遅牛早牛

時事雑考「日米同盟の向こう側『任怨分謗』か『是々非々』か」

【10月、11月はなぜか忙しくてペースが落ちた。(ファイルの日付が10月23日だから20日近く抱え込んでいたのである!)それとは関係ないが、岸田内閣の支持率も落ちている。「6月解散がラストチャンス」であったと考えていたのだが、案の定、年内解散はないことになったらしい(11月9日)。

 ところで、減税案が不人気のようだが信じがたいというのが一般論ではある。そりゃ給付金のほうがてっとり早いとは思うが、税の増収分の還元策という理屈からいえば、減税のほうが本筋かなと思っていたら、財務大臣によると全部使ってしまっているので還元の原資はないということらしい。これには「なんじゃそりゃ、ホイ」と思わず合の手をいれたくなった。

 さらに、少子化対策の財源あるいは防衛力強化のための増税などが出番をまっているというから、誰しも「ちょっとまて、オイ」といいたくなるであろう。まさか「なんじゃそりゃ、ホイ」「ちょっとまて、オイ」が響きわたる合の手国会になることはないと思うが、なんかギクシャクしていて、また暴走的で、そのうえ刹那的ではないか。

 いまだに実質賃金の下落が止まらない。物価に連敗の賃金。来春まで待てない、生活が持たない。これほど生活がピンチなのに減税が嫌われるなんて思いもしなかったが、やはり来年の話だから超遅すぎるということであろう。

 まさか、減税の実施時期に総選挙をぶつけるつもりなのか?そうであればすごい仕込みと思うが、それだと品質期限切れになるのではないか。

 ところで、岸田さんはいじられキャラなのか。あるいは誰だかわからない匿名者によるいじり過ぎなのか。メガネを疑似標的にするあたりは手練れの仕事で、大げさにいえば諧謔的殺意を感じる。

 そういえば、立憲民主党の泉健太代表も似てきている。政権を狙うのは5年先というのは本音だろう。それでも意欲的すぎるという声さえあるのだが、多くは、まあそんなものだろうと思っているのではないか。しかし、代表が本音をいうのはまずいというか、「5年先までもつわけないのに、なに呑気こいてんだ。」ということかもしれない。第一党と第二党の党首が似た者どうしではないかという指摘はどうだろうか。そのためにも、早く党首討論をやってくれ!】

 

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時事雑考「ネタ切れ芸人化した政党への処方箋-遺伝子組み換え?」

(満月に酔ったわけではないが、酷暑の疲れのせいなのか例の妄想に見舞われることが多くなった。不安と倦怠が同居する今どきの政治におそらく妄想で、心の均衡を保っているのであろう。「足して二で割ればちょうどいいのだが」といってから愚痴る会はいつも解散となるのだが、近年の遺伝子操作をつかえばそういうことができるらしいのである。妄想の種はいつも政党への「なんとかならないものか」という愚痴が発端であった。まあ、良いとこどりは凡人のご都合主義といえるが、遺伝子組み換えによる政党の改造は有権者のかなわぬ夢かもしれない、と書けばすかしすぎであろう。気にいらないのであれば、政党改造に着手すればいい、それが有権者の権利というもので、、、。

 舞台はまわる。大陸は動く。事態は変わる。ひとつとして繋がるものがないのに、同期しているかもしれないが、誰もそれを知覚できないとしたら、なにも起こっていないことになる、のかと意味不明な文案が鼻だれのように落ちてくる、月を眺めすぎたからなのか。

 ところで、地球の温暖化もたとえば富士山が大噴火をおこせば噴煙などが日照を遮り低温災害を引きおこすので、すくなくとも温暖化が足ぶみ状態となる。祝うべきか。あるいは期せずして地球が寒冷期に入るとしたら、人類はふたたび石炭を焚くであろうか。

 さて、筆者は資本主義の暴走、社会主義の堕落、民主主義の危機という三題噺を枕にしてきたが、いよいよ啓蒙主義の怠慢、自由主義の閉塞を追加すべき事態となってしまった。で、もうやめた。もっとましなことをいうべきではないかと反省している。

