遅牛早牛
時事雑考「岸田総理にとってチャンスではあるが、空振りも心配な年末年始」
【2023年もそろそろ帰り支度で、何かしら寂しい気がする。日本国憲法前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある。初めて目にしたときは「崇高な理想」があると思った。また諸国民は「平和を愛する」ものと思ったし、「諸国民の公正と信義」を信頼しようとも思った。
あれから60年、今さらそれらを否定しようとは思わない。しかし、「われらの安全と平和を保持」する前提としての「諸国民の公正と信義」に対する国民の認識がおおきく揺らいでいることも事実である。
一国平和主義が行きづまってから久しいが、さりとて集団的安全保障の議論がすすんでいるわけでもなく、なんとなくやむをえないと追認するばかりである。それで日々おさまっているのだから、波風をたてることもないと思う。それでもたまには侃々諤々の議論をしてもいいのではないかとも思うのである。というのは国防強化論もそろそろピークアウトしそうで、そうなると新たな平和論が求められるのではないかと感じている。現実を踏まえたうえでの平和構築のための立論がなければ国民は安心できないのではないか。これが政権交代の条件式であると思う。
さて今回は、政治資金パーティー売上金還流裏金事件について、思いつくままに書き流したが、平家物語の書きだしを思い浮かべた人も多かったと思う。しかし「奢れるもの久しからず」だけで終局させるわけにはいかない。出口はあくまで令和政治改革であり、衰退日本に歯止めをかけることであると思う。
そのためには「人を代えない」ことが一番で、いつも問題がおこるとヘッドを代えてごまかしてきたが、いまわが国が直面しているのは支持率問題ではなく政治システムそのものであるから、ヘッドではなく権力構造を変えなければ良くはならない。そういう意味では金権派閥にメスを入れるべきである。ではよいお年を。例によって文中敬称を略する場合あり。】
時事雑考 「低々支持率をめぐる騒動を越えて岸田政権は中道へ向かうのか」
〔くる年の暦丸めつ店仕舞う。コロナ後は人手不足で閉店する飲食店が多いと聞く。労働者はどこへいったのか。長年粗末にあつかったことの報(むくい)などとはいいたくないが、たしかにこの国には労働者を消耗品のごとくあつかう癖というか作風があるようで、これを改めないかぎり消費と生産のバランスのとれた経済にはならないであろう。また、労働者を使い捨てる風土で労働生産性を伸長させることはむつかしい。というのが筆者のベースラインである。とにかく労働者を中心とする考えなので、まあこのぐらい偏向すれば誤解されることもないわけで、気分はこのうえなく涼やかである。
とはいっても世にたとえば労働党なるものがあらわれたとしても、それが労働者の代表だなんてちっとも思わない。どんな政党であれ「私たちはあなたがたの代表だ」という呼びかけには嘘がまじっているから、「あなたたちは、ほんとうに私たちの代表なのか」としつこく問いただしつづけないと、いつか手にした如意棒とともに飛びさり見えないところで何かをして、都合が悪くなると帰ってくる孫悟空になってしまうのである。労働者はいつも仕事でいそがしい。だからといって見張りを怠ってはいけない。政治家の中には飽きっぽく、支持者との同床異夢関係をすこしも気にしない強い人たちがまじっている。だからよくよく見張っていなければ、どちらが「ご主人さま」か分からなくなる。(選挙の時だけははっきりしているのであるが)
たしかに政務三役の任命責任もあるが、有権者として選んでしまった責任もあるように思う。(これからは納税証明書もいるのかしら)
ところで、師走は一年をシメて新年をうかがう月であるのだが、ウクライナもパレスチナガザ地区もこのままではシメようがない。残念なことに悲惨は立ち去らないので、2023年をシメることはできず、新年を祝うこともできないのか。
さて前回は「任怨分謗か是々非々か」とかいいながら、日米同盟をどこまで深化させるべきかと悩んでみたが、現在の非対称な関係であるかぎり軍事同盟としては十全に機能するとは思えないというのが結論であった。とくに、「米軍は矛で自衛隊は盾」という役割分担論も「日米安保は瓶の蓋」論の各論にすぎない、つまり自衛隊を盾に閉じこめておけば対外的には無害であるという理屈なのである。だから、専守防衛論が実戦上機能するのかといえば、専守だけでは防衛上不十分なところが出現すると思われる。
もともと専守防衛というのは、有事ではなく無事を前提とした考えといえる。この点を神経質につめていくと敵基地攻撃をふくむ反撃論が浮上するのであるが、理論上は100点をねらえても、実戦で100点がとれるかは不明であるから、結局のところ国民の犠牲の程度をどう考えるかである。
