遅牛早牛

時事雑考 「代表されない人々―絆が薄くなっている―」

◇ 「絆(きずな)」は、東日本大震災の折りにメディア空間に出現し広がった。ことばの響は平易であるが、意味はむつかしい。言葉としては連帯の方が分かり易いと思う。しかし、連帯ではポーランドのワレサを連想するかもしれない。また、労働運動あるいは反権力運動に連なる感じもあり、政治的ニュアンスが薄い絆のほうが好まれたのであろう。たぶん、絆を使う方が無難、つまり無用な雑音を生じさせないという意味で、日本的な選択であったと思う。

 さて今日、この絆はどうなっているのだろうか。そもそも、絆とは、人と人のつながりであり、そのあり方でもある。さらに、つながりにともなう心情を含みながら、個々のつながりを社会全体におよぶ巨大な集合体として捉えたものでもある。

◇ 東日本大震災に限らず、災害体験は国全体としても家族、地域、団体の結びつきを再評価し、そのことの強化に向かわせる。ゆえに、社会の絆を強めようという主張は容易に受け入れられやすい。

 しかし、絆を強めるとは具体的にどういうことを指すのか、はっきりしない。たとえば、疎遠であった遠縁の者と音信を復活させるとか、同窓会名簿を改めて眺めてみるとか、自治会の会合に出て近所づきあいを濃くするとか、いろいろなことが考えられるが、端的にいって地味すぎるし、長続きしないと思う。

 防災についての具体策を進めるうえで、絆という言葉はあまりにも抽象的かつ情緒的すぎるのではないか。

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夏に向け、憂鬱感の払しょくに腐心―民主党を支援してきた人々の思い

◇ 子供にとって親のいさかいほど憂鬱なものはなかろう。同じものではないが似た憂鬱感がかつて民主党を支援してきた職場に漂っている。2007年夏の参議院選挙から2009年夏の総選挙まで、本格的な政権交代をめざし職場には熱狂とまではいかないがそれでも軽い興奮があった。

 あれからおよそ十年。今民主党、民進党由来の野党二党の相克を伝え聞く職場には何ともいいようのない憂鬱感が漂っている。

◇ 仲間内での政策をめぐる論争はどちらかといえば陽性である。しかし切り崩しとか引抜きとか良く分からない情念に動かされた陰性のいさかいは耐えがたいし、誰しも関わりたくないと思うだろう。それも最近まで応援した人々の間で起こっているわけだから、支援者のとまどいと失望は相当なレベルに達している。

 もちろん政党も生き物であるから熱心に勢力拡大に注力することを難ずる気はない。やればいい。しかし程度と手口の問題がある。今のままでは支援の輪は広がらないどころか逆にしぼんでいくのではないか。心配である。

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2019年 政治と労働の主要課題について

労働が論壇の主役の時代に

◇ すでに労働の時代である。1985年以来30年余続いた資本(金融)の時代は終わった。資本の時代、働く多くの人々にとっていいことは起こらなかった。カネがカネを産むという何の感動もない仕組みのために犠牲にしてよいものなど地上には無い。すでに資本は後衛に退き、労働が前衛にせり出す時代が来ている。そして労働の意味と価値が問われる時代となった。(とはいっても、まだまだ資本が大きな顔をして跋扈するであろうが、社会的にまた倫理的に被告席に座るべき時は近づいている。)

労働組合の組織化は構造的課題を抱える

◇ 労働の時代であるが労働組合の時代ではない。心情的にはそうなってほしいと思うが難しい。なぜなら労働組合の結成と維持には資本と技術(オルグ)が必要であるが、その調達が随分と難しくなっているからである。たとえば現在の連合など既存組織の資源投入をベースに考えれば年10万人規模の組織化が限界ではないか。この規模では10年で100万人、100年で1000万人のペースでありとても間に合わない。つまり、既存組織からの支援は社会的な要請の規模に比べ小さいであろうし、また限定的である。

 労働組合の組織経営も企業経営と同様であり、組織化のために投下した資本が増大裡に回転・回収できなければ組織活動として持続しえない。投下、回収、再投下という正スパイラルが可能であるためには、組織化対象自体にスケールメリット状態があり、かつ投下資源量がスケールメリットを得られる規模を超える必要がある。さらに大規模事業所が減少し、小規模分散型かつネットワーク型が増大している現実を考えると、組織拡大の現場を支える努力は多としつつも、一度発想の転換を試みることを提言したい。

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「平成30年の大晦日、去年の蕎麦が残り候」

◇ 平成30年もあとわずかな時間となった。この一年間も多難多事に暮れていこうとしている。残されたいくばくかの時間を用い、そう治部煮に取りかかる前に、忘れてはならないことを並べてみる。

◇ 議院内閣制は民主政治のいくつかの欠点を補う、たとえば行政機関の最高責任者の選定過程を民衆から距離を置くつまり間接的に選びうるという意味で優れていると思う。すなわち選挙で選ばれた国会議員による選挙で指名されるという二段構造は、主権者が激高し感情に走る状況などに対し、一拍二拍の間を作ることにより国の進路を安定化させる、いってみれば鎮静化効果を持つといえる。しかしこの一年間はその議院内閣制の他の欠点が露わになりとても繕いきれなくなったことを強く印象づけた。

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時事雑考「第197回臨時国会閉幕、審議の在り方に問題を残す」

◇ 第197回臨時国会は12月10日閉した。もともと会期が短いうえに首相の海外日程が多く国会での審議日程の確保の難しさは危ぶまれていた、それにしても酷い国会であった。たびたび指摘してきた三権分立の感覚比率(行政府対議会対司法)を今まで80対15対5と表していたが、いよいよ85対10対5に変更しなければと思う。それにしても「一割国会」とはあまりにも悲しいではないか。筆者の偏見に留まることを願う。

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財政審、31年度予算編成等への建議について(「悲劇」ってなに?)

