遅牛早牛

時事雑考「2025年6月の政局-地球規模の変動が米国を襲う」②

まえがき

[ 6月に入ってからイーロンマスク氏が減税をふくむ予算案に異議を唱えるなど反トランプ姿勢を強めている。ここでどうつぶやくのか、インフルエンサーなら腕の見せ処であるが、見せ処は見られ処なので気をつけるべしというか滑りやすいのである。

 しかしまあよく分からない世界というか、1日で12兆円も資産を減らしても平気な地球で一番の大金持ちであるマスク氏と、唯一の超大国の代表者でほぼ王様になっているトランプ氏の関係をぺらぺらとしゃべってみても「ところであんたいくら持っているの?」と突っ込まれたらそれでオシマイでしょ。

 とにかくナミの金持ちではない超々々々々超金持ちなんだからマスク氏は、いや正しくは50兆円があのマスク氏のマスクを被っているのさ実存的には、だから仮にマスク氏がフツーの人であっても50兆円の心情なんて分かるわけがないでしょ。

 心情が分からない以上外見的にいうしかない。そこで今回のことは、ご主人さまは王様よりも王様的なので、人気者が嫌いなだけ。にもかかわらず、客人待遇のクラウン(ピエロ)が勘違いしてはしゃぎすぎて捨てられた、つまり処分されたということでしょうね。

 そもそも、選挙で選ばれたわけでもなく、巨額の選挙資金を評価されただけなのだから、いいタイミングだったと思う。それにしても夢のような130日間ではなかったかしら、だれでも金さえ積めば経験できるというものではない権力の満漢全席が一日あたり3億円余りなんだからけっして高いとはいえない、そこは運がいいというかマスク氏自身が掴んだものといえる。で王冠の飾り羽がうれしげによく揺れるのでいよいよ邪魔になり、それで捨てられたのであろう。こんな話は中国の王朝ではよくあることなんでしょうが、それでも王朝の評価には関係しない。殉死をまぬがれただけでもましでしょ。

 が、政府効率化省(DOGEドージ)が生みだした数々の悲劇の後始末を引きうけるのは誰か。また恨まれるのは誰か。名声3日恨み万日なので、これ以上ドジをふまないように。

 さて、つづきコラムの途中でのまえがきは異例であるが、気候変動ならぬ「地球規模の変動が米国を襲う」というタイトルは「トランプは結果である」との仮説から寄せたもので「何かに襲われている米国政治」といいたいのである。もちろん、気候変動の厳しい襲撃を受けることもふくめての話である。

 ところで、中国のトランプ取説はずいぶんと充実しているようで、6月5日の電話会談も伝わっているところでは習氏の対応は完ぺきだったと思われる。それでも中国側の悩みがつきないのは、トランプ氏には過去はあるが過去概念がなく、昨日のことは昨日で終わり、今日は今日で新しいのだ、というあまり「考えない哲学」つまり今だけを生きる超人なのであるから、不確実そのものではないか。思想なき者を思想の網では捉えられない。彼は自由なのかしら。]

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時事雑考「2025年5月、地球レベルの政治変動が米国を襲う①」

1. もう山は越えたのかとトランプ関税の行方を思案している。思案してみても予測不能であることは変わらない。そこで、昔懐かしい鉛筆転がしでもやってみようかと思ったが、何を占うのかが意外とむつかしい。

 さて、トランプ関税はインフレを招くのかと鉛筆を転がすと何も印字されていない素面がでた。「いまだ分らず」ということか。考えてみれば日用品や雑貨は駆けこみ輸入で米国内には相当量のストックがあるようなので、数か月は小売り価格に影響がでることはないと思われるが、いずれ在庫は底をつく。

 4月の初旬だったか、90日間の発動停止という英断(?)にホッとしたことにくわえ、米中のボスの座争いに似た関税率のもりもり競争が25パーセント、10パーセントを踊り場として同じく90日間の中断にいたったことから、株式や債権あるいは為替市場の空気がおおいに緩んだものの、宇都宮の釣り天井という仕掛けの危うさは消えていないから、「安心するのはまだ早い」と忠告しなければと思っている。

 しかし「ではいつになったら安心できるの」と問われれば、それもそうだよなあと、つぶやくばかりである。

 ところで、安心できないのは、日々売り買いをしなければならない金融市場の気分はともかく、たとえ10パーセントであったとしてもベースライン(一律)関税のもつ景気への阻害性が気になるからであろう。