 最後に、インフレは完全泥棒である。日銀は目こぼしをしている、泥棒が増えるまでは捕まえなくてもいいと。昨今のご時世をいえば、金融資産をもたない人びとは今や棄民状態にあるといえる。だから、強力な再配分をやらなければ気分は一揆状態になるぞ。何で真面目にやらにゃならんのだ、俺たちだけが。危機は風にのってやってくるから足音を立てない。ここは気をつけたほうがいいよ、と警告しておこう。例によって文中敬称略もあり。)

9月の内閣改造は不発、高い不支持率がつづく

 9月13日の内閣改造が岸田氏の目論見からいえば失敗であったといえる。目論見とは支持率の回復、つまり支持不支持の均衡にあったと推測するならば、せっかくの改造は空砲におわったといえるのではないか。さらに、新任大臣のいわゆる身体検査や初期故障のリスクを考えれば、これからの話ではあるが空砲どころか「やらなければよかった改造」といった声がでてくるであろうし、そうなれば党内的に厄介なことになりかねない。

 アンケートに回答する側には歴とした理由があるのだから、今回にかぎらず低い支持率には不思議な点はひとつもないといえる。だから、その理由を解明できないのであれば、政治家としては失格というべきであろう。有権者に理由なき不支持というものがあるとは思えない。

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時事雑考「最低賃金2030年代半ばに1500円、墨絵のような目標」

(前回、気候変動ではことばが弱いから気候擾乱としたが、戻ることができない道のようである。ことこれに関しては世界の指導者は無能である。指導者以外も無能である。

 ところで、ロ朝会談ではプーチンとキムが手を握り、ウクライナ用弾薬と宇宙技術とを交換するという。あくまで予測であるが危なっかしいことこの上ない。どうかねぇ~、場末の二人組にならなきゃいいのだが、何をしでかすのか予想がつかない。前にも、プーチンのいるロシアとプーチンのいないロシアとではどちらが危険なのか、と問うたがどちらも危険と答えればタカ派で、プーチンのいないロシアと答えればハト派で、プーチンのいるロシアと答えれば馬鹿者だという人がいたが、そろそろ冗談もいえなくなりそうである。いよいよ煮詰まってきた。

 というややこしい時に内閣改造をやっちまった岸田はすごい、マジですごいという声がごく一部ではあるが流れている。税収は70兆円ベースで予備費たっぷりだからルンルン内閣のようである。

 ガソリンが高い。で、トリガー条項はどうなったのかしら。えぇ、その分円を安くしておきました、ということだろう。

 このごろ物価が上がって暮らしがいまいちで気分がよくない人がスポーツで機嫌をなおしている。もちろん関西はアレ待ちですな。HP掲載の時刻によっては修文しなければ。来週は久しぶりに東京です。例により文中敬称略です。)

岸田最賃、コップの中の画期、物価上昇をどうするの?

◇ 岸田首相の人気がいまいちなのは、たとえば最低賃金(以下最賃)について「2030年代半ばまでに1500円をめざす」と宣言するのはけっして悪いことではないのだが、それがまるで紙鉄砲のようで迫力を欠いているだけでなく、ポイントをはずしているというか、むしろ「はぐらかしている」と思わせる怪しさがあるからではないかと、ここ何日か思うようになった。

 今年の最賃は全国加重平均で1004円におちついたが、岸田首相の方針を実行すれば十年余で496円増えることになる。この長期間におよぶ引きあげ目標は、あくまで政府の目標であって審議会の目標ではないが、経営者団体の反応が好意的だという点もおりまぜれば、じつに画期的なもので、方針化とあわせ拍手をおくりたいと思う。しかし、政策として時代がもとめているものとは微妙にずれているような感じがする。

 つまり、この程度の引上げ目標では国際的な順位は変わらないので、あいかわらず賃金後進国をつづけるという宣言にほかならないから、まあ国内だけの「うちむきの目標」といえる。