仮に国民のゼロリスク追求レベルが高く、かつ反撃能力の保持を否定するのであれば、受動化した防衛では、莫大な費用を用意しなければならないであろう。とうていGDP比率2パーセントには収まらないと思われる。それ以上に現在北朝鮮が開発中の攻撃アイテムに対して有効な対処策には技術面での困難がともない、どんなに予算をかけても対応できないケースがでてくるかもしれない。
となれば、ゼロリスクをあきらめ報復攻撃のための強力な打撃力を用意した抑止策に切りかえるひつようがでてくるかもしれない。いずれにしても反撃能力の保有がなければ成立する話ではない。ということで、ロ朝の軍事連携がすすめば東アジアの安全保障のステージを激変させると思われる。
2024年は、気分としてはブルーで、危機管理ランプはオレンジあるいはレッドの可能性が高いであろう。仮定の話ではあるが、まことにおぞましいことといえる。例により、文中の敬称は略す場合もあり。】
時事雑考「日米同盟の向こう側『任怨分謗』か『是々非々』か」
【10月、11月はなぜか忙しくてペースが落ちた。(ファイルの日付が10月23日だから20日近く抱え込んでいたのである!)それとは関係ないが、岸田内閣の支持率も落ちている。「6月解散がラストチャンス」であったと考えていたのだが、案の定、年内解散はないことになったらしい(11月9日)。
ところで、減税案が不人気のようだが信じがたいというのが一般論ではある。そりゃ給付金のほうがてっとり早いとは思うが、税の増収分の還元策という理屈からいえば、減税のほうが本筋かなと思っていたら、財務大臣によると全部使ってしまっているので還元の原資はないということらしい。これには「なんじゃそりゃ、ホイ」と思わず合の手をいれたくなった。
さらに、少子化対策の財源あるいは防衛力強化のための増税などが出番をまっているというから、誰しも「ちょっとまて、オイ」といいたくなるであろう。まさか「なんじゃそりゃ、ホイ」「ちょっとまて、オイ」が響きわたる合の手国会になることはないと思うが、なんかギクシャクしていて、また暴走的で、そのうえ刹那的ではないか。
いまだに実質賃金の下落が止まらない。物価に連敗の賃金。来春まで待てない、生活が持たない。これほど生活がピンチなのに減税が嫌われるなんて思いもしなかったが、やはり来年の話だから超遅すぎるということであろう。
まさか、減税の実施時期に総選挙をぶつけるつもりなのか?そうであればすごい仕込みと思うが、それだと品質期限切れになるのではないか。
ところで、岸田さんはいじられキャラなのか。あるいは誰だかわからない匿名者によるいじり過ぎなのか。メガネを疑似標的にするあたりは手練れの仕事で、大げさにいえば諧謔的殺意を感じる。
そういえば、立憲民主党の泉健太代表も似てきている。政権を狙うのは5年先というのは本音だろう。それでも意欲的すぎるという声さえあるのだが、多くは、まあそんなものだろうと思っているのではないか。しかし、代表が本音をいうのはまずいというか、「5年先までもつわけないのに、なに呑気こいてんだ。」ということかもしれない。第一党と第二党の党首が似た者どうしではないかという指摘はどうだろうか。そのためにも、早く党首討論をやってくれ!】
時事雑考「ネタ切れ芸人化した政党への処方箋-遺伝子組み換え?」
(満月に酔ったわけではないが、酷暑の疲れのせいなのか例の妄想に見舞われることが多くなった。不安と倦怠が同居する今どきの政治におそらく妄想で、心の均衡を保っているのであろう。「足して二で割ればちょうどいいのだが」といってから愚痴る会はいつも解散となるのだが、近年の遺伝子操作をつかえばそういうことができるらしいのである。妄想の種はいつも政党への「なんとかならないものか」という愚痴が発端であった。まあ、良いとこどりは凡人のご都合主義といえるが、遺伝子組み換えによる政党の改造は有権者のかなわぬ夢かもしれない、と書けばすかしすぎであろう。気にいらないのであれば、政党改造に着手すればいい、それが有権者の権利というもので、、、。
舞台はまわる。大陸は動く。事態は変わる。ひとつとして繋がるものがないのに、同期しているかもしれないが、誰もそれを知覚できないとしたら、なにも起こっていないことになる、のかと意味不明な文案が鼻だれのように落ちてくる、月を眺めすぎたからなのか。
ところで、地球の温暖化もたとえば富士山が大噴火をおこせば噴煙などが日照を遮り低温災害を引きおこすので、すくなくとも温暖化が足ぶみ状態となる。祝うべきか。あるいは期せずして地球が寒冷期に入るとしたら、人類はふたたび石炭を焚くであろうか。
さて、筆者は資本主義の暴走、社会主義の堕落、民主主義の危機という三題噺を枕にしてきたが、いよいよ啓蒙主義の怠慢、自由主義の閉塞を追加すべき事態となってしまった。で、もうやめた。もっとましなことをいうべきではないかと反省している。
