遅牛早牛

時事雑考「すりかえられた争点―選挙のてん末と時代おくれ感」

◇ 衆議院選挙がつねに政権選択につながっていることはまちがいない。が、今回(10月31日)の選挙がどのていど政権選択の色あいをもっていたのかについては「ほど遠い」ものであったというのが偽らざる実感である。

 実態からいえば、日をおうごとに自公連立・岸田政権にたいする信任投票の意味あいがつよめられたといえる。つまり菅前総理の突然の総裁選への不出馬表明は経過としてはドラマチックではあったが、結果からいえば「争点はずし」を意図したもので、アベ・スガ政治への国民の評価から逃げたことは明白であった。

 しかしこのことから「やはりうしろめたいのかな」と憶測するのは甘いのかもしれない、権力集団の本能は権力保持に特化している現実をふまえれば、すべては選挙において有利か不利かの判断にもとづいている。だからこれに美学とか倫理観をぶつけてみても詮ないことである。ここで筆者が残念であると言葉を修飾してみても、モリカケサクラ問題も広島の買収事案の資金疑惑も感染症対策あるいはオリパラ東京大会もさっさと俎上から降ろされ、現実はできたての素うどん(岸田政権)のお味はいかかがですかと問われることになってしまったのである。まだ食べてもいないのに味はどうかと聞かれても答えようがないので争点どころか焦点まで定まらず、そこはボケた感じの選挙になってしまった。つまり「争点はずし」は成功したのである。

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時事雑考「芳野連合の賃上げと岸田総理の分配政策」

◇ 来年春の賃金交渉について、連合の芳野会長は10月21日にひらかれた中央委員会後の記者会見で、ベースアップ2%程度(定期昇給をふくめ4%程度)の賃上げをもとめる方針であるとのべた。

 これで9年連続のベースアップ要求となる。「新会長として来年春の賃金交渉をどのようにまとめられるのか手腕をとわれる」とおさだまりの記事が目にうかぶが、これは連合会長だけの問題ではない。むしろ政府と経営者にかせられた、日本経済のこれからの成長をどのように導くのかという国民にとってもきわめて重要なものといえる。予言的にいえばおそらく「ターニングポイントになる」であろう。いや「ターニングポイントにしなければならない」と思う。

◇ いまだに「春闘」と呼称されている春の賃金交渉については「曲がり角の春闘」あるいはたびたび「春闘終焉」と半世紀前からあれこれといわれてきた。とくに高度経済成長にのっかった賃上げが1975年をもっておわり、それいこうは経済情勢や産業事情あるいは政治情勢の影響をうけるなかで、なんとか賃金決定システムをいじするための労使のむつかしい調整がおこなわれてきたといえる。

 とくに1980年代にはいってから、わが国の賃金が世界でも最高水準にあるとの認識にたち、このままではいちじるしく国際競争力をかくことになるとの問題意識をたかめるなかで、日経連(当時)をちゅうしんとする経営者団体の賃上げとそれをもたらす春闘システムにたいする抵抗はつよまっていった。それから30年、経営者の要望どおりわが国は先進国のなかの低賃金国になった。

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時事雑考「たそがれる日本と錆びつく政治Ⅱ」

◇ 衆議院が解散(10月14日)されいよいよ総選挙がはじまる。各党の選挙公約もでそろい久しぶりの政権選択選挙である。その前哨戦のつもりかもしれないが、「文芸春秋11月号」に「このままでは国家財政は破綻する」と現職の財務省事務次官が投稿したからちょっとした騒動がおきている。内容はやや古典に類するがとくだん非難すべきものではなかろう。財務省としてはとうぜんの主張ではないか。だから経済同友会の櫻田謙悟代表幹事もはやばやと賛意を表したのだろう、賛同の声もおおい。

 しかしながら憤慨する方面もあるようだ。たとえば高市早苗自民党政調会長は「失礼ないい方だ。基礎的財政収支にこだわって本当にこまっている人を助けない。こんなばかげた話はない」と10日のNHK討論番組で反論したようである。まあ、失礼であるのかどうかはよくわからないが、こまっている人を助けないで財政収支だけを改善するべきとはだれもいっていないわけで、ここは高市政調会長の過剰反応ではないか。というのも基礎的財政収支の改善は反論のよちのない政策目標であるから、新政権がそれを尊重しないつもりならその理由をまず説明すべきである。