 もっとも支払う側にとってはそれでも負担が大きいということであろう。それは理解できるが、しかしこの岸田方針だけでわが国の賃金、最賃の比較劣位が改善されることにはならないと思われる。それでも「負担が大きい」と抵抗しているだけでは、個人消費がじり貧の収縮経済をつづけることになり、失われた30年のくり返しではないかということである。

 よくよく考えれば、数値目標を方針化することには、メリットだけではなくいくつかの弊害があり、状況によっては裏目がでる場合があるのではないか。たとえば物価上昇が5%を超える場合では、1004円に対し50円以上の引きあげがひつようとなる。また、賃上げがベアで2%をこえれば、さらに20円以上の上積みがひつようで、この場合70円以上の引きあげを受けいれられるのか、使用者側の判断が注目される。

 くわえて、物価上昇率が低位の1%程度であっても、方針の年額50円ちかい増額ペースを維持するのか、意見は分かれるであろう。つまり、1500円という水準が実質なのか名目なのかで性格の違った議論になるのであって、通常は名目であるが、デフレならいざ知らずインフレ傾向がつよまるケースでは、年次の引きあげ額に物価上昇分を混ぜこむことには労働側の抵抗がつよまると思われる。おそらく、物価上昇分は別立てで加算ということに落ちつかざるをえないであろう。

 さらに、秋の最賃は春の賃上げを踏まえての議論であるから、ベアが大幅にあがれば目標とのマージンが窮屈になる。そうなると、目標とは何なのかという批判が生じると思われる。今は、妥当な感じの1500円であっても、経済状況によっては頻繁な見なおしがひつようとなるだろう。

 「最賃を長期にわたって上げていきます」というメッセージは評価される。しかし、各論においてもっとも重要なのは平均的な賃金水準との整合性をどのようにとっていくのかということである。具体的には、改定前において最賃額を下まわっている労働者割合、すなわち未満率がたとえば10%をこえはじめると、最賃のもつ公正競争基準としての役割が粗鬆化し、同時に違反が急増し最賃制度そのものに赤信号が点滅することになる。

 また、改定した後に、改定後の最賃額を下まわることになる労働者割合、すなわち影響率がたとえば20%をこえはじめると、春の賃金改定に引きつづき秋の賃金改定がひつようになり、じつに煩瑣である。さらに賃金改定時期を最賃改定後にはじめるという遅延現象も発生し、それが最賃水準の議論へマイナスの影響をおよぼす怖れが生じることになる。(10%、20%は筆者の経験にもとづく私見である。ちなみに筆者は1090年代半ばに連合で最賃を担当していた。未満率、影響率については注を参照。)

 現在、審議のなかで未満率や影響率についても精細な議論がおこなわれていると聞くが、政治的意志をもった大幅な改定は現行の最賃決定システムにとって過重負荷(オーバーロード)となり、システムそのものを損傷するリスクもあることから、岸田方針を貫徹する気があるなら、物価上昇率の反映もふくめ最賃制度の再定義がひつようであるといえる。

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時事雑考「潮目が変わる時か?-中国と日米韓首脳会談-」

( 行きつけのスーパーマーケットが一日休業し、セルフレジを導入した。人手不足がひどいのであろう。店内は、10月からの値上げに身構える人がいる反面、のほほんとしている人も多い、といった感じである。この国は働く人を痛めつけすぎたから人手不足というかたちで復讐されている、というのが筆者の持論というよりも呪術である。専攻度はひくいが偏向度はたかい。

 今回は日米韓首脳会談を題材にしたが、焦点はもちろん中国である。時代背景からいって争論の激しからんことを期待したものの、世間的には低調である。イチャモン大王にいちゃもんをつける者はいないということらしい。また迎撃力が強くて近寄れないともいう。たとえ良薬であっても苦いものは嫌いらしい。批判を受けつけないことが、批判がなかったことにできる良策だという、これも呪術というものか。しかし、帰還制御(フィードバックシステム)なしにはまともな航行はできないというのが今日の常識であろう。