最後に、インフレは完全泥棒である。日銀は目こぼしをしている、泥棒が増えるまでは捕まえなくてもいいと。昨今のご時世をいえば、金融資産をもたない人びとは今や棄民状態にあるといえる。だから、強力な再配分をやらなければ気分は一揆状態になるぞ。何で真面目にやらにゃならんのだ、俺たちだけが。危機は風にのってやってくるから足音を立てない。ここは気をつけたほうがいいよ、と警告しておこう。例によって文中敬称略もあり。)
9月の内閣改造は不発、高い不支持率がつづく
9月13日の内閣改造が岸田氏の目論見からいえば失敗であったといえる。目論見とは支持率の回復、つまり支持不支持の均衡にあったと推測するならば、せっかくの改造は空砲におわったといえるのではないか。さらに、新任大臣のいわゆる身体検査や初期故障のリスクを考えれば、これからの話ではあるが空砲どころか「やらなければよかった改造」といった声がでてくるであろうし、そうなれば党内的に厄介なことになりかねない。
アンケートに回答する側には歴とした理由があるのだから、今回にかぎらず低い支持率には不思議な点はひとつもないといえる。だから、その理由を解明できないのであれば、政治家としては失格というべきであろう。有権者に理由なき不支持というものがあるとは思えない。
時事雑考「最低賃金2030年代半ばに1500円、墨絵のような目標」
(前回、気候変動ではことばが弱いから気候擾乱としたが、戻ることができない道のようである。ことこれに関しては世界の指導者は無能である。指導者以外も無能である。
ところで、ロ朝会談ではプーチンとキムが手を握り、ウクライナ用弾薬と宇宙技術とを交換するという。あくまで予測であるが危なっかしいことこの上ない。どうかねぇ~、場末の二人組にならなきゃいいのだが、何をしでかすのか予想がつかない。前にも、プーチンのいるロシアとプーチンのいないロシアとではどちらが危険なのか、と問うたがどちらも危険と答えればタカ派で、プーチンのいないロシアと答えればハト派で、プーチンのいるロシアと答えれば馬鹿者だという人がいたが、そろそろ冗談もいえなくなりそうである。いよいよ煮詰まってきた。
というややこしい時に内閣改造をやっちまった岸田はすごい、マジですごいという声がごく一部ではあるが流れている。税収は70兆円ベースで予備費たっぷりだからルンルン内閣のようである。
ガソリンが高い。で、トリガー条項はどうなったのかしら。えぇ、その分円を安くしておきました、ということだろう。
このごろ物価が上がって暮らしがいまいちで気分がよくない人がスポーツで機嫌をなおしている。もちろん関西はアレ待ちですな。HP掲載の時刻によっては修文しなければ。来週は久しぶりに東京です。例により文中敬称略です。)
岸田最賃、コップの中の画期、物価上昇をどうするの?
◇ 岸田首相の人気がいまいちなのは、たとえば最低賃金(以下最賃)について「2030年代半ばまでに1500円をめざす」と宣言するのはけっして悪いことではないのだが、それがまるで紙鉄砲のようで迫力を欠いているだけでなく、ポイントをはずしているというか、むしろ「はぐらかしている」と思わせる怪しさがあるからではないかと、ここ何日か思うようになった。
今年の最賃は全国加重平均で1004円におちついたが、岸田首相の方針を実行すれば十年余で496円増えることになる。この長期間におよぶ引きあげ目標は、あくまで政府の目標であって審議会の目標ではないが、経営者団体の反応が好意的だという点もおりまぜれば、じつに画期的なもので、方針化とあわせ拍手をおくりたいと思う。しかし、政策として時代がもとめているものとは微妙にずれているような感じがする。
つまり、この程度の引上げ目標では国際的な順位は変わらないので、あいかわらず賃金後進国をつづけるという宣言にほかならないから、まあ国内だけの「うちむきの目標」といえる。
もっとも支払う側にとってはそれでも負担が大きいということであろう。それは理解できるが、しかしこの岸田方針だけでわが国の賃金、最賃の比較劣位が改善されることにはならないと思われる。それでも「負担が大きい」と抵抗しているだけでは、個人消費がじり貧の収縮経済をつづけることになり、失われた30年のくり返しではないかということである。
よくよく考えれば、数値目標を方針化することには、メリットだけではなくいくつかの弊害があり、状況によっては裏目がでる場合があるのではないか。たとえば物価上昇が5%を超える場合では、1004円に対し50円以上の引きあげがひつようとなる。また、賃上げがベアで2%をこえれば、さらに20円以上の上積みがひつようで、この場合70円以上の引きあげを受けいれられるのか、使用者側の判断が注目される。
