遅牛早牛

時事雑考「労働団体と政権のかかわり方-変化の予兆が」

◇ さて、7月の参院選の結果をうけ、あらためて「労働団体と政権のかかわり方」について、やや旧聞にぞくする部分も、また反省記のようなあるいは敗戦記のような内容もふくめ総ざらいしてみようと思う。(文中の漢字とひらがなの使いわけについては、前後のくぎりに漢字をもちいてみたり、また見た目感を優先したりと、そうとう気ままであること、くわえて8月後半には所用輻輳し掲載がおくれたこともあわせご容赦ねがいたい。)

1 参院選の野党選挙協力の不調は「懐柔」よりも「自壊」が原因

 2021年10月の衆院選挙後に、自民党副総裁の麻生氏らが国民民主党や連合を懐柔していたといわれている。その懐柔のねらいが、2022年7月の参院選における野党選挙協力のきりくずしや改憲議席の確保にあったとも。もちろん、そういった思惑をふくんでいたと想像することはまちがっているとはいえない。しかし、永田町で「飯でも食うか」となれば、メンバーの組みあわせの数だけストーリーがうまれるもので、いちいちまともにうけとめることもないと思っている。

 たとえば、野党選挙協力が参院選でさらに不調をきわめたことは、衆院選がおわった時点から予想できたことで、またその原因が野党間の基本政策の差異にあったことは衆知のことであろう。とくに、外交安全保障政策と原発をめぐるエネルギー政策の違いが決定的であったといえる。

 こういった溝は、社会党・民社党時代からあるもので、それがうめられたのはおもに民主党(1998~2015)時代であり、とりわけ政権担当時期(2009~2012)であったといえる。

 それが、2015年安保法制への対応をめぐり、当時の執行部(岡田代表)が共産党をふくむ野党共闘へ重心をうごかしたことにくわえ、2016年の民進党結成あたりから反原発が浮上したことなど、民主党政権時代のさまざまな妥協路線がつぎつぎと崩れていったといえる。また、これらのことが2017年9月の、希望の党結成による民進党分裂騒動のかなり重要な伏線となっていたとうけとめている。したがって、野党との選挙協力が不調にいたった原因は、他党からの懐柔などではなく、当面の選挙を意識した政策純化によるものといったほうあたっているといえる。それゆえ多くの民間労組にすれば不本意な路線変更であって、このことがその後の再編が不完全燃焼にいたる遠因となったというのが、筆者の解釈である。

 つぎに連合への懐柔であるが、連合の政治方針は文書のとおりであって、基本は機関主義であるから、懇談などが連合方針に影響を与えることはきわめて稀なことである。しかし、会長発言が注目をされ、ざわざわすることも多いといえるが、それは会長の個性に由来するもので、歴代においてはもっときわどかったともいえる。ということで、「懐柔」説はあたらず、選挙協力については「自壊」説のほうが適切ではないかと考えている。

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時事雑考「賃上げはキシダ政権の生命線か?」

(権力の具体構造がどうなるのかが不明な中で、国葬の閣議決定は高度な政治判断といえる。筆者は、分断の予防こそが政治家の矜持ではないかと日ごろ思っているので、賛成ではない。されど旗をふってまで反対する気もない、静かにおくるべきである。棺を蓋(おお)いて事定る、といわれているが、蓋いても定まらないであろう。

さて、キシダ政権の重要な仕事は雇用者所得の向上つまり賃上げであることは自明のこととなっている。まず、〈A〉最低賃金である。次は、〈B〉春の賃金交渉。この二つは交渉事である。交渉事でないのが、〈C〉労働組合が未結成の中小規模企業の賃上げと〈D〉不安定雇用といわれている非正規労働者の賃金改善である。これらの4項のなかで〈C〉と〈D〉は制度としての仕組みがなければ実現できないもので簡単ではないといえる。ということで、労働への分配が期待ほど改善できるのかどうか、注目の一事である。経済政策的には、交渉組合の賃上げ結果ではなく、交渉していない、交渉できない労働者の賃上げ結果のほうが重要なのである。文中、不安定雇用あるいは非正規労働者などとしているが、厳密な使い分けはしておらず、文脈にそって適宜使っている。)