 だからなのか、「中国発経済ショック」にからむ発信が極端に少ない。その穴を処理水がうめている。ということはひどく怯えているのであろう。さらに、怯えが怯えをよぶ悪循環がいよいよはじまりそうである。まあ、どこまでいっても起こってからの話ではあるが、気分は落ちこむばかりである。

 ところで、国民民主党の代表選が来月2日に決着する。自民党との距離が争点であると報道されている。考えてみれば「ちかい」と「ちかづく」とでは意味がちがうのであるが。距離をいうなら立民とのそれであるが、もはや記事にもならないということか。党の総意がどのように現れるのか、意外と重要なイベントになるという意味で注目している。)

 

日米韓首脳会談でいう危機的状況とは、二つの中国リスク

8月18日米国大統領別荘のキャンプデービッドで日米韓首脳会談がおこなわれた。とくに「危機的状況における(日米韓の)対話と関与」が中心であったということで、国際双六(すごろく)でいえば、この時期にひとマスふたマス前にすすめておくということであろう。

 「危機的状況」のひとつは、台湾海峡あるいは台湾の領域内での偶発性の高い軍事衝突であろう。現場の判断ミスが思わぬ重大事態をまねくことがある。細事こそが大事である。よく台湾有事といわれるし、筆者も使用するが、雲をつかむような言語概念であるから、「台湾有事は日本有事」との表現も国民の注目をあつめるために使っているのであろうが、政治家や報道がつかうのはやめたほうがいい、なぜなら鉛筆が落ちても有事なのかというように、今のままではあいまいすぎるのである。だから情勢確認と言葉の定義を明確にした上でということである。

 おなじく「台湾侵攻」についても解説される内容は、日常会話での「~であれば~である」という仮定にくわえて、偶発性をともなう事象の確率を考慮しなければならないし、そういった条件が時系列上に「大数」として存在するから、ふつうに考えても手におえるものではない。気象条件だけでも頭が痛くなる。つまり条件の数とその変化が莫大すぎて予測は困難を極めるのである。そこを無理に予測しても「結果的に嘘」をばらまくだけにおわるであろう。

 侵攻については、兵站は衛星から丸見えであるからその秘匿は神業の域であろう。さらに、艦船や戦闘爆撃機あるいは弾薬兵糧の集結そのものが戦闘準備であるから、国際社会とりわけ関係国が見過ごすことはありえない。そういった相手の対応をいちいち想定した作戦計画書とは分量でどれほどのものになるのか、ということで「とにかくやってみよう」という最低最悪の選択が残されるが、米国などが関与を完全否定しないかぎり大陸側も混乱するであろうし、それが統治崩壊のリスクを高めることになるとなれば、現在の共産党が選ぶ道とはならないであろう。

 そんなことよりも今日的焦点はソフトパワーによる社会変容を目的とする心理戦のほうがはるかに可能性がたかいといえる。これは語義としては一般的に侵攻とはいわない。遅効性の侵略といえる。

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時事雑考「23年秋の政局―解散は困難、賃上げ不足が露呈、物価高で生活苦」(その2)

(進路鋭角の滞在型台風6号は11日朝鮮半島付近でようやく温帯低気圧にシフトダウンした。しかし、後続の7号が15日にも日本列島中央部に上陸の可能性が高いという。3年間のブランクに耐え、帰省をはじめ夏休み行事がようやく再開された矢先の足どめに落胆する人も多いと思われる。そうはいっても、酷暑も台風も新型コロナ感染症よりはましかと思いながら、個別事情はさまざまであり、がっかりの度合いもいろいろで、つまるところ「憎きもの値上げに台風円安ぞ」といったところか。

 気候変動の影響が世界の穀物生産にどの程度の悪影響をあたえるのかは不確かである。しかし、中国での豪雨災害による不作の心配もあり、またウクライナの穀物がロシアによって閉鎖されていることなどが、途上国を中心に穀物確保に不安を生んでいる。また、インドも米の輸出を禁止し国内消費にむける方針をうちだしている。穀物価格の急騰は各方面にじんだいな悪影響をおよぼすもので、わが国も例外ではない。穀物価格の変動性が高まることは各国の物価対策や経済活動にとっていいことはひとつもない。この先の国民生活の重石がふえたことは、岸田政権の重石が増えることにひとしい。

