遅牛早牛
時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考える-さまざまな疑問その5」
◇ もうすぐ2021年9月がおわる。猛暑にあって気候変動問題についていろいろと考えてきたがさほどの猛暑ではなかった。猛暑よりも台風14号の進路と降水量が気候変動らしかったと思う。それにしても文が長くなりすぎたし脈絡に靄がかかったようで反省している。
さて、自民党総裁選挙がおわり岸田文雄氏が総裁になった。前回あるいは前々回に紅白試合とか歌舞伎演目とすこしばかり揶揄してみたが、公開での議論はめずらしいことからか関心がたかまり、わすれられていた政策をめぐる議論が生にえが多々あったもののそれなりに盛りあがったことは評価できる。この期間メディアジャックといわれるように自民党一色の報道になったがちかづく衆議院選挙を考えれば野党側も公開討論会などをやってもよかったのではないか。野党間の選挙協力がすすんでいるのであればなおさら積極的に取り組むべきであろう。
もちろん政党間の公平性は担保されるべきではあるが、内閣総理大臣の選出に直結するものであったことから支持不支持にかかわらず注目されたのはとうぜんであろう。政治家はいったことには責任をもつべきであるから総裁選での討論内容をちゅうしんに野党もかっぱつな議論をしかけると思われる。しかし、まえのお二人が議論をしない、かみあわせない達人だったからひょっとして新総裁のふつうの対応がいかにも新鮮にうつるかもしれない。「ちょっとはかわる」のか「かえてもかわらない」のか注目したいと思う。
◇ 気候変動問題は《その5》に突入してしまった。いい残したと思いながらあれこれとおいかけているうちに同じことを繰りかえしているところもあって、また章だてでないこともあり全体像が不鮮明でわかりにくいと自身で思っている。
たしかに各論の逐次展開ととつぜんの論理飛躍がからまっており良くいってエッセー的評論、普通にいえば年寄りのくりごとであろうか。
とはいえ本テーマは人類の資格試験それも実技、実演がちゅうしんのとてもむつかしいもので、失敗すれば明日がないとまではいわないが悲惨な事態をまねくことはたしかであろう。脱炭素経済へえんかつに移行してほしいものだが、そのためには人びとの意識変革がひつようでありとくに自らの欲望の抑制あるいは制御がじゅうようとなる場面がふえてくると思われる。
これからは化石燃料の使用抑制から禁止へときょうかされていくと思われる。こういった禁欲運動をベースにした脱炭素社会にはどうしても社会規範による補綴(ほてつ)がひつようではないかと考えながら、最終的には「炭素倫理」とでもいうべき強固なバインダーかいると思うが、まだ具体的なイメージがえられていない。
さらに、地球規模での対応でなければ効果的でないことだけはたしかであるが、そうはいっても国家間、地域間の格差問題の解決でさえみとおせないのにそんな上等な芸当ができるのかしらと不安になる。くわえて国連や国際機関の出番であり活躍がきたいされているのだが、かぎられた資源の配分などという腕力のいる仕事をはたして彼ら彼女たちがこなすことができるだろうかと不安である。もちろん、いちばんの不安が再生可能エネルギーが化石燃料を完璧にリカバリーできるかであることはかわらない。
気候変動問題についての論調はひきつづき悲観のパレード風であるが、なにもゴールまで悲観一色になるとは思っていない。はじめは悲観、最後は楽観がベストと考えている。楽観ではじめて悲観でくれるよりもいくらかましではないかと思う。
(こんかいも漢字をへらし、かな多めにと思っていますが、20字もかながつづくときれめがわからないので適当に漢字をいれています。また名詞は漢字で、述語あるいは動詞はかなゆうせんとしました。やややりすぎ感があるので次回は修正を考えています。なお不徹底のかしょについては容赦ねがいます。)
時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その4」
◇ 9月16日秋分が迫る。今年も大雨が心配である。さて、自民党総裁選がかまびすしい。予想どおり総選挙に向けての紅白試合の様相を呈しはじめている。