前途霧中、問題山積、流動化

◇ 参院選を無事くぐり抜けたキシダ政権がつぎに取り組むべき課題は多い。とくに、憲法改正については多くの意見とさまざまな見通しがあふれている。一般的にいって、関心の高い話題ではあるが、前回述べた通り存外に難しく、隘路もあり、お試し項目でさえ簡単とはいえないであろう。9月27日の葬儀までは、党内政局はおもてむき休業と思われるので、それまでに主要人事を仕上げ、秋の臨時国会にそなえる段取りであろうが、考えれば考えるほどに「故人」の後が埋まらない。ポストではなく、役割において人がいないということであろう、確かにイライラとしたものを感じる。こういった状況になると抑圧されていた情動が活性化し、世代交代あるいは党派再編のエネルギーが生じるもので、そうなると自民党として流動期に入るかもしれない。1955年の保守合同から数えて67年、この党もどこか疲れているのではないか、歴史的転換期かもしれない。

 自民党内には、守護神を失った喪失感情に浸っている時間はないであろう。気合を入れなおして、感染症(Covid-19)対策を急ぐべきである。

 ところで、キシダ政権がなんともいえない運を持っているように思えるのは、昨年10月の衆院選と今月の参院選がいずれも感染拡大の谷間にあたったからであろう。時期がひと月ずれておれば、選挙結果に悪影響があったかもしれない。爆発的感染拡大あるいは医療ひっ迫は、人びとに大きな不安をいだかせるもので、後手にまわれば統治能力に疑問符がつく。

 また、インフレへの対応も優先度が高い。このままでは国民生活は確実に劣化していく。2%台でとどまればまだしも、3%を超えてくると、低賃金層や年金生活者が耐えられなくなるであろう。来春の統一地方選挙への影響も考えられる。先の参院選では多党化傾向がみられたが、奇をてらう新党の主戦場が地方選挙に移ることもありうる。さらに、シニア層の政治に対する感応力はもともと高いことから、与党としては注意が必要であろう。ということで、当面の野党の攻めどころは明確である。立憲民主党と共産党にとって統一地方選はリベンジマッチであり、争点は「インフレから生活を守る」というのが分かりやすい。

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時事雑考「憲法改正あれやこれや」

(2022年7月の参院選の結果をうけ、また安倍晋三議員の痛ましい遭難と逝去がもたらす政治環境の動的変化をとらえ、今年後半から来年前半の政局と課題を予想する。まずは憲法改正についての議論の扱いを中心に取りあげる。なお表題として「たたかいすんで、日が暮れて、探し求める明日への道」(その2)を予定していたが、分かりやすい「憲法改正あれやこれや」に変更した。文中敬称略。)

「黄金の3年間があるから憲法改正が加速される」のか?

◇ 「黄金の3年間があるから憲法改正が加速される」ことに、なるかならないかと聞かれたら、「なるわけないでしょう」と答えることにしている。「とくだん加速されることはない」ことの理由は簡単である。

 その1は、そんな時間的余裕はない。2は、集団的自衛権は解釈において合憲であるから、条文を変える理由が見つからない。3は、内閣の条文解釈権を剥奪し、憲法裁判機能を閣外に設置すべきとの気運がでてくると、手に負えなくなる、からである。

 1は、現実問題として政治的優先度が高くないということにつきる。べつに今でなくてもいいではないか、それよりも○○を急がなければ、という○○は行列ができるほどに多いのである。

 2は、(集団的自衛権について)解釈による改憲を強行したことが不都合というのであれば、それを破棄して、条文改正による改憲をやらなければならない。しかし、不都合でなければ、条文による改憲の利益がないといえる。

 3は、それでも改憲をすべきであるというなら、集団的自衛権の解釈変更の後始末として、内閣による恣意的な解釈改憲を抑止するため、憲法にかかわる解釈権を内閣の外におくべきである、そのための憲法判断機能を新たに設置すべきといった議論が、提起されるとおそらく手に負えなくなるであろう。

 また、これが最大の問題であるが、だれが困難を乗りこえるだけの使命感と熱量をもっているというのだろうかということで、よくよく見渡せばとどのつまり「旗は振りつつその場足踏み」となる可能性が高いのではないか、と思う。

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時事雑考「たたかいすんで日が暮れて、探し求める明日への道」(その1)