くわえて、物価上昇率が低位の1%程度であっても、方針の年額50円ちかい増額ペースを維持するのか、意見は分かれるであろう。つまり、1500円という水準が実質なのか名目なのかで性格の違った議論になるのであって、通常は名目であるが、デフレならいざ知らずインフレ傾向がつよまるケースでは、年次の引きあげ額に物価上昇分を混ぜこむことには労働側の抵抗がつよまると思われる。おそらく、物価上昇分は別立てで加算ということに落ちつかざるをえないであろう。
さらに、秋の最賃は春の賃上げを踏まえての議論であるから、ベアが大幅にあがれば目標とのマージンが窮屈になる。そうなると、目標とは何なのかという批判が生じると思われる。今は、妥当な感じの1500円であっても、経済状況によっては頻繁な見なおしがひつようとなるだろう。
「最賃を長期にわたって上げていきます」というメッセージは評価される。しかし、各論においてもっとも重要なのは平均的な賃金水準との整合性をどのようにとっていくのかということである。具体的には、改定前において最賃額を下まわっている労働者割合、すなわち未満率がたとえば10%をこえはじめると、最賃のもつ公正競争基準としての役割が粗鬆化し、同時に違反が急増し最賃制度そのものに赤信号が点滅することになる。
また、改定した後に、改定後の最賃額を下まわることになる労働者割合、すなわち影響率がたとえば20%をこえはじめると、春の賃金改定に引きつづき秋の賃金改定がひつようになり、じつに煩瑣である。さらに賃金改定時期を最賃改定後にはじめるという遅延現象も発生し、それが最賃水準の議論へマイナスの影響をおよぼす怖れが生じることになる。(10%、20%は筆者の経験にもとづく私見である。ちなみに筆者は1090年代半ばに連合で最賃を担当していた。未満率、影響率については注を参照。)
現在、審議のなかで未満率や影響率についても精細な議論がおこなわれていると聞くが、政治的意志をもった大幅な改定は現行の最賃決定システムにとって過重負荷(オーバーロード)となり、システムそのものを損傷するリスクもあることから、岸田方針を貫徹する気があるなら、物価上昇率の反映もふくめ最賃制度の再定義がひつようであるといえる。
時事雑考「潮目が変わる時か?-中国と日米韓首脳会談-」
( 行きつけのスーパーマーケットが一日休業し、セルフレジを導入した。人手不足がひどいのであろう。店内は、10月からの値上げに身構える人がいる反面、のほほんとしている人も多い、といった感じである。この国は働く人を痛めつけすぎたから人手不足というかたちで復讐されている、というのが筆者の持論というよりも呪術である。専攻度はひくいが偏向度はたかい。
今回は日米韓首脳会談を題材にしたが、焦点はもちろん中国である。時代背景からいって争論の激しからんことを期待したものの、世間的には低調である。イチャモン大王にいちゃもんをつける者はいないということらしい。また迎撃力が強くて近寄れないともいう。たとえ良薬であっても苦いものは嫌いらしい。批判を受けつけないことが、批判がなかったことにできる良策だという、これも呪術というものか。しかし、帰還制御(フィードバックシステム)なしにはまともな航行はできないというのが今日の常識であろう。
だからなのか、「中国発経済ショック」にからむ発信が極端に少ない。その穴を処理水がうめている。ということはひどく怯えているのであろう。さらに、怯えが怯えをよぶ悪循環がいよいよはじまりそうである。まあ、どこまでいっても起こってからの話ではあるが、気分は落ちこむばかりである。
ところで、国民民主党の代表選が来月2日に決着する。自民党との距離が争点であると報道されている。考えてみれば「ちかい」と「ちかづく」とでは意味がちがうのであるが。距離をいうなら立民とのそれであるが、もはや記事にもならないということか。党の総意がどのように現れるのか、意外と重要なイベントになるという意味で注目している。)
日米韓首脳会談でいう危機的状況とは、二つの中国リスク
8月18日米国大統領別荘のキャンプデービッドで日米韓首脳会談がおこなわれた。とくに「危機的状況における(日米韓の)対話と関与」が中心であったということで、国際双六(すごろく)でいえば、この時期にひとマスふたマス前にすすめておくということであろう。
「危機的状況」のひとつは、台湾海峡あるいは台湾の領域内での偶発性の高い軍事衝突であろう。現場の判断ミスが思わぬ重大事態をまねくことがある。細事こそが大事である。よく台湾有事といわれるし、筆者も使用するが、雲をつかむような言語概念であるから、「台湾有事は日本有事」との表現も国民の注目をあつめるために使っているのであろうが、政治家や報道がつかうのはやめたほうがいい、なぜなら鉛筆が落ちても有事なのかというように、今のままではあいまいすぎるのである。だから情勢確認と言葉の定義を明確にした上でということである。