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「ぶっ壊したはずなのにご子息がおなじように語るぐらいの小芸では大向こうからの声はかからない。それにしても優柔不断と目されていた判官が意を決して館の魍魎退治を宣言したところまでは戯作としては平凡ながらも久しぶりの活劇かと一同総立ちになりかけたが、これぞ鬼の霍乱かな関白自ら魍魎に刃を突きつけたものだから魑魅が魍魎を討つなど前代未聞とばかりに床板を踏みならしての大ブーイングに関白こらえきれず扇子を落としたところで幕が下ろされた。いよいよの二幕が上がらぬうちから踊りでたのは河野乃守、振り上げた拳のおろし先を失い暫し自失の判官殿を横目にサッサッと関白跡目を名乗りでたから町衆の喝采のおおきからんことまさに近年比べるものぞなし。さて二の幕が上がりきったその舞台に気がつけばお市の方が高下駄佩剣の男装束にて野郎歌舞伎にあらず娘歌舞伎にもあらずと大剣を振りかざしての一舞いに賑やかし気分もあってかやんややんやの大声援ありいっときの思わぬ盛り上がりに当代役者番付も刷り直しかと世情の苦難を脇においての大騒ぎこそ尋常にあらず、これではさすがの昆濾那(ころな)も手出しができまいと喜びあったそのときに舞台袖に手をかけてしばらくしばらくと声を張りあげるも気づく客こそ少なからん。さように火を吹くがごとき熱気ではあるが小屋外は通る人影もまばらで秋影引きながら懐寂しく家路を急ぐ諸人は昆濾那退散をただ願うばかりなり...」といった歌舞伎演目に沸く永田町芝居小屋は月内活況を呈すであろう。
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さて、「かえてもかわらない」政治法則を忘れてはならない。党内疑似政権交代がまやかしであったとの知見は国民的財産でなければならない。それを忘れ旧弊になびくのはメディアの商業主義に原因がある。前任への過酷な批判なくして真の交代とはいえない。つまりアベスガ政治の徹底的な反省なくして前進はないのである。という意味において目くらましでありまやかしではないか。
「かえなければならない」のは政策であり制度であるのに表紙をかえてことをすまそうとするのは民主政治の堕落である。まして人気幻灯劇は厳に慎んでもらいたい。今のわが国はそんな場合ではないだろう、これは小学生でもそう思っている、つまり被害に遭っているのだ。
手をあげた面々の浮かれた気分にこちらの気分が悪くなりそうで、感染症対策の緊密化を国民に要請しながらあたかも総選挙の予行演習をなすがごとき報道ぶりに「だれが協力するのでしょうか」と問いたい。
それにしても今ごろアベノミクスの検証かと思いつつも批判あるいは検証のものさしを確認し確定させることは政党にとってきわめて重要であることから急がばまわれということもあるのでここはぐっとこらえて、立党は立論からではないかとつぶやきながら現下の政局については筆をおくことに。
(今回も気候変動問題についてとくに需要面から雑考しています。引き続き漢字ややすくなめ、かな多めです。)
時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考える-さまざまな疑問その3」
◇ 今月(2021年9月)3日、菅義偉総理が感染症対策に専念するため総裁選には出馬しないと自民党役員会で表明した。前回の弊欄(8月29日)では「わるいが、すでに選挙管理内閣的ではないか。」と評したが、結果だけまぐれあたりとなった。突然の転回に驚いている。
事後に解説するのは報道や評論家の役割である。ところですべての責任をひとりに押しつけ一件落着としたい人たちもいるだろうが、民主政治は共同責任であることを忘れてはいけない、私小説であってはいけないのだ。
ほんとうに崖っぷちであったがこれで総裁選で満身創痍になることは避けられたわけで「よかった」と思っている。落ち目の王を屠る惨劇を目にしないだけでもよかった。「王殺し」は民心を荒廃させるから避けるべきである。真相は知るよしもないが進言があったとすればそれを多としたいところであるが、他言はいただけない。
