背中合わせになっている、つまり逆相関関係にあることから、当面アクセルとブレーキをうまく併用することで対応せざるをえない状況にある。

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