 各論があるにせよ、その一律という特性はあきらかに米国にとって輸入抑制あるいは消費抑制にはたらくと多くの専門家が指摘しているように、まずはネガティブといえる。

 したがって、貿易赤字はおそらく縮小すると思われるが、そのことだけで米国内での製造業の復活を信じる企業家はいないだろうから、輸入していた品物の多くが品薄になり価格は上向くであろう。という見方が変わらないかぎり、関税の賦課が本格化すればインフレが強まるとの方向感も変わらないと思われる。

 これに対し、ミラン米国CEA委員長がどこかの会議で「輸入比率が(対GDPで)14パーセント程度なので関税がインフレを引き起こすとは考えられない」旨の発言をしたと報じられている。

 そうかもしれない。たしかに、経済全体でいうインフレと個別品の値上がりとは次元のちがう話ではある。しかし、2024年10月までの分野別の輸入額ベースでの構成比は、一般機械(15.8%)、電気機器(14.5%)、自動車及び部品(12.1%)、化学工業品(11.3%)の4分野で53.7%となっている。これらは原材料や部品などの中間財としてサプライチェーンに組み込まれており、波及効果も大きいと思われる。金額ではなく波及効果を見ればその影響は思いのほか大きいのではないか。

 これらのギトギトした分野で短期間で国内製造に切りかえることが可能とは誰も考えないであろう。そこで国内での代替が不能となれば、関税負担は米国内でのコスト増となるから、結果的に物価上昇はさけられないと考えるのが自然ではないか。

 現在のところ、たとえば大統領みずからウォルマートに圧力をかけて、関税の小売価格への転嫁をはばむ作戦のようであるが、圧力には法的根拠はなく時間の経過とともに堤防がやぶれ溢水(価格転嫁が全分野におよぶ)すると思われる。

 しかしこういった予想は現実的ではない。なぜなら、バイデン氏のインフレを批判して勝利したトランプ氏がみすみすインフレの種を見逃すはずがないということで、いずれどこかで「関税賦課」の再中断あるいは再延期を、ディールが成功している証として誇らしげに宣言すると予想できる。彼にとって「関税(タリフ)」は脅しでつかっている間は美しい言葉であるが、本当に適用されるとなればやっかいな問題を引きおこすものであるから、美しい出口のあり方を模索しているのではないかと想像している。

 ということで、ミランCEA委員長の「関税はインフレの原因にはならない」というご宣託は逆説的に的中すると思われる。逆説的とは「インフレを誘引するほどの関税はかけられない、続けられない」ということである。

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時事寸評「2025年4月の政局、石破政権とトランプ流の絡みあい」

まえがき

◇ 「格下も格下」発言が不適切とは思えない。赤澤氏は役目を果たしているというのが大方の受け止めではないか。問題はこれから先の交渉であり、本格的にやれば何か月もかかるから、今は期限内で日米間でどのような議論ができるのかについて入口での整理の段階であろう。

 行動が心の表現系であるなら、大統領閣下のお出ましは差し詰め「まんじゅう怖い」ではなく「売却怖い」ということであろう。米国債の急落は金融パニックの引き金になりかねない。そうなればすべてを失う。わが国の政府系ではそのようなことはないと思うが、民間は別であろう。「格上も格上」であっても焦燥を隠すことはできない。

 

◇ トランプ関税はそれとして、とくに安全保障については多角的、重層的な議論がひつようである。ごく一部で語られている米国が海洋大陸に閉じこもるといったことは、たとえてみれば地球の自転が止まるような話である。

 離れる必要性がでてくれば、すなわち条件が整えば米軍は日本から離れるが、それは構造的な緊張緩和(デタント)ということであり、わが国にとっても悪い話ではない。と同時に構造的というのは簡単に実現できるものではない。

 今日の米中対立の出口は緊張緩和でしか成しえない。トランプ関税の逆説的評価は民間レベルでの日中欧交流の促進であろう。某国の覇権主義の角(かど)がとれればすべてが円滑になる。皮肉なことに相互関税が触媒効果を発揮しはじめると思われる。わが国も欧州も中国との交易は古く、新大陸云々以前の話である。あくまで民間が中心の話であるが。

◇ 4月23日の党首討論は筆者にとっては感慨深いもので、野田氏、前原氏、玉木氏の三氏はともに旧民主党の仲間であった。「この三人はどうして一緒にならないの」と聞かれて困ったが、「一緒になってもすぐに別れるから」と答えてしまった。労働組合ははじめに団結があり、その団結を守るためには綾絹をあつかう繊細な心がいる。政党はどうなのかしら。