おなじく「台湾侵攻」についても解説される内容は、日常会話での「~であれば~である」という仮定にくわえて、偶発性をともなう事象の確率を考慮しなければならないし、そういった条件が時系列上に「大数」として存在するから、ふつうに考えても手におえるものではない。気象条件だけでも頭が痛くなる。つまり条件の数とその変化が莫大すぎて予測は困難を極めるのである。そこを無理に予測しても「結果的に嘘」をばらまくだけにおわるであろう。
侵攻については、兵站は衛星から丸見えであるからその秘匿は神業の域であろう。さらに、艦船や戦闘爆撃機あるいは弾薬兵糧の集結そのものが戦闘準備であるから、国際社会とりわけ関係国が見過ごすことはありえない。そういった相手の対応をいちいち想定した作戦計画書とは分量でどれほどのものになるのか、ということで「とにかくやってみよう」という最低最悪の選択が残されるが、米国などが関与を完全否定しないかぎり大陸側も混乱するであろうし、それが統治崩壊のリスクを高めることになるとなれば、現在の共産党が選ぶ道とはならないであろう。
そんなことよりも今日的焦点はソフトパワーによる社会変容を目的とする心理戦のほうがはるかに可能性がたかいといえる。これは語義としては一般的に侵攻とはいわない。遅効性の侵略といえる。
時事雑考「23年秋の政局―解散は困難、賃上げ不足が露呈、物価高で生活苦」(その2)
(進路鋭角の滞在型台風6号は11日朝鮮半島付近でようやく温帯低気圧にシフトダウンした。しかし、後続の7号が15日にも日本列島中央部に上陸の可能性が高いという。3年間のブランクに耐え、帰省をはじめ夏休み行事がようやく再開された矢先の足どめに落胆する人も多いと思われる。そうはいっても、酷暑も台風も新型コロナ感染症よりはましかと思いながら、個別事情はさまざまであり、がっかりの度合いもいろいろで、つまるところ「憎きもの値上げに台風円安ぞ」といったところか。
気候変動の影響が世界の穀物生産にどの程度の悪影響をあたえるのかは不確かである。しかし、中国での豪雨災害による不作の心配もあり、またウクライナの穀物がロシアによって閉鎖されていることなどが、途上国を中心に穀物確保に不安を生んでいる。また、インドも米の輸出を禁止し国内消費にむける方針をうちだしている。穀物価格の急騰は各方面にじんだいな悪影響をおよぼすもので、わが国も例外ではない。穀物価格の変動性が高まることは各国の物価対策や経済活動にとっていいことはひとつもない。この先の国民生活の重石がふえたことは、岸田政権の重石が増えることにひとしい。
もちろん、状況適応に長じた自公政権のことなのでそれなりの部分最適解をつないでいくであろう。そこで問題は、より困っている、より貧しい人びとから順に政治の手をさしのべていくことができるかどうかであろう。)
税収増に浮足だっている暇はない、国家経営のルーチンを見直したら
こんなに税収が増えることになると、予算編成での余裕度がたかくなり、早い話がばらまきでも何でもやりたい放題ではないかと誰しも思うであろう。おそらく周囲の期待もたかまるから、政党も支持者も陶酔感につつまれるのではなかろうか。
また、一部の人にはクラクラする議論であって、表題はもっともらしく公益に服す趣旨となっているが、予算執行によって大いに潤う人たちが増えることも想像にかたくないのである。まさに、8月の概算要求から12月の閣議決定まで、与党としては最高の時間といえる。おそらく、支援団体あるいは支援者との会合をかさねながら、要望を聞いたり経過や成果を報告したりと与党議員のみが味わえる嘉悦の時間といえよう。
しかし、嘉悦だからといってわが国の衰退がとまるわけではない。さらに衰退が底をうつとも思えない。なぜなら、何十年にもわたる国家経営のルーチンが、それも民主的におこなわれてきたことが、皮肉にもその帰結が30年来の衰退であったことをうけとめるならば、まちがいなくこれからも同じことがくりかえされ、さらに高い確率で衰退病の進行が予想できるのである。
であれば、手はじめに国家経営のルーチンを見直すことに挑戦してみることも方法のひとつであろう。成功確率は決して高くはないと思うが、何もやらないよりはいいに決まっている。
時事雑考「23年秋の政局―解散は困難、賃上げ不足が露呈、物価高で生活苦」(その1)
(酷暑のせいか何をしても骨が折れる。前回の掲載から6週間もたってしまった、あきらかに能率がおちている。今回は「秋解散はない」という趣旨であるから、7月中に掲載できればよかったのであるが、実家の遺品の整理と草刈りに手間どった。炎天下の苦行の影響がまだのこっている。かるい熱中症かな。