病をもって二度目の途中退場をした安倍晋三氏のあとを襲っての就任であった。筆者は安倍政権のあとしまつ内閣と位置づけたがつかんだ権力に心は千々に乱れたかもしれない。あとしまつに徹しておれば違う道がひらけたのではないかと思っている。それほどに安倍政権のあとしまつは簡単なことではない。それは民主政治の本質にかかわるもので、官房長官として共謀の立場にあったわけだから自分のあとしまつでもある。まあ常人には難しいことであろう。
しかし、いいところを残すためには自分たちの手で悪いところを取りのぞくことが必須であった。また、感染症と五輪に苦しんだ一年であった。気候変動(削減目標の強化)やデジタル庁また携帯電話料金などは後世にのこると思われる。それでもとうぶんは雑巾のようにあつかわれるだろうが、感染症対策に専念することの意義はちいさくはないと思う。それにしてもはやく辞めろとばかりに責任追及していたのに辞めるとなると敵前逃亡だと批難するのはおかしな話である。総裁任期満了なんだからとやかくいうこともないだろう。遅きに失した面もあるが決断を多とし送辞としたい。
これで総選挙に自民党は表紙をかえて臨むことになるが「かえてもかわらない」ことになるかもしれない。また、野党がこまることが最高の戦略だと考えているだろうから、新総裁のキャラによっては攻守ところをかえての選挙になるかもしれない、そうなると野党にとって油断のできない事態である。前回の弊欄で「『菅総理での選挙のほうが有利』といったかるい発想ではとんだ落としあなにはまることになりかねない。」と記し、立憲民主党に注意をうながしたつもりであったが、易きに流れる気質はかわっていないようだ。
◇ さて、気候変動問題であるが《その1》《その2》で総論らしきものを述べたので今回は各論としてとくに自動車のEV化などを対象とする。(漢字すくなめ、かな多めについてはすこし弛めることにします。)
時事雑考「2021年秋の政局のはじまり-紅白試合か歌舞伎演目か」
◇ 8月22日横浜市長選挙の投票がしめきられた午後8時山中竹春氏に当確がうたれた。この瞬間から秋の政局がはじまったといえる。
総理として解散などいろいろと思い描いたと思う。しかし昨年も今年も新型コロナウイルスに諸事差配されていたから解散権などは総理の掌中にはなかったのではないか。筆者も選挙日程などの質問には「コロナしだい」とみじかく答えるしかなく、また事実そうであった。
なによりも感染症対策を、これが総理のいつわらざる思いであろう。またそうあるべきであろう。しかしざんねんながら全力をつくしたとしても事態が好転するかどうかはわからない。すでに制御不能ではないかとの不安がひろがっている。だからどこに明るいきざしがあるのかと、総理発言にたいし反発と不安をいだく人びとの目線が日ごとに厳しさを増しているのである。そしてその目線のさきにスガ政権だけではなくアベ政権もさらに自公政権があることはまちがいないといえる。
このように人びとの目線が厳しくなったのは最近のことではなく、何年もまえからのことで、それは政治家がみずからの「責任」をズダ袋にいれどこかに隠してしまったからで、「責任をとってなんぼの先生」と考えている人びとは政治家のいうことをまるで聞かなくなっている。これがわが国を難しくしているのではないか。
時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その2」
《その2》
◇ 気候変動問題に手こずっている。《その1》が8月8日で、《その2》が8月22日なので(本日)、この分だと《その3》《その4》は9月に突入するのではないかと心配している。さて感染者数はざんねんながら全国で2万人台を大きくこえてしまった。
「変異株の逆襲がなければ」落ちつくのではないかという秋口にむけての筆者の予想は「~でなければ」文のおかげで皮一枚残ったがけっこう甘かったと反省している。それにしてもデルタ株の威力は恐るべしである。また人びとの対応には慣れというかダルさをふくむ飽き感がみられ、またやや非協力的であったりして、なんともいえないムードにあふれているがこれには官邸も困っているだろう。
ここは弊欄2021年6月7日時事雑考『2021年6月が始まった、なんだか崩れていく統治に不安』を政治家のみなさんがたに読んでいただきたいのであるが、まあ長すぎるし...無理かしら。