 それにしても、石破氏は足利義昭(室町幕府第15代将軍)なのか、兵力不足なのに応答自在である。日米交渉が有権者の視野にはいってくれば、石破氏にとって得点のチャンスであろう。あんがい勁草なのかも。

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時事寸評「トランプ流の極意なのか朝令暮改」

[ まえがき トランプ氏あるいはトランプ大統領は今や地上における第一級の観察対象であり、彼の表情からその内心を読み取ろうと最新のAI技術を駆使したり、あるいは情報に対する解釈の癖や判断のロジックさらには隠された価値感などについて各国のエージェントが躍起になって解析している、と思われる。つまり世界は24時間365日たえまなくトランプ氏を見つめているのであるが、歴史上こんな人はじつに珍しいといえる。

 そこで、そういった知見が積みかさねられた成果として「トランプ取扱説明書(トラトリ)」が普及することで、地球人の不安感もしだいにおさまっていくと予想するのか、それともいくら観察を積みかさねても彼特有の不確実性はかわらないし不確実なものの先行きを予想しても結果は不確実であるから不確実な状況は変わらないと予想するのか、いずれにしても2025年の4月も筆者ら妄想系にとっての憂鬱はつづくと思われる。

 しかし、その憂鬱が薄まるのにさほど時間はかからないであろう。肝心の国民の生活がインフレでは耐えられない。ただし、振り上げたこぶしの降ろしようがないことから関税政策はおそらく迷走するうえに、くわえてウクライナも中東ガザも光明を見いだせないと悲観している。トランプ関税がおさまっても別の憂鬱がはじまるだけである。

 ところで、米国の経常収支の赤字が2024年は1兆1300億円、対GDP比で3.9パーセントとなっている。財政収支も改善の見込みがないようで、双子の赤字をどうするのか。マスク氏の政府支出削減も行政サービスの現金化と思われる。

 トランプ氏が諸悪の根源ではない、単なる結果でしかない。プーチン氏も習近平氏も同じことで、3人が引退するのに十年もかからない。しかし、三人組がいなくなって世界が良くなるのか。そうではないだろう。森羅万象、原因と結果が一対一でつながっているわけではない。]

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時事寸評「2025年3月の政局-政党の老朽化と新陳代謝-」

[ まえがき 前回弊欄において、参議院選挙までは石破総理の退任の可能性はきわめて低く、さらに参議院選挙後もいずれかの野党との連立協議が整えることができれば引きつづき政権を維持できるであろうと予想し、そうならない障害として「重大な醜聞」の発生をあげた。今回の商品券配布がただちに辞任にはむすびつかない流れになってはいるが、参議院選挙およびその後の政権維持のためには「政治とカネ」問題を鮮やかにクリアするひつようがあるといえる。

 今回のテーマは、わが国政治にパラダイムシフトが起こりうるのかという問いかけで、「政党の老朽化」をキーコンセプトに考察してみたが、政党においては支持層の新陳代謝が当面の争点になると思われる。また、立憲、国民民主には「脱労組と脱エスタブリッシュメント」を勧めるような書きぶりとなったが、現支持層の扱いはデリケートなもので、政党にとって簡単なことではない。

 そういった本来簡単ではないことを実現するには、政界再編あるいは政党のリストラがひつようといえる。激変する世界情勢などに的確に対応していくためには、まず古い上着を脱ぎ新しいものを求めなければならない。脱ぐのは簡単だが、新しい上着を求めるには知恵と忍耐がいる。もちろん、古い知恵にたよるのは言外であるが、さりとてゼロはさすがにまずい。それにしても今の政治は、意識において「陳腐の絨毯に慣習の机と惰性の椅子」に支配されているばかりで、覚醒の泉にはなっていないのではないか。

 次回は、トランプ流への対応を中心に妄想をかさねたいと思っている。]

1.この時期の商品券配布事件は自民党の劣化(老朽化)に原因がある

 3月3日石破総理が10万円分の商品券を配布したことが騒動を起こしている。衆の新人議員に対する慰労懇親会での手土産を事前にくばったという。すでに3週間近くたっているのに、参予算委でくすぶり続けている。参議院には、衆議院から送付された予算案が30日経過すれば自然成立するので、それだけは避けたいという与野党共通の思いがある。また、予算委での審査はどうしても衆の二番煎じになりやすいことから、なんとか参議院の独自性を発揮したいとも思っている。