本稿も猛暑のせいで妄想度があがっている。文中で「衰退」を使うことにはやや逡巡したが、多くの数字はそのように語っている。まあ、見たくもない現実であろう。そういえば、自身も見て見ぬふりをしてきたのではと思いあたる節がある。逃げていたのかもしれない。逃げなくても、直視しても、衰退は止まらない。といいきって大丈夫か、何かがあるのではないか、未知なるものが。
といいながらも、それなりに落ち着いていられたのは、数字にあらわれない豊かさがあると、そんな気がしていたから、またなんとなく自信もあったからで、だから気楽に衰退といえたのかしら。でも今は、直に刺さってくる。
気候変動を気候擾乱と、かってに危険度をあげてみた。昔、台風の寿命は6、7日と教わったのであるが、台風6号はどうなっているのか、これも擾乱のひとつではないかと思う。
連合としての賃金交渉は上首尾といえる。しかし、雇用者所得の伸びがどうなるのか、おそらく物価上昇に負けつづけていくのではないか、と心配である。となればひどい消費不振となるだろう。で、異次元の雇用者所得助成策が必要になるであろうから、そのためにもマイナンバー制度は保全されなければならない。ひとり5万円から10万円。10兆円弱のバラマキをやるにちがいない。所得税減税では低所得層にいきわたらないし、消費税率の引き下げは軽減税率の扱いもあり、まとめにくいと思われる。遅くとも年内に実施できれば内閣支持率にはプラスとなるだろう。
とにかく物価に負けたままで総選挙に突入すれば、与党は100議席以上失うのではないか。物価上昇と台風が連帯しているわけではないが、市井は生活苦に息も絶え絶えということで、岸田政権は空前の危機に直面するであろう。
北風が吹きはじめるころまでに、社会福祉党に豹変しなければ、内閣支持率10パーセント台もありうる。大げさではあるが、故なきことではない。
大雑把な表現であるが、DXもGXも子分、親分は社会福祉。それでわが国は再生する。と、腹をくくったら、いつ解散してもしなくても総選挙は大勝利であろう。政治とはそういうものであり、時代は革命をこえる変革を欲している。
本体部分が2万字をこえたので(その1)(その2)に分割した。
今回数字表記を全角に統一してみた。やはり、間延びしている。さりとて半角だとキリリとして強すぎる。そこで混合にすると使い分けがむつかしい。例によって文中敬称略の場合あり。)
解散には大義と動機がひつようである
「6月解散7月総選挙」がきえ、今では「秋解散」が大勢のようである。しかし、その可能性は低いと思う。まず動機がみあたらない。さらに、与党の選挙情勢がかんばしくない。来年の自民党総裁選を優位にするためには解散総選挙が必須であるかの論調を聞くことがあったが、必須の意味が分からない。そんなことよりも仕事でしくじらないことがもっとも大事なことであり、この状況において最大のしくじりとは、解散した総選挙で20議席以上減らすことだから、どう考えてもしくじりの泥沼に突入することにはならないだろう。
さらに、総裁選での有力なライバルと目されていたK氏はマイナンバーカード問題で評判をおとしていると聞く。また、最大派閥のA派も船頭が多いためか迷走中で、まちがっても総裁選候補をまとめあげることにはならないと思われる。ということで、総裁選の見通しは今のところ無風である。
前にも述べたが、広島G7は拍手こそもらえても有権者にとって食べたい餅ではなかったわけで、これからも総選挙を支えるほどの外交成果がたやすく手にはいることはないだろう。むしろ、竜頭蛇尾でツメあま(詰めが甘い)だから、外交上の難問には取りくんでほしくないという声も巷にはある。まあ、期待はさまざまである。ともかく防衛費比率2パーセントとかを、あっさりと決めてしまったものだから、心配が先にたっているのではないか。
時事雑考「2023年6月からの政局-風邪ひくな秋の冷えこみ-」
( 「国会会期末間近になり、いろんな動きがある。情勢を見極めたい」というのが13日の岸田総理の記者会見。それが「今国会での解散は考えてない」と15日夜には終息にいたった。わずか3日間のつむじ風に永田町はほんろうされた。それについては各紙やネットニュースが各方面の反応をつたえている〈以上本稿「」部分は朝日新聞から引用〉。
魔がさしたとは失礼だから、とりあえずは岸田氏の操作癖がでたと受けとめている、筆者のいう暴走である。いきなり13日に総理みずから解散をニタッとほのめかし、15日にはサッと打消した。短期間のことではあったが、総理自身がマッチポンプを演じたといわれても仕方がない。本来なら政治スキャンダルというべきであるが、さあ追求ということにはなっていない。が、岸田氏にとってプラスになることはない、顛末からいってむしろマイナスになるであろう。