 いいかえれば、通貨主権をもつ国はいくら借金しても財政破綻することはないのだからいくらでも赤字国債を発行してもいいとの理屈(たとえば現代貨幣理論など)を採用するならそのことを一度しっかりと議論すべきである。それというのも国民は何十年も赤字国債はよろしくないから早晩ゼロにすべきであると信じているというか思いこんでいるわけで、そうではないというのであるなら、そう説明をすべきである。しかし国民のおおくは納得しないであろう。そんなうまい話があるはずがないという国民の反応はまともといえばまともである。

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時事雑考「岸田内閣発足から衆議院選挙へ-たそがれる日本と錆びつく政治Ⅰ」

◇ 9月30日弊欄の冒頭に政局コメントとして湯気がたっている岸田総裁誕生にかんたんに触れ「『ちょっとはかわる』のか『かえてもかわらない』のか注目したいと思う。」とむすんだ。

 筆者の手元でいえば、10月6日日経新聞はさっそく岸田内閣支持率を59%と、また朝日新聞は45%と報じた。いずれも4、5日の調査であり新内閣にたいする国民の第一印象をはかるうえでたいへん興味深いものである。他紙あるいは各通信社の調査もおなじ傾向で、歴代にくらべけっして高くはないところがミソであろう。

 この内閣支持率についての調査はたしかに変な調査ではある。とくに朝日の45%と日経の59%とではおおきな差があるのが不思議であるが、数字比較にはとりたてて意味はなさそうだ。が、調査ごとの傾向には民意といわれるものの気分がうかがえる。

◇ その気分の一つが、自民党中心政権でかまわないが、新内閣にあまり期待してもしかたがない。女性の党役員や閣僚あるいは当選回数の少ない若手の起用など工夫があるものの、それを生かしきれるのかぎもんである。

 二つが、党内刷新がふてっていというか旧弊温存で反省につながっていない。もうちょっと反省をかたちであらわせなかったのか、とくにモリカケサクラ問題の処理にはなっとくしていない。また国の借金による風船経済と格差拡大あるいは感染症対策へのぎもんなど政権へのふまんもおおく、くわえて党内疑似政権交代のわざとらしさや限界を感じている。

 三つが、期待がひくいのはパワーが感じられないからで、くわえて調査からははなれるが野望、野心、豪腕、狡猾といったワイルドかつネガティブな匂いがしない。ここはもとめる政治家像に微妙な変化がおこっているとも考えられる。 

 筆者の管見であるが「いい子ぶりっこの競演」はそろそろやめにしてたまには「ホンモノの政治家の凄みをみせろ」というニーズが底流にあるのではないか。たとえば、拉致と北方領土問題への失望は深く、なんともいえない脱力感がある。とくに右から自民党をささえた人たちにしてみれば思いは複雑であると思うが、このあたりはある人物を信用しすぎたのではないか。この問題の本質は「靖国へは参拝するだけ」、「憲法改正はいうだけ」という包装紙商法にあるのであって、支援するがわの眼力がとわれている。野党の非難をきいているとつい勘ちがいするのだが、自民党はだんじて右翼政党ではない。都合のいいときだけそんな顔つきになるだけである。まあそういった軟体性が強みであるのかもしれない。

 さいごは、いつものことで申しわけないが、自民党ほどにも変われない野党への不満である。朝日の調査では衆院選での投票先(比例)について、自民41%、立憲13%とそれぞれ-2、+2ポイントで前回とくらべてもあまりかわっていない。問題は立憲の数字でこの時期、この状況での数字としてはもの足りないかぎりである。せめてあと10ポイントは欲しい。選挙の結果はあるていど上のせされると思われるが、消去法で票がはいるのでは政権奪取はおぼつかないのではないか

 また、日経の調査では立憲が(選挙)協力すべき相手について、共産党とすべき6%、国民民主党とすべき25%、両方とすべき33%、両方とすべきでない20%、他はいえない、わからないとなっている。調査の詳細がわからないのでコメントはひかえるがいまの国民の気持ちをいえばそういうことであろう。

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考える-さまざまな疑問その5」

◇ もうすぐ2021年9月がおわる。猛暑にあって気候変動問題についていろいろと考えてきたがさほどの猛暑ではなかった。猛暑よりも台風14号の進路と降水量が気候変動らしかったと思う。それにしても文が長くなりすぎたし脈絡に靄がかかったようで反省している。

 さて、自民党総裁選挙がおわり岸田文雄氏が総裁になった。前回あるいは前々回に紅白試合とか歌舞伎演目とすこしばかり揶揄してみたが、公開での議論はめずらしいことからか関心がたかまり、わすれられていた政策をめぐる議論が生にえが多々あったもののそれなりに盛りあがったことは評価できる。この期間メディアジャックといわれるように自民党一色の報道になったがちかづく衆議院選挙を考えれば野党側も公開討論会などをやってもよかったのではないか。野党間の選挙協力がすすんでいるのであればなおさら積極的に取り組むべきであろう。