 そこに、「総理の商品券配布」という醜聞が出現した。日ごろから争点不足気味の参予算委としては「政治とカネ」にからむ格好のテーマをえたことから、野党としては大いに湧きたちそれは今もつづいている。

 配られた15人の議員は全員返したそうであるが、思わね手土産に驚いた議員もいたであろう。それにしても、なんと間の悪いことかと思う。と同時に前回の弊欄で「政党の老朽化」を指摘していたこともあり、あらためて自民党の感性や適応力の劣化(老朽化)を痛感している。

 「今、何が大事なのか」といえば「2025年度予算案の年度内成立」であり「企業・団体献金問題の着地」であるのに、肝心の総理の足元から怪しげな付け届け文化が明らかになるとは、どう表現すればいいのか困惑のかぎりである。

 しかし、どう考えてもあの石破氏のオリジナルな発想とは思えない。よくは分からないが、慣習化していたのかもしれない。であれば、「復興応援品にしましょう」のひと言がなぜ発せられなかったのか。思うに政権中枢の鈍感さと怠慢はやはり石破氏の責めに帰せられるものであろう。

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時事寸評「2025年3月の政局-予算案をめぐる攻防への感想-」

まえがき [ 昨年暮ごろから左眼が見えづらくなったので、2月にメガネ屋へ行って視力検査をうけたものの「こちらの器械では検査結果が安定しなかったので処方箋をもらってきてください」といわれ、眼科を訪れた。で、「左に網膜浮腫がみられます。治療が必要です」ということで2週間後に加齢黄斑変性の手術を受けた。目玉に注射一本。まあ改善されてはいるがいぜん歪曲部分は残っている。ということで作文はスローダウンしています。]

1.2025年度予算案衆院修正通過-少数与党としては合格-

 2025年度予算案が衆議院を通過した。3月4日から数えて30日目の4月2日には自然成立するので、参議院の採決が意味をなすのは4月1日までといえる。衆議院では熟議にはほど遠いところもあったので、参議院での審議に期待したい。

 なお、3月7日石破総理は「高額療養費制度」の見直しについて、今年8月の負担限度額の引きあげを見送る方針を表明した。今回の凍結で約100億円の支出増になるため予算案の再修正がひつようになり、手続きとして衆議院での議決がひつようとなる。めずらしい事である。

 それはともかく、国会運営的には山場をこえたわけで、まずは合格ということであろう。少数与党がゆえに国政が混乱することはのぞましくないので、ここは野党の対応をふくめて「常識的な(大人の)国会」であったと受けとめている。

2.野党が予算案に賛成することの意味と責任-分かれた維新と国民民主-

 さて、予算案については成立させた方がいいという前提で「維新が賛成にまわり、国民民主が反対する結末を」望んでいたので、筆者としては正直なところ胸をなでおろしている。これは予想通りということではない。予想通りなら胸をなでおろすことはもなかっただろう。経験なり直感からもたらされた予感のひとつである。

 あまりうまくはいえないが、予算案への賛成を条件に目玉政策を与党につきつけ、周辺の問題などもあわせて浮かびあがらせるいわゆる「103万円の壁」作戦は人びとの切羽詰まった生活そのものをフレームアップさせ、今この国に必要なのは「手取り増」であるというきわめて具象性の高い主張を梃子にして、閉塞感のつよかった政治に新鮮な空気を吹きこんだという点においては国民民主はすでに成果をあげているといえる。

 しかし、この作戦の弱点は予算案賛成という野党にとって最大のコストを支払うことにある。という意味でルビコン渡河なのである。中華のコース料理で杏仁豆腐を食べたいだけなのにコース全額を払うのが合理的なのかという疑問がつねについてまわるし、そうしなければ杏仁豆腐の欠片さえ口に入らないというジレンマからは逃れられないのである。もちろん、維新と国民民主は基本政策では自公政権と共通する部分が多いのでジレンマはゆるいのかもしれない。

 という前説をおき、終盤において妥協してまで本予算賛成にはしることには慎重であってほしいということであった。さらにいえば、国民民主に人びとが期待している役割からいってそれは一部であって全体ではないということである。直截にいえば、そこまでして泥をかぶるというか玄人風をきどることもないのではないかと。