つまり、13日の発言の趣旨あるいは重さからいえば解散を強行すべきであった。もし強行できなければ食言となることは本人もよく分かっていたのではないか。
論理構成からいって、15日の解散なし発言を正とするなら、13日の発言は不要であったから、軽率のそしりを免れないであろう。否、13日の発言が正であるなら15日前に重大な決断を導く、恐ろしい情報が入ったということではないか、たとえば自公過半数割れとか。しかし、そのような調査内容を部外者が知ることはできない。万に一つそうであるなら、情勢がかわらなければ秋解散も無理ということになる。
さらに、夏がすぎても物価高に生活が圧迫され、立憲民主党にもそよ風ぐらいは吹くかもしれない。くわえて、日本維新の会を中心とした一部野党選挙協力の展開しだいで、戦況(選況)が大きく変わるであろう。ともかく解散できるのかという事態に陥ることを与党とくに自民党は憂慮すべきである。
今国会のできばえであるが、政府与党ともに自賛のようである。しかし、自公の小手先政治にはあきあきしているのではないか、というよりも政治家の処理能力に疑問をもちはじめたと、そんな気がする国会であった。いずれにせよパッチワーク型政策の限界がみえてきたことから、先々を心配する有権者も増えていると思われる。このままでは内閣支持率はゆっくりと沈降していくだけであろう。
ところで、日銀は新総裁になっても超金融緩和をつづけるつもりらしい。たしかに、緩和を中立方向にすこしもどしたからといって物価上昇の2%をこえる部分をそぎ落とせる確証はない。それよりも、せっかくの賃金上昇傾向に水をかけることになっては元も子もない、さらに景気回復の腰を折ってしまえばマイナスだから、だれが総裁であってもここは模様ながめということになるということか。
しかし、物価高に円安が拍車をかけているとか、国民生活など眼中にないのであろうとか、人びとの不満は高まっている。とくに、勤労者や年金生活者の預金が目減りしていることは確かであるから、いつまでも不公平な金融政策をつづけるのは無理であろう。人びとの日銀への信頼がそこなわれるリスクを政府も心配しなければならない。
さらに、これ以上の円安は政治的に危険である。製造業における円安効果が剥落していると聞く。であれば日銀総裁が超人然としている意味がないと思うがどうであろう。生活資金が円安によって浸食されていると感じる人びとにとって、日銀は癪のたねになりやすいので、そろそろ異次元の金融緩和全般の後始末にとりかからなければならないとみんながそう思いだしているのであるが、打つ手がないという悲惨な状況にある。もし日銀幹部が「日本人はおひとよし」とか「がまんづよい」と思っているのであれば、それはとんでもない考え違いであると忠告しておきたい。声なき声を掬(すく)いとれば、そろそろ日銀政策委員も国民審査の対象にできないものか、といった程度の過激さはおり込みずみなのか。まあ暴論ではあるが、分かったうえでいいたくなるご時世なのである。
さて、解散が早くて秋の臨時国会ということになれば、政局は日本維新の会を中心とした野党の選挙協力に焦点をうつすことになる。それへの対応をめぐる立憲民主党の党内葛藤にもスポットライトがあたるであろう。
また暖房のスイッチをきった自公関係も修復にうごくとみるのが常識的であるのだが、中には荒天を期待する向きも少なくないようであるから、なにが起こるのかは不透明といえる。
総選挙にむけての各党の展望については、5月25日の弊欄時事雑考「2023年5月の政局観-総選挙への助走と維新-」で詳述した。もちろん偏見と妄想の寄せ鍋風であるが、栄養価は高いと勝手に思っている。
この国の政治は、意識高い系と関心高い系がうごかしているように思われているが、意識も関心も低い系の動向をむしすると間違うことになる。低いといってもゼロではない。またニュアンス的には、意識系が非利益的に、関心系が利益的に語られているが、それがどうしたという気がする。
投票への影響をいえば国際情勢の比重がたかくなっていることから、日米関係重視だけでは不十分で、野党でいえば日中関係での新機軸を提案できなければ政権がまわってくることはないであろう。自民党にとって、鉄板支持層といわれた右派層が邪魔とはいわないが、同党の重荷になりつつあるのではないかという声が妙にリアルに残っている。例によって、文脈上敬称を略する場合がある。)
時事雑考「2023年5月の政局観-総選挙への助走と維新-」
(台風2号が異常発達と聞く。ふと皐月台風と維新が重なる。ところで解散総選挙の予想が、浜辺に浮かぶ軽石のように目につきはじめた。時期は秋という。しかし、千人がそう予想してもこれだけは分からない。それを承知の上で、筆者も予想に走る。当たり外れと同時に、予想の筋つくりが頭のなかを整理するのにちょうどいいのである。だから、時期と同時に得票動向にも政治の真実をもとめて妄想を重ねている。