 もちろん政党間の公平性は担保されるべきではあるが、内閣総理大臣の選出に直結するものであったことから支持不支持にかかわらず注目されたのはとうぜんであろう。政治家はいったことには責任をもつべきであるから総裁選での討論内容をちゅうしんに野党もかっぱつな議論をしかけると思われる。しかし、まえのお二人が議論をしない、かみあわせない達人だったからひょっとして新総裁のふつうの対応がいかにも新鮮にうつるかもしれない。「ちょっとはかわる」のか「かえてもかわらない」のか注目したいと思う。

◇ 気候変動問題は《その5》に突入してしまった。いい残したと思いながらあれこれとおいかけているうちに同じことを繰りかえしているところもあって、また章だてでないこともあり全体像が不鮮明でわかりにくいと自身で思っている。

 たしかに各論の逐次展開ととつぜんの論理飛躍がからまっており良くいってエッセー的評論、普通にいえば年寄りのくりごとであろうか。

 とはいえ本テーマは人類の資格試験それも実技、実演がちゅうしんのとてもむつかしいもので、失敗すれば明日がないとまではいわないが悲惨な事態をまねくことはたしかであろう。脱炭素経済へえんかつに移行してほしいものだが、そのためには人びとの意識変革がひつようでありとくに自らの欲望の抑制あるいは制御がじゅうようとなる場面がふえてくると思われる。

 これからは化石燃料の使用抑制から禁止へときょうかされていくと思われる。こういった禁欲運動をベースにした脱炭素社会にはどうしても社会規範による補綴(ほてつ)がひつようではないかと考えながら、最終的には「炭素倫理」とでもいうべき強固なバインダーかいると思うが、まだ具体的なイメージがえられていない。

 さらに、地球規模での対応でなければ効果的でないことだけはたしかであるが、そうはいっても国家間、地域間の格差問題の解決でさえみとおせないのにそんな上等な芸当ができるのかしらと不安になる。くわえて国連や国際機関の出番であり活躍がきたいされているのだが、かぎられた資源の配分などという腕力のいる仕事をはたして彼ら彼女たちがこなすことができるだろうかと不安である。もちろん、いちばんの不安が再生可能エネルギーが化石燃料を完璧にリカバリーできるかであることはかわらない。

 気候変動問題についての論調はひきつづき悲観のパレード風であるが、なにもゴールまで悲観一色になるとは思っていない。はじめは悲観、最後は楽観がベストと考えている。楽観ではじめて悲観でくれるよりもいくらかましではないかと思う。

 (こんかいも漢字をへらし、かな多めにと思っていますが、20字もかながつづくときれめがわからないので適当に漢字をいれています。また名詞は漢字で、述語あるいは動詞はかなゆうせんとしました。やややりすぎ感があるので次回は修正を考えています。なお不徹底のかしょについては容赦ねがいます。)

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その4」

◇ 9月16日秋分が迫る。今年も大雨が心配である。さて、自民党総裁選がかまびすしい。予想どおり総選挙に向けての紅白試合の様相を呈しはじめている。

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 「ぶっ壊したはずなのにご子息がおなじように語るぐらいの小芸では大向こうからの声はかからない。それにしても優柔不断と目されていた判官が意を決して館の魍魎退治を宣言したところまでは戯作としては平凡ながらも久しぶりの活劇かと一同総立ちになりかけたが、これぞ鬼の霍乱かな関白自ら魍魎に刃を突きつけたものだから魑魅が魍魎を討つなど前代未聞とばかりに床板を踏みならしての大ブーイングに関白こらえきれず扇子を落としたところで幕が下ろされた。いよいよの二幕が上がらぬうちから踊りでたのは河野乃守、振り上げた拳のおろし先を失い暫し自失の判官殿を横目にサッサッと関白跡目を名乗りでたから町衆の喝采のおおきからんことまさに近年比べるものぞなし。さて二の幕が上がりきったその舞台に気がつけばお市の方が高下駄佩剣の男装束にて野郎歌舞伎にあらず娘歌舞伎にもあらずと大剣を振りかざしての一舞いに賑やかし気分もあってかやんややんやの大声援ありいっときの思わぬ盛り上がりに当代役者番付も刷り直しかと世情の苦難を脇においての大騒ぎこそ尋常にあらず、これではさすがの昆濾那(ころな)も手出しができまいと喜びあったそのときに舞台袖に手をかけてしばらくしばらくと声を張りあげるも気づく客こそ少なからん。さように火を吹くがごとき熱気ではあるが小屋外は通る人影もまばらで秋影引きながら懐寂しく家路を急ぐ諸人は昆濾那退散をただ願うばかりなり...」といった歌舞伎演目に沸く永田町芝居小屋は月内活況を呈すであろう。