 では、維新は泥をかぶってもいいのかという反論もでてくるとは思うが、そもそもそういう役回りは自公政権との交流歴とか距離感あるいは政党規模からいって、むしろ維新のほうがむいているという「世間一般の理解」を根拠としているもので、まあ筆者の勝手な発想なのである。だから、維新がやれば玄人風、国民民主がやれば泥かぶりと筆者的には区別しているわけで、これこそ政党の適材適所であると考えている。くわえて玉木氏が留守(3月3日まで役職停止)であったことを考えれば、半端な妥協に走らずにスジを通した今回の対応を是としたいということである。 

 また、なんといっても新人議員が過半をしめる若々しい政党にとって、2月7日の弊欄「2025年2月の政局①-熟議を実らせるには決断が必要-」で指摘した「野党としての予算案賛成はそれなりに骨の折れる仕事であるから、文字通り骨折しないための算段もひつようであろう。」あるいは「予算案には賛成したものの、個別事項への対応ではいささか異なった事態になりうることについて事前に広範な理解がえられるよう議論をこなしておくべきであろう。」ことなどを考えれば、ウンザリとか不器用といわれても安易な妥協に走ることもないのである。

 さらに、中道政党の2党が与党をまじえ駆けひきで競りあう事態はさけるべきで、国民目線からいってもさすがに危なっかしいものであろう。結論的には予算案は維新の賛成だけで間にあうのだから連立や閣外協力を目指さない立場である以上限界がある。ゆえに「引き際」も大切であったと思っている。ということで感想は次のとおりである。

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時事寸評「2025年2月の政局②-トランプ政権疾走する-」

1.トランプ政権のスタートダッシュがすさまじい

 もはや日常を超えてトランプがあふれている。溺れてしまいそうなので、電源を切るか、スキップすることにしている。いつまでも「気をひく言いまわし(アテンション・バイト)」に構ってはいられない。発信のほとんどが週間要約で間にあうので、慌てることはないのだ。また、伝えられている発言のすべてがわが国に関係するとも思えない、つまり捨て札も多いのでひと月後の残存率はあまり高くない。それに、いよいよ国内メディアのオオタニ・ラッシュが始まるのでトランプ、オオタニ、トランプと連呼されるのもうざいと思われるので、おそらくトランプ色の方が薄められるだろう。といったことを言うのは隠居の気楽さゆえで、現役にしてみればほぼ恐懼にちかい心持ちであろう。

 とくに関税の話は、そもそもが交渉(ディール)の手段なのであるから、あたふたするよりも個々の政策目的(真意)を見きわめる方が先というべきだが、当座の営業や為替あるいは株式市場への影響を考えればどうしても神経質にならざるをえないと思うし、そういった立場の人びとが多いのも確かなことである。

 ところで、米国がもともと豊かな資源国でありながら貿易赤字が膨張しているのは、国内消費が過大なのか国内生産が縮小しているかのいずれか、もしくは両方なのであろう。それにしても国内の供給力増強の担保なしに関税強化を先行させることは、経済政策としては自傷行為をこえる破壊性を持つと思われる。したがって、たとえばインフレ対策などには入念な準備が必要となるから即戦的な実行は困難と思われる。ということが広く知れわたれば交渉手段としての関税云々策は急速に徐力化すると思われる。

 さらに、輸入制限を目的とする関税政策によって国内生産の回復・増進が可能なのかについては、資本と技術の調達を重要視する立場からいえば時間軸もふくめて否定的にならざるをえない。それは超大国の米国においても例外ではない。

 くわえて、トランプ氏がどんなに否定しても気候変動については、経営者や投資家はそれを無視するどころか積極的に受けいれていく方向にあり、米国においてはしばらく足踏みをするにせよ、またEU主導に陰りがでてくるにせよ大きく流れが変わることはないと思われる。つまり、投資家の判断や脱CO2への対応において、新規の生産拠点を環境政策が大きくスイングする米国内に建設することが魅力的なのかどうか、またファイナンス可能なのか、などなど入念な検討を重ねているうちに中間選挙をむかえることになる。投資家はトランプ流の持続可能性については世論調査などをベースにかなり疑問をもっているといわれている。今のところ意欲的な計画を交易国に考えさせるのが政策としてはピークであったと過去形で語られる可能性がたかいということであろう。

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時事寸評「2025年2月の政局①-熟議を実らせるには決断が必要-」