G7広島は成功であったと思う。核兵器削減・廃絶を主目的とするならば失敗と批難されてもしかたがないが、先進国サミットの流れを前提にするかぎりここまでという判断は尊重されるべきであろう。限界があったとしても前進であったと思う。
ゼレンスキーだけでなくプーチンの参加も、との声が聞こえてくるが、G7では無理筋であろう。対ロシア非難国、制裁国が中心のウクライナ支援国会議であるから、プーチン非難の流れは変えられない。また、直ちに停戦をと主張するのが平和主義者の作法であるかのごとき意見もあったが、その停戦ラインが事実上の国境線となることを承知の上での発言なのか、そうなれば侵略優位の発言であるから平和主義とは矛盾するではないか。ここに大きな悩みがあるといえる。立場や考え方に差があったとしても、ここは侵略者に痛打を与えなければならない。でないと侵略が繰りかえされるであろう。
さて、国内では日本維新の会が台風の目になりつつある。支持率が大きく回復しているキシダ政権ではあるが、不思議なことに勢いは守勢である。維新vs立憲の争いに漁夫の利をねらっているのか。うろんな話である。
好感度が低いからといって立憲たたきに奔走し、リベラル退治に熱中しすぎると思わぬ反撃を受けるかもしれない。政権批判票の受け皿であるはずの維新が野党第一党取りに熱をあげすぎると、くるはずの票がこなくなるかもしれない。多少なりとも選挙調整をやらなければ、キシダ政権のガードマンではないかと思われるぞね。これが今回の主題である、例によって敬称略の場合あり。)
さて、国会は残り4週をきり、終盤へ
連休があけると後半国会である。今年は延長がなければ6月21日に閉会をむかえる。また、残り会期が4週を切るころになると、法案処理のラフスケッチをまえに、与野党の国対(国会対策委員会)は思惑と駆けひきの空間に閉じこもる。
さて、政局の焦点である解散総選挙である。その話の前提には「G7広島」の成功が必須条件となっているが、今のところ成功というべきであろう。まずは順調といえる。
さらに、G7後の内閣支持率の動向に注目があつまる。ちなみに、今月20、21日におこなわれた毎日新聞の全国世論調査によると、岸田内閣の支持率は45%で、4月15、16日実施の前回調査36%から9ポイント上昇したと伝えられている。なお不支持率は46%で10ポイント下げている。〈毎日新聞2023/5/21/15:54(5/22/11:09)〉他の調査においても支持率は上昇していると思われる。私見ではあるが、内閣支持率は照度計であって評価計ではない。感染症の収束が世の中を明るくしているだけのことで、G7も大過なくうまくいったことへの安心感の反映であろう。後述する物価上昇による生活圧迫や増税、負担増をキャンセルするほどの威力などは、もとからないというべきであろう。
ということで、G7が首尾よくおさまったからといって、解散総選挙の青ランプが点灯しているかといえば、そうはならない。なぜなら支持率を紡ぐ民意には奇矯なところがあって、一筋縄ではとらえられないというよりか、G7は食べたい餅ではなかったということではないか。
では食べたい餅とはどんな餅なのか。それが分かれば苦労はないわけで、おそらく総選挙の勝敗を決する「食べたい餅」をめぐり各党それぞれに悩むところであろう。とくに、立憲民主党は結党(2020年9月)以来の最大の危機を迎えているから、もしアベ流であるなら、立憲にとって最悪のこのタイミングでの解散総選挙こそが、立憲を押しつぶすチャンスであると考えるであろうが、維新の隆盛が報じられるなかで、立憲から維新への野党第一党の移動がキシダ政権にとってどんな利益となるのかについて冷静に考えれば、リスクの割にえるものが少ないことにたぶん気がついているのであろう。また、別のリスクとして自公の選挙調整が難渋していることもあり、解散総選挙へのふみだしがむしろ鈍くなっているように思われる。とくに、このタイミングで立憲をつぶす意味はない、つまり代表がないがしろにされ、求心力を欠いた弱い立憲にはむしろつづいてほしいのに、わざわざつぶしにいくことはないというのが、常識的な論理なのである。
もちろん、ここは呼吸が整えばうってでるのが自民党流だと断言すべきであるが、G7後の情勢の好転に、自信を深めているのかもしれない。党内世論は秋以降に移りつつある。政局からいえば、国会会期を延長してでも解散総選挙にもちこむことが上策だと筆者は思う。が、政権の応援団ではないので、声をあげることもない。ところで立憲の泉代表は野党が一致しないかぎり不信任案を提出してはならない、どこを向いているか分からない銃の引き金を自分でひくことはない。さいごまで、党再生の道を探るべきであろう。