それをひと言でいえば国民の行動変容についてはおねがいベースだけでは限界がある。なぜかというと権力行使の効果性は政治家の責任に比例するもので、責任がともなわないあるいはあやふやな政治家の発言に熱意や迫力を感じることはない、だから共感しない、そういう意味でいまの責任をともなっていない要請はズバリ政治家としては逃げである、と思う。もちろんアベ時代からのボタンの掛けちがいがあっていいわけは山ほどあるのだろうが、それは人びとにはかかわりのないことである。
発信力とか応答力とか総理にたいする批判が炸裂ぎみであるのはとうぜんのことと思うが、饒舌であれ訥弁であれ虚飾の言辞をはぎとることがメディアの仕事だと思う。本日の横浜市長選挙の結果から秋の政局がはじまるが「報道すればいい」のであればたれながしとかわらない、虚飾をはぎとる手段は事実の提示であると思うのだが。
(おことわり:今回から漢字の比率を減らしています。べつに中国ばなれを意図しているわけではありません。あくまで表現上の工夫です。)
時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その1」
◇ 2021年の猛暑はまだまだ続くであろう。その猛暑とCOVID-19が生き物である私たち人間の生態環境をいちじるしく悪化させている。そんな中COVID-19の収束がゆらいでいる。もちろん感染予防行動、ワクチン接種、治療法(治療薬)の三点セットの効果が発揮されいずれ落ちつくと思われる。問題は呼んでもいないのに勝手に登場する変異型でこれが油断ならない。しかしよくもまあこんな「たちの悪い」ウイルスが出現したものと恨みがましく思うが、ここは発生メカニズムをしっかりと解明して欲しいものである。
さて2021年11月には英国で第26回気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)が開催される。パンデミック下であっても気候変動問題の重要性は変わるものではない。とくに2030年にむけての各国の取り組みについて議論しあうこの会議はきわめて重要なものとならなければならないのだが、国内における関心はまだまだのようである。取り返しのつかない事態になってから「早くいってよぉ」と叫んでもダメである。国民ひとりひとりがわが事として真剣に考えなければならない、決して政治家まかせではいけないテーマであることを強く指摘したい。
時事雑考「2021都議選の結果から今後の政局、総選挙を占う」
◇ 7月4日には都議選の結果を受けさまざまなコメントが賑々しくでまわっているが残念ながらすべてに目を通すことはできないでいる。しかし何かしら潮目が変わる予感もある。例によって妄想的感想を中心に総選挙までの政局に注目しながら雑考をつづる。長引く閉じこもり生活の憂鬱がランラランと解消すればいいのだが。
都議選を最後につかんだ小池知事が奏でるメロディーに注目
◇ 「どこも勝っていない、勝者なき選挙結果」といういい方は勝手なものだと思うが、獲得議席一覧をながめればたしかに平凡な結果である。
さまざまな「予想」が断続的に披露されてきたが、今回は小池知事の入院報道直後に「都民ファースト有利」と機敏に修正した予想者が高率的中の栄誉に輝き、それを無視した者は大きく外したといえる。
2017年の都議選では都民ファーストがいきなりの第一党となる大躍進を遂げ小池知事も騎虎の勢いで10月の総選挙に希望の党で臨んだいわゆる小池劇場の記憶が生々しい。そこで、小池氏の影響を肯定的に受けとめる立場と否定的に受けとめる立場の違いが今回の情勢急変にたいする対応つまりグラブさばきに影響を与えたと思われる。親小池と反小池に分かれる独特の政界感情が漂うこの空気感がここ何ヶ月かのわが国の政局の主旋律(メロディー)になるかもしれない。「なる」と断言してもいいのであるが露骨に嫌な顔をされる方々がおられるのでここは忖度的に「かもしれない」と一呼吸おいてみた。しかし事態の重大さは、嫌な顔をされる方々のほうがよりわかっておられるはずで、ひと言でいえば小池劇場はまだ完結していないという不発弾状況こそがこれからの何ヶ月間の政局そのものではなかろうか。
時事雑考「2021年6月はあわただしく難しいものであった」