財政審の建議がらしからぬ表現

 財政制度等審議会(財政審)の平成31年度予算編成等に関する建議(11月20日)には「悲劇」が4回使われている。「共有地の悲劇」として2回、「悲劇の主人公」として1回、「悲劇から守る代理人」として1回。他に「負担先送りの罪深さ」、「歪んだ圧力に抗いきれなかった」、「憂慮に堪えない」、「エピソードに基づく政策立案」、「甘い幻想」と審議会にしては異例の表現を連ねている「平成財政の総括」という6ページほどの文章を一読して、これは言い訳なのか敗北宣言なのかはたまた何なのかと戸惑う。(以下「 」は同建議からの引用)

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「政党・政治の歴史を踏まえた今後の政治」ー電機連合NAVI №65(2018年Ⅰ号)から転載ー

目の前にある悲嘆と悲観

2018年は例年にも増して騒がしい年になるだろう。地球は一つ。国境はあるが宇宙船から眺めるとそんなものはない。だから壁を造らねばと、彼の国の大統領はいう。そんな中、壁があっても無くてもイエメンの惨状はさらにひどくなるだろう。港湾の封鎖は大量死への確実な一歩となる。

昨年12月末台風27号がフィリピンを襲い大量の雨を降らせた。気候変動を原因とする自然災害が多くの人々を害する。干ばつや山火事の被害ははかり知れない。

さまざまな紛争の出口は死者、負傷者、生活破壊、避難民の山である。終わりのない悲劇の中で当事者は自身の正義を叫ぶばかりだ。

世界人口の約半数36億人分の総資産と同額の富が8人の富豪に集中していると2017年オックスファムは伝える。富の集中は加速度的だ。タックスヘイブンに置かれている個人資産はおよそ7.6兆ドル。その推定節税効果は1,900億ドルで毎日1ドル1年間5億2千万人に配布できる額である。所得再分配における金の流れでいえば逆向きである。加えて異次元の金融資産集中。これで災いの起こらないはずはない。

強欲資本主義と指弾されたのはリーマンショックの後だったか。否もっと前から金融経済化の弊害は指摘されていた。働かない金が金を生むことをどう説明すればいいのだろうか。子どもたちに。

これらの悲嘆と悲観から本当に脱却できるのか、たしかなのは悲嘆と悲観の放置が暴力を生み、暴力はカタストロフィー(崩壊)を招くことである。

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閉会してはならない、結論が出るまでは

 けだるくて感じが悪い。国会を中心とした政治状況が、である。何かの病のようで、確たる病ではない。これが「未病」なのかと思いつつ、新聞に目を落とすと私大アメフト部の悪質タックルをめぐる騒動が長引いている。大学の運動部は華やかで、ニュース価値も高い。だから枠からはみ出た部分は何かと騒がれるものだが、今回のケースは「監督の指示による反則タックル」の疑いを起源とする連鎖反応型騒動である。

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三月十六日、即詰みの風景

 将棋ブームである。名人戦などでは別室に大盤が用意され、解説や予想でにぎわう。テレビ対局ではプロ棋士による解説が放映される。

 「詰んでますね。う~んと。」解説者がつぶやくと、見る側に緊張が走る。「いや、失礼しま~した。う、こうなるとわからないか。いやそうでもないか。」と独り言がつづく。どっちでもいいから、はっきりしろ。と内心いらだつ。

 一時間半の番組の中で、ここがもっとも面白い場面である。私のような素人には、5手先、7手先を読むのは難しい。詰将棋問題には正解があるからいいようなものだが、詰むのか詰まないのかが分からないと素人は途方に暮れる。ましてプロ棋士が読む何十手先の詰み手順の有無は素人には神がかりである。また詰み手順があると思えても完全に詰むかどうか短時間での検証は難しい。だから解説者もはっきりはいわないのだろう。

 また詰み手順があるにしても、対局者が間違えると詰まなくなる。手順が前後するだけで局面が変化する。よほどはっきりした手順でない限り解説者はいわない。即詰みがあるのにそれを見逃すことはプロ棋士の恥である。あからさまにいわないのは対局者への気遣いもあるのではないか。

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裁量労働制をめぐる答弁撤回ー答弁は政治家の責任ですー

 129日衆議院予算委員会において「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」と安倍首相は答弁したが、216日午前の衆議院予算委員会では「129日の私の答弁は撤回するとともに、おわびを申し上げたい」と撤回した。

 首相の国会での前言撤回はきわめて珍しいことである。しかしこの時点で何がいけなかったのか、つまびらかではない。というのは216日午後、「データもあると話をしているわけで、これのみを基盤として法案を作成していない」との発言を朝日新聞は伝えている。確かにデータがあることは事実である。だから20157月の衆議院厚労委員会で当時の塩崎恭久厚労大臣も同様の答弁をしている。

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