「まったりモラトリアム選挙」だった参院選

◇ さびれゆく鉱山町にも似た光景のなかで、わが国は昨日のつづきの今日をおえ、つづきとしての明日を迎えようとしている。そんな中、第26回参議院選挙は当事者あるいは組織にとって悲喜こもごもなる思いを残しながらも、大勢としては事前予想にそった結末を迎えたといえる。

 その主旋律は、「今は変える時ではない」というものであろうか。この旋律は、押しこめられたわが国の状況を、まずは受けいれなければならないとの有権者の思いからもたらされているもので、逆にたとえば打ってでるとか自力で状況を変えるといった、積極果敢な行動に対しては否定的であると思われる。やはり安全保障環境へのとぎすまされた感受性が主役であったと思うが、さらに習近平、プーチンの両氏が反面的に影響を与えたといえばいい過ぎであろうか。いずれにしろ、つねに優柔不断である国民性に照らせば、かなり明確な意思表示であったと思う。

 では、今回の選挙でしめされた民意すなわち国民の政治的意図とは具体的に何であろうか。そのひとつは、政治プロセスを通して選択されてきた「この道」をそのまま歩み続けることが、国あるいは国民にとっての最善策であるという、筆者には迷信に近いと思えるのであるが、ことに臨んで何もしないことが上策であるという、まるで禅問答のような考えに集約されているように思える。

 だから、はたしてそうであるのかといった議論よりも、やがて襲来するであろう巨大な暴風雨に備えるため、とりあえず身をひそめ動き回らないことを約束しあっているような感じではないかと思う。けっしてパニックに陥っているわけではない、ちょっとした思考停止のように見うけられるのである。

 といえば、何か「いいがかり」のように聞こえるかもしれないが、そうとでもいわなければ収まらないのである。というのも、30年を超えて賃金が上がっていない、あるいは統計がおかしいのではないかと思うほど実質生活が劣化している、またかつて黄金色に輝いた産業業種の衰退が目にあまる、くわえて近隣国との関係が厳しくなるばかりで、相手が悪いということしか説明されていない、とくに核保有国との関係が悪化し米国依存が底なし沼状態になっている、さらにいつまでたっても少子化、高齢化に歯止めがかからず社会保障制度がゆらいでいる、そのうえ労働力不足に対しては無策に近く、まして財政は大丈夫かなどなど、なにからなにまで政治が責任を負うべき課題が山積みなのに、今回の参院選のいいようのない「まったり感」は主権者たる国民としてまことに緩すぎると痛感するものである。

 全くのところどうするつもりなんだろうか。何十年も口の中でかみ砕けずにたまってばかりで、呑み込めないでいる。また吐き出す勇気もなく、結局栄養失調でやせ衰えつつあるということであろうか。

 だから、何かしなければと思うべきなのに、何かしてそれがダメであったらどうしようと、後の心配が先に立つ。まさか民主党政権に懲りたというわけではあるまいに。しかしそういうことでは主権者として少しだらしがないのではないか、すえ膳以外は受けつけないというのでは民主政治は成りたたない。現下の問題山積み状態は、主権者が受け身を貫いて打開できるほど容易ではなくきわめて深刻だと思うのだが、という意味においても「まったりモラトリアム選挙」であったといえる。

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時事雑考「敵基地攻撃能力を議論する意味と、議論しない立場について」

◇ たとえば、専守防衛だからとか、また必要最小限でなければならないからといってみても、目的(防衛)が達成できないとなれば、「防衛組織の存在価値がない」ということになるのだから、これらの二つの制約についてはつねに議論の対象にならざるをえない。としても、議論の必要性でさえ意見が大きく分かれていることから、あれもこれも同時に議論すると話がもつれ放題になってしまいそうで、多少政治が気になる一般人としては敬遠気味にならざるをえないのではないか。

 そこで、前提として確認しておきたいのは、国の防衛については状況に応じたさまざまなステージがあり、防衛の議論はそのステージに応じたものでなければ結局役にはたたないということである。くわえて、その状況というのは主に周辺国が手前勝手に作りだしていると思っているから、わが国としてはどうしても受け身にならざるをえない。ということで不安や歯がゆさを覚えることになるのであろう。また、この受け身という立場は努力して変えられるものではないということも共有されているようである。

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時事雑考「お騒がせな人が飛びつく核共有は百害あって一利なし」