◇ 先週末からの衆予算委員会での石破総理の答弁は丁寧ではあったが、かなり頑なであった。慎重なのは分かるが、特有の素っ気なさは喧嘩腰なのかと誤解されるかもしれない。おそらく米国で7日に開催される日米首脳会談に気が向いていたからだと思われる。もちろん、そのことについては多くの人びとがトランプ氏との相性を気にかけたりとか、むしろ好意的にとらえているわけで、世間はまだまだ穏やかであるということであろう。

 そこで件の首脳会談であるが、それなりに評価されるものに仕上がると95パーセントの確率で予想している。残りの5パーセントは突発事故ともいえるものでいわゆる想定外である。ともかく日米ともに成功させなければならないのだから、中身はよく分からないが成功すると考えるのが自然であろう。

 で、帰国後の石破氏の言動に変化がみられるのかがかなり気になるところで、というのも予算委員会での答弁のままでは維新も国民民主も賛成できないだろうから、当面の間は来年度予算の成立が不透明なままで推移することになる。そこで、帰国後はいよいよ濃霧を切りひらくべく石破総理の強力光線の発射が求められる「切羽詰まった状況」にいたるとやや物騒な予想をしている。

 視点をかえれば、少数という致命的弱点を背負っている与党が率先して大胆に動かないかぎり立憲も、維新も、国民も引きつづき同じ主張を繰りかえしても賛成にむかって積極的に動くことができない、つまり金縛りから脱却できずにいる膠着状態におちいってしまうと思われるが、これこそが真の問題といえるのではないか。

 とくに立憲においては、各基金からの取り崩しを含め高めの「数千億円」規模の修正を目指している(と聞いているが)ものの、仮にそれが達成できたとしても直ちに「予算案の賛成」に動けるのかといえばおそらく90パーセント以上の確率で無理と思われる。もちろん、生きた政治には常に「まさか」がへばりついているので、たしかに「103万円の壁」問題の所要額にも匹敵する歳出削減に成功すれば政権担当能力の証明にもつながることから、出来高はさておき有権者目線でいえば「政権のあり方」に強くかかわる認識の変更が政界の風景を一変させるかもしれない。多少ぞくぞくするところもあるが、冷静にいえば立憲の予算案賛成という超ど級の大技なしには歳出削減は無理であろうから、議論は一回りして立憲・国民民主との協議に回帰すると思われる。

 いずれにしても時計の針は止められるが自然現象の時間は止められない。残された時間が少ないなかで、立憲の賛成をもとめる交渉や歳出削減の可否に内閣の命運を賭けるわけにはいかないというのが常識であろう。しかし、政権としては立憲の機嫌を損ねることは何かと好ましくないので数千億円の削減は議会運営負担(コスト)と割り切り、対外的には熟議の成果と喧伝するに違いないと筆者は非難をふくまず受けとめている。肝はどんなに歴史にのこる熟議を行っても立憲の予算案賛成はまずない、またそうすべきではないと考えるべきであろう。

 もちろん、これを契機に参議院選挙後は大連立さえ射程にはいるのではないかとの大胆な予想をたてる向きもあるが、憲法改正、安全保障、エネルギー政策などについては当座のつじつま合わせでさえ時間が足りないうえに、そもそも支援団体が容認できることではないから、そんなことを強行すれば石破自民も野田立憲も党内混乱の末におそらく大量の離党者の発生や分裂騒ぎによって、結局あわせても過半数に達しないという最悪のケースの可能性もあることから、冒険が過ぎるということであろう。

 つまり、大連立しても自民と立憲だけでは少数与党にとどまりかねず、早い話が元の木阿弥ということになると思われる。

 もちろん、今年(2025年)の参議院選挙がおわれば3年間は国政選挙の予定がないことから民意を気にせず好き勝手(消費増税?)ができるという声があるようだが、岸田前政権の時もそういわれたものの結果は退陣となった。石破氏の党内基盤はまだまだぜい弱なので都合のいいようには政局を動かせないだろう。また立憲内には反自民勢力も多く、さすがの野田氏といえども党内で大連立の大義名分を整えることは困難ではないかというのが今日の相場観である。

 ということで、結局のところ少々高くついても維新あるいは国民民主の「助け船」に乗るしかないだろうというのが筆者の見立てであり、そういう意味では昨年から状況は変わってはいないといえるのである。(まあ平たくいえば、安いほうがいいに決まっているというのも真理であろう。先進国の製造業が開発途上国によって追いつめられたのは品質・性能がくすむほどの圧倒的な安さであったというのは筆者の余分なおしゃべりであろうか。)