 もちろん、状況適応に長じた自公政権のことなのでそれなりの部分最適解をつないでいくであろう。そこで問題は、より困っている、より貧しい人びとから順に政治の手をさしのべていくことができるかどうかであろう。)

税収増に浮足だっている暇はない、国家経営のルーチンを見直したら

 こんなに税収が増えることになると、予算編成での余裕度がたかくなり、早い話がばらまきでも何でもやりたい放題ではないかと誰しも思うであろう。おそらく周囲の期待もたかまるから、政党も支持者も陶酔感につつまれるのではなかろうか。

 また、一部の人にはクラクラする議論であって、表題はもっともらしく公益に服す趣旨となっているが、予算執行によって大いに潤う人たちが増えることも想像にかたくないのである。まさに、8月の概算要求から12月の閣議決定まで、与党としては最高の時間といえる。おそらく、支援団体あるいは支援者との会合をかさねながら、要望を聞いたり経過や成果を報告したりと与党議員のみが味わえる嘉悦の時間といえよう。

 しかし、嘉悦だからといってわが国の衰退がとまるわけではない。さらに衰退が底をうつとも思えない。なぜなら、何十年にもわたる国家経営のルーチンが、それも民主的におこなわれてきたことが、皮肉にもその帰結が30年来の衰退であったことをうけとめるならば、まちがいなくこれからも同じことがくりかえされ、さらに高い確率で衰退病の進行が予想できるのである。

 であれば、手はじめに国家経営のルーチンを見直すことに挑戦してみることも方法のひとつであろう。成功確率は決して高くはないと思うが、何もやらないよりはいいに決まっている。

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時事雑考「23年秋の政局―解散は困難、賃上げ不足が露呈、物価高で生活苦」(その1)

(酷暑のせいか何をしても骨が折れる。前回の掲載から6週間もたってしまった、あきらかに能率がおちている。今回は「秋解散はない」という趣旨であるから、7月中に掲載できればよかったのであるが、実家の遺品の整理と草刈りに手間どった。炎天下の苦行の影響がまだのこっている。かるい熱中症かな。

 本稿も猛暑のせいで妄想度があがっている。文中で「衰退」を使うことにはやや逡巡したが、多くの数字はそのように語っている。まあ、見たくもない現実であろう。そういえば、自身も見て見ぬふりをしてきたのではと思いあたる節がある。逃げていたのかもしれない。逃げなくても、直視しても、衰退は止まらない。といいきって大丈夫か、何かがあるのではないか、未知なるものが。

 といいながらも、それなりに落ち着いていられたのは、数字にあらわれない豊かさがあると、そんな気がしていたから、またなんとなく自信もあったからで、だから気楽に衰退といえたのかしら。でも今は、直に刺さってくる。

 気候変動を気候擾乱と、かってに危険度をあげてみた。昔、台風の寿命は6、7日と教わったのであるが、台風6号はどうなっているのか、これも擾乱のひとつではないかと思う。

 連合としての賃金交渉は上首尾といえる。しかし、雇用者所得の伸びがどうなるのか、おそらく物価上昇に負けつづけていくのではないか、と心配である。となればひどい消費不振となるだろう。で、異次元の雇用者所得助成策が必要になるであろうから、そのためにもマイナンバー制度は保全されなければならない。ひとり5万円から10万円。10兆円弱のバラマキをやるにちがいない。所得税減税では低所得層にいきわたらないし、消費税率の引き下げは軽減税率の扱いもあり、まとめにくいと思われる。遅くとも年内に実施できれば内閣支持率にはプラスとなるだろう。

 とにかく物価に負けたままで総選挙に突入すれば、与党は100議席以上失うのではないか。物価上昇と台風が連帯しているわけではないが、市井は生活