◇ 「議論はすべきではないか」といった前説をぶら下げて、突然「核共有」がヘッドラインに現れ、なんともいえぬ雰囲気を醸しだしている。もちろん、頭ごなしに議論を禁ずることはできないし、それは穏当ではない。とはいっても話題には内容にみあった重さがあり、議論にはその重さに応じた作法があると思う。そういえば「軍事を語ってはいけない平和主義」なるものが闊歩していた時代があったが、それが安全保障にかかわる議論を閉塞させたことも事実であった。当時、筆者は平和主義を標榜するのであれば、軍事についても考察を深めるべきという考えであった。したがって、軍事オタクとは一線を画しながら、あくまで軍事関係にも精通した平和主義の必要性を痛感していたのである。これは今も変わっていない。

 そういった視座から、今日の「核共有」をもふくむ国防論議について、雑考してみたい、というのが今回のテーマである。

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時事雑考 「近づく参院選、苦しい野党選挙協力―覆水は盆に返らず」

◇ とかく思い込みと思い入れに偏りがちな政治や政党論議ではあるが、ここは客観的にいって、立憲民主党(立憲)、日本維新の会(維新)、国民民主党(国民)、日本共産党(共産)、れいわ新選組(れいわ)、社民党(社民)による選挙協力については始めから無理があったということに落ちつきそうである。 

 そもそも、政党の存在理由と選挙協力には排反関係があることから、金庫のダイヤルのようにいくつかの数字(条件)がそろわないと、開かないということのようである。 

 そこで、自民党と公明党の選挙協力がうまくいっているのは、政権という最強の接着剤があるからというのは、もはや常識となっている。それでも、両党の選挙協力の結果は、どんな候補者なのかという人的要素にも大きく影響されるが、クロス投票でいえば50%から80%に上るのではないかといわれている。クロス投票とは自民党支持者が公明党候補に投票する、あるいは公明党支持者が自民党候補に投票する比率をいうもので、出口調査や投票後の組織調査などで推定されているようである。(筆者の場合は経験にもとづく勘ピューターであるが)

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時事雑考 「国防論議について、左派グループは豹変すべきである」

豹変

◇ 「豹変すべきである」。プーチンロシア大統領のウクライナ侵略をうけての国防論議に対する左派グループへのささやかな贈語である。筆者は、立憲民主党(立憲)に対しては「憲法9条改正(自衛戦力保持)を主導し、日米安保条約の実質対等化を目指す」ことを方針化すべきではないかと、ウェブ上で勝手に例示しているのだが、あいかわらず動きはないようである。常識的にはありえない話なので悲観はしていない。おそらく一周遅れで気がつくのではないかと受けとめている。

 ところで、平等原則からいって、日本共産党(共産)にも社民党(社民)にも同様のことを求めるべきであろうが、無駄になると思われるのでやらないでいたのであるが、意外なことが起こっている。ようするに、赤い旗と白い旗が同時にたなびいているのである。

◇ 「共産党は7日、全国都道府県委員長会議を党本部で開いた。志位委員長は『共産党の躍進で自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党による平和を壊す翼賛体制を許さない審判を下そうではないか』と述べ、従来の与党と維新に加えて国民とも対決していく方針を示した。」(注1)と伝えられているが、ガリガリの思考を変える気はさらさらないようだ。

 で、立憲は、「立憲民主党の泉健太代表は8日の記者会見で、共産党の志位委員長が『急迫不正の主権侵害に際しては自衛隊を活用する』と発言したことを歓迎した。『全国民が自衛隊は大切な存在だと認識している。わが国の国防を担うのは自衛隊だと多くの政党が認識することは、基本的によいことだ』と述べた。」(注2)ことにくわえ、「その上で『明確に、自衛隊は合憲だという理解をしてもよいのではないか』と共産に呼び掛けた。」(同)ようである。

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時事雑考「ロシアのウクライナ侵略がわが国の安全保障意識に与える影響」

◇ たしかにきな臭くはあったが、それでもまさかという想いであった。―

あれから34日が過ぎたが、戦火は一向に収まりそうにない。被害の拡大を防ぐためにも、人びとの不安に終止符をうつためにも、一日も早い停戦を期待したいが、それでも国連憲章などを違(たが)えてのロシアの侵略行為を認めるわけにはいかない。また、ロシアが侵略の成果をえることも断じて受けいれられない。という多くの気持ちはそれとして、プーチンもゼレンスキーもいずれ泥沼から抜けだすための決断を強いられることになるであろう。しかし、そういった出口の議論にたどり着くにはまだまだ時間がかかると思われる。また軽々にあつかうべきものではないし、わが国も時期がくれば今以上に巻きこまれることになることだけは確かであろう。