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 さて、「かえてもかわらない」政治法則を忘れてはならない。党内疑似政権交代がまやかしであったとの知見は国民的財産でなければならない。それを忘れ旧弊になびくのはメディアの商業主義に原因がある。前任への過酷な批判なくして真の交代とはいえない。つまりアベスガ政治の徹底的な反省なくして前進はないのである。という意味において目くらましでありまやかしではないか。

 「かえなければならない」のは政策であり制度であるのに表紙をかえてことをすまそうとするのは民主政治の堕落である。まして人気幻灯劇は厳に慎んでもらいたい。今のわが国はそんな場合ではないだろう、これは小学生でもそう思っている、つまり被害に遭っているのだ。

 手をあげた面々の浮かれた気分にこちらの気分が悪くなりそうで、感染症対策の緊密化を国民に要請しながらあたかも総選挙の予行演習をなすがごとき報道ぶりに「だれが協力するのでしょうか」と問いたい。

 それにしても今ごろアベノミクスの検証かと思いつつも批判あるいは検証のものさしを確認し確定させることは政党にとってきわめて重要であることから急がばまわれということもあるのでここはぐっとこらえて、立党は立論からではないかとつぶやきながら現下の政局については筆をおくことに。

 (今回も気候変動問題についてとくに需要面から雑考しています。引き続き漢字ややすくなめ、かな多めです。)

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考える-さまざまな疑問その3」

◇ 今月(2021年9月)3日、菅義偉総理が感染症対策に専念するため総裁選には出馬しないと自民党役員会で表明した。前回の弊欄(8月29日)では「わるいが、すでに選挙管理内閣的ではないか。」と評したが、結果だけまぐれあたりとなった。突然の転回に驚いている。

 事後に解説するのは報道や評論家の役割である。ところですべての責任をひとりに押しつけ一件落着としたい人たちもいるだろうが、民主政治は共同責任であることを忘れてはいけない、私小説であってはいけないのだ。

 ほんとうに崖っぷちであったがこれで総裁選で満身創痍になることは避けられたわけで「よかった」と思っている。落ち目の王を屠る惨劇を目にしないだけでもよかった。「王殺し」は民心を荒廃させるから避けるべきである。真相は知るよしもないが進言があったとすればそれを多としたいところであるが、他言はいただけない。

 病をもって二度目の途中退場をした安倍晋三氏のあとを襲っての就任であった。筆者は安倍政権のあとしまつ内閣と位置づけたがつかんだ権力に心は千々に乱れたかもしれない。あとしまつに徹しておれば違う道がひらけたのではないかと思っている。それほどに安倍政権のあとしまつは簡単なことではない。それは民主政治の本質にかかわるもので、官房長官として共謀の立場にあったわけだから自分のあとしまつでもある。まあ常人には難しいことであろう。

 しかし、いいところを残すためには自分たちの手で悪いところを取りのぞくことが必須であった。また、感染症と五輪に苦しんだ一年であった。気候変動(削減目標の強化)やデジタル庁また携帯電話料金などは後世にのこると思われる。それでもとうぶんは雑巾のようにあつかわれるだろうが、感染症対策に専念することの意義はちいさくはないと思う。それにしてもはやく辞めろとばかりに責任追及していたのに辞めるとなると敵前逃亡だと批難するのはおかしな話である。総裁任期満了なんだからとやかくいうこともないだろう。遅きに失した面もあるが決断を多とし送辞としたい。

 これで総選挙に自民党は表紙をかえて臨むことになるが「かえてもかわらない」ことになるかもしれない。また、野党がこまることが最高の戦略だと考えているだろうから、新総裁のキャラによっては攻守ところをかえての選挙になるかもしれない、そうなると野党にとって油断のできない事態である。前回の弊欄で「『菅総理での選挙のほうが有利』といったかるい発想ではとんだ落としあなにはまることになりかねない。」と記し、立憲民主党に注意をうながしたつもりであったが、易きに流れる気質はかわっていないようだ。

◇ さて、気候変動問題であるが《その1》《その2》で総論らしきものを述べたので今回は各論としてとくに自動車のEV化などを対象とする。(漢字すくなめ、かな多めについてはすこし弛めることにします。)