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時事寸評「トランプ氏再び大統領に、歓声と悲嘆からの離陸」

1.帰ってきた「アメリカファースト」、渦巻く期待と不安

 「アメリカファースト」が帰ってくると世界が身構えている。米国内は期待と不安が入り混じったまるで分離したドレッシングのように見える。たった一人の政治家に対してこれほどの反応が地球規模で起きるのは稀なことであろう。もちろん期待よりも不安のほうが大きいと思いながらも、1月15日イスラエルとハマスがガザ地区での停戦と段階的な人質解放で合意したと聞けば、大統領就任式の前というタイミングに意味があるのか気にはなる。そんなことよりも今は「よかった」と言葉をかみしめている。

 「アメリカファースト」と聞いた瞬間こそきわめて鮮明な印象を受けたが、すぐさま焦点がぼやけた。分かったようで分からないのがキャッチコピー(とても気を引くいいまわし)の宿命である。

 ところで、何でもかんでもいつでも「アメリカファースト」であるし、「アメリカセカンド」というのはついぞ聞いたことがない。おそらく声援や囃子詞(はやしことば)の類であるから深い意味などはないのであろう。

 というのも自国利益第一というのはごく当然の原則であり、どの国もそうなのであるが声に出すことはない。いわゆる「いわずもがな」であるのだが、この人が言えば求心性が高まるのが不思議である。人気アーティストのライブでの決まり連呼と同じなのであろうか。ちなみに、わが国の首相が「ジャパンファースト」と言えれば空気が冷える。

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時事寸評「2024年の雑感と2025年当面の政局について(2/2)」

(前回からのつづき)

11.いささか感情的になるが、生活者への共感なくして政治はなりたたない

 ここからは感情的ないいまわしになるが、生活苦をうったえている人びとは、国会議員に毎月歳費とは別に支給される調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)の100万円をうけとる立場にはない、当然のことである。また、この100万円といわゆる「103万円の壁」とは論理的には無関係である。というのが議員サイドの思考系であるが、人びとの思考系は月100万円と年103万円とは対比されるべき関係となっており、それは論理よりも感情に大きく傾いた思考系となっている。したがって、歳費とは別財布である月100万円については使途証明できなければ所得として課税対象とすべきという主張にも共感することになる。また、件の100万円の原資が税金であることも人びとの感情をことさらに刺激するのであろう。

 有権者の多くがここ何年かにわたり酷税に苦しめられてきた。たとえば、高くなった調味料を手にしながら「これにはさらに消費税がかかってくる」と生活の劣化にはお手上げなのである。この話を日銀総裁風にひもとけば、物価と賃金の好循環を期待するということであろうが、現実には多くの人の賃金はさほどあがってはいないのである。それも後追いであるから、物価に押されまくって実質賃金は下がり気味である。

 こういった話は、昨年の選挙で国民民主の支持にまわった有権者にかぎったことではなく、比率をいえば十分一般化できるぐらい多くの人びとについていえることなのである。円安で株価が上がったり輸出比率の高い一部の企業が利益予想を積み増したりといった話題が取りあげられるが、日銀総裁の耳は円安賛歌の方向に向いているのであろう。輸入物価の急騰がはげしく家計を痛めつけているのである。

 日銀は生活者にとって「敵」であるとの意味は、生活者への共感なくして何のための金融政策かということである。だからこそ政府としては春の賃上げや最低賃金改定に加勢しているのであろうが、悪しくいえば他人のふんどしで相撲をとっているだけで、自らの責任で何かを為しているとはいえないのである。

 この辺から文脈としては自民党の限界という方向に分岐するのであるが、それは別項の議論である。

 ところで、年末に示された与党の「123万円」は物価上昇分の反映である。もちろん、「税制は理屈の世界」であるといわれれば確かに一面の真理ではあるが、それがすべてとはいえなし、政治の最終決定ではない。なお、理屈においても政府がかってに算出している物価上昇率はずい分と生活実感からはかけ離れた数字ではないか。また、現役世帯における労働再生産費用がぞんがいに上昇している現実への対応をどうするのかなどの視点からいっても、123万円はまるで木で鼻を括(くく)るもので生活者からの要求に誠実にこたえているとはいえない、つまり感情においても理屈においても不十分といえるのである。

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