 それにしても、事態が激しく動いているなかで、遠く離れた東アジアの地にあって、さまざまな地図が解説のために映しだされるのであるが、ジブラルタルからウラルまでの広大なヨーロッパ大陸がジグソーパズルのように分割されていること、さらにそれらのピースが時代ごとに変形消失あるいは生成されていることに「わあっ、ヨーロッパは大変だな」とあらためて驚きを覚えると同時に、だから東アジアの地政学センスでヨーロッパを観ることも語ることも難しいのかしらと、やや閉じこもり気分になるのである。

 さて、今回は一連の出来事をうけてわが国の安全保障意識にどのような変化がみられるのかについて、管見を呈したいと思う。結論をいえば、いままで理屈のための理屈に終始していた安全保障議論が従来の枠にとどまらず、中国の台頭と米国の若干の減力から現実直視型の議論へ移行する過程にあって、世界大戦型の脅威だけではなく局地型の脅威が現にありうること、またそれへの対応策は実戦的に構築する必要性があることなどなど、平和構築の視点が多様化していると思われる。また国民の関心も観念的な反戦平和論から実効性の高い現実的平和主義へと移行しているとも思われる。

 ということを政治勢力別にみると、旧来の左派あるいはリベラル陣営では平和戦略の刷新と再構築が喫緊の課題になっていると思われる。が、ロシアのウクライナ侵略の前であれば「変わること」についての好機であったと高い説得性がえられたであろうが、後となってはたんなる「後追い論」としか受けとられないので、左派支持層を失うリスクだけが残ることから、いずれにせよ路線刷新は難しいと思われる。   

 とくに、日本共産党、社民党にとっては逆風である。また、立憲民主党が政権を目指すのであれば、鮮やかなイメージチェンジを成功させなければ、残念ながら政権担当政党とは認知されないであろう。このあたりについては、2022年2月9日の弊欄「政界三分の相、立憲民主党は左派グループにとどまるのか」で、「立憲民主が憲法改正(9条)を主導し、日米同盟の双務的再定義をあわせて提起するならば、わが国の政治シーンはコペルニクス的大転回によって、現在の保守グループのアドバンテージは雲散霧消するといった連想を生むのであるが、」と政治的転向の難しさを踏まえながらも、わが国の政治の活性化のためには同党の大胆な行動変容が必要であると呼びかけているつもりであるが、難しいのかもしれない。

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時事雑考「プーチンのウクライナ侵略と終わりを見通せない経済制裁」

「プーチンのウクライナ侵略戦争」というべきか

◇ 筆が止まってしまった。前回の2022年2月26日「予算案は参院に、ウクライナ侵攻が変える安全保障意識」の後がつづかない。この瞬間においてもロシア軍の都市部への攻撃がつづき死傷者が激増している。しかし、今のところ停戦協議が成果をあげるとは思えない。また協議中であっても攻撃を緩める気配もなく、むしろ無差別攻撃になっているのではないかと心配している。生活空間を破壊し、民間人を死傷せしめ、避難者を苦しめているが、これは「プーチンのウクライナ侵略戦争」と命名すべきものである。(文脈上敬称を略す)

 

国連総会が国連を支えたが、新しい風を吹かせることができるのか

◇ この侵略に国際社会が受けた衝撃は大きく、また多くの国が強い憤りを感じていることは、「国連総会のロシア非難決議『ウクライナに対する侵略』」が2日に賛成141か国、反対5か国、棄権35か国、無投票12か国で採択されたことからも明らかである。安保理常任理事国の悪しき特権をのり越えての総会決議の意義は、今日その存在を問われていた国連にとってとても大きいものといえる。もちろん、この決議には法的効力はない、しかし国際社会の規範を明確にする機能は十分はたしているといえる。直ちに撤退を強いる実効力はないものの、決議文にある16項目を読めばほとんど判決内容に近く、141か国が賛成した事実とあわせ、国連に新しい風が吹きはじめたと受けとめたい。ということから、なによりも侵略国を大いに苦しめる流れができたことは確かであろう。8年前のクリミア併合時とは大いに違ってきたと感じている。

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