◇ 2021年6月はあわただしく師走のように駈けていく。身の回りでいえばワクチン接種が一番、都会地では宣言解除、それから内心トホホと思いながらもオリンピック・パラリンピック東京大会(オリ・パラ東京大会)関連とあいかわらず刺激臭のある話題にことかかない。
ほかに国際ものではなんといってもG7。イギリスのコーンウォールの崖っぷち感がすごくマッチしていて快感すら覚える。で隠れた主役が習氏ときたが、そんなに偉いのかとグチりながら遠慮せずに厄介者あつかいされていると本当のことをいったらどうなるのかしらと、そういえば世界中から愛されていないと自覚だけはしているようで、でも「そりゃ遅いぜ」だよね、友達のいない国がお金で友達を増やそうとしているが嫌われている原因はなんだろうか。世界の七不思議とはいわないがバイデン政権はそこを衝いている。
国会閉幕から都議選、オリ・パラ東京大会そして自民総裁選、総選挙と重たいテーマがつづく。さて気がつけば今年もすでに半折、残りの心配事は猛暑に台風に変異型でしょう。それと都知事の体調も気になる。
時事雑考 「2021年6月が始まった、なんだか崩れていく統治に不安」
この国の統治に生じているほつれや荷くずれ
◇ とりわけ深刻な事態というわけではない。しかし、緊急事態宣言下にあって人々には政府や自治体からの要請にたいし聞きたくないという気持ちが高まっている。もちろん人さまざまであるから大波のような変化がただちに生じるとは思えないが、それでも要請を無視する人が少しずつ増えているのは気になる。昨年の春から梅雨にかけて人々はおびえるように感染動向を見まもっていたが今ではふてぶてしいわけではないがけっして初々しくはない「手慣れたあつかいぶり」で世紀の災厄をやり過ごそうとしているように見える。
素直には要請を受けいれたくないといった心情についてはある程度予想されていたが、それはあくまで概念としての予想であって実感としての肌触りをもったものではなかった、だからその実感に直面した今こそ正直衝撃を受けている。
その衝撃を細かく解いてみてとくに「この国の統治」を揺るがしかねない小さいが大きな「なにか」がチクチクと感じとられどうしても気になってしまう。
またぞろ話が飛び跳ねて申しわけないが、この国の統治については日頃からおおむね良しと思っているので話の中心はどうしてもトラックに満載の荷物がどのように崩れていくのかといった感じの「荷くずれ論」になってしまう。いってみれば、荷くずれという微細現象から統治のありようつまり全体を批判しようというミクロtoマクロ談義で、すこしうがち過ぎになるかもしれない。
さて、この荷くずれはセーターでいえば袖裏のちょっとしたほつれといったものであろうか、しかしちょっとしたとか小さなとかいくら綾をつけてもほつれはほつれ、放っておくと広がっていく、そしてやっかいなことになるかもしれない。とくに荷くずれとなると一旦停車し積みなおしが必要で、一旦停車には覚悟が必要であるが、この覚悟が難しい。
時事雑考「2021年5月のあれこれ、妄想からの離脱」
よくわからない内閣支持率だけど、不支持率の高さは危ないよ
◇ 「そりゃ下がるさ」、内閣支持率のことである。あってもなくてもいいレベルをゼロとすれば、いまの政権はマイナスつまり「なくてもいい」から「ない方がいい」に大きく傾いている。不支持率から支持率を引いた数字が政権自体のマイナス度をしめすと考えるなら、政権支持はいま水面下にある。要するにスガ政権でなければとは思われていないのである。
マイナス評価に傾いた原因は感染症対策の不手際であって、これほどわかりやすい失敗例は昨今珍しい。明らかな失政であるが問題は国民の失望感が不安感に変わることである。期待があるから失望が生まれるのであって、期待することがなければ失望もない、それは無関心の世界である。しかし無関心ではいられない事態がおこっている。ほとんどの人がわが身に累がおよぶという不都合な日常がつづいているのである。その不都合なるものの過半が政治の世界からやってきている、いってみれば政治家のご都合主義が原因ではないかと、だからジツニケシカランと思っているのである。
ケシカランはともかく、これからさき大丈夫かと心配になる。なんとなく悪いほうに流れていく感じが不安をまねいている。