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時事雑考「2021年秋の政局のはじまり-紅白試合か歌舞伎演目か」

◇ 8月22日横浜市長選挙の投票がしめきられた午後8時山中竹春氏に当確がうたれた。この瞬間から秋の政局がはじまったといえる。

 総理として解散などいろいろと思い描いたと思う。しかし昨年も今年も新型コロナウイルスに諸事差配されていたから解散権などは総理の掌中にはなかったのではないか。筆者も選挙日程などの質問には「コロナしだい」とみじかく答えるしかなく、また事実そうであった。

 なによりも感染症対策を、これが総理のいつわらざる思いであろう。またそうあるべきであろう。しかしざんねんながら全力をつくしたとしても事態が好転するかどうかはわからない。すでに制御不能ではないかとの不安がひろがっている。だからどこに明るいきざしがあるのかと、総理発言にたいし反発と不安をいだく人びとの目線が日ごとに厳しさを増しているのである。そしてその目線のさきにスガ政権だけではなくアベ政権もさらに自公政権があることはまちがいないといえる。

 このように人びとの目線が厳しくなったのは最近のことではなく、何年もまえからのことで、それは政治家がみずからの「責任」をズダ袋にいれどこかに隠してしまったからで、「責任をとってなんぼの先生」と考えている人びとは政治家のいうことをまるで聞かなくなっている。これがわが国を難しくしているのではないか。 

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その2」

《その2》

◇ 気候変動問題に手こずっている。《その1》が8月8日で、《その2》が8月22日なので(本日)、この分だと《その3》《その4》は9月に突入するのではないかと心配している。さて感染者数はざんねんながら全国で2万人台を大きくこえてしまった。

 「変異株の逆襲がなければ」落ちつくのではないかという秋口にむけての筆者の予想は「~でなければ」文のおかげで皮一枚残ったがけっこう甘かったと反省している。それにしてもデルタ株の威力は恐るべしである。また人びとの対応には慣れというかダルさをふくむ飽き感がみられ、またやや非協力的であったりして、なんともいえないムードにあふれているがこれには官邸も困っているだろう。

 ここは弊欄2021年6月7日時事雑考『2021年6月が始まった、なんだか崩れていく統治に不安』を政治家のみなさんがたに読んでいただきたいのであるが、まあ長すぎるし...無理かしら。

 それをひと言でいえば国民の行動変容についてはおねがいベースだけでは限界がある。なぜかというと権力行使の効果性は政治家の責任に比例するもので、責任がともなわないあるいはあやふやな政治家の発言に熱意や迫力を感じることはない、だから共感しない、そういう意味でいまの責任をともなっていない要請はズバリ政治家としては逃げである、と思う。もちろんアベ時代からのボタンの掛けちがいがあっていいわけは山ほどあるのだろうが、それは人びとにはかかわりのないことである。

 発信力とか応答力とか総理にたいする批判が炸裂ぎみであるのはとうぜんのことと思うが、饒舌であれ訥弁であれ虚飾の言辞をはぎとることがメディアの仕事だと思う。本日の横浜市長選挙の結果から秋の政局がはじまるが「報道すればいい」のであればたれながしとかわらない、虚飾をはぎとる手段は事実の提示であると思うのだが。

(おことわり:今回から漢字の比率を減らしています。べつに中国ばなれを意図しているわけではありません。あくまで表現上の工夫です。)

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その1」

◇ 2021年の猛暑はまだまだ続くであろう。その猛暑とCOVID-19が生き物である私たち人間の生態環境をいちじるしく悪化させている。そんな中COVID-19の収束がゆらいでいる。もちろん感染予防行動、ワクチン接種、治療法(治療薬)の三点セットの効果が発揮されいずれ落ちつくと思われる。問題は呼んでもいないのに勝手に登場する変異型でこれが油断ならない。しかしよくもまあこんな「たちの悪い」ウイルスが出現したものと恨みがましく思うが、ここは発生メカニズムをしっかりと解明して欲しいものである。

 さて2021年11月には英国で第26回気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)が開催される。パンデミック下であっても気候変動問題の重要性は変わるものではない。とくに2030年にむけての各国の取り組みについて議論しあうこの会議はきわめて重要なものとならなければならないのだが、国内における関心はまだまだのようである。取り返しのつかない事態になってから「早くいってよぉ」と叫んでもダメである。国民ひとりひとりがわが事として真剣に考えなければならない、決して政治家まかせではいけないテーマであることを強く指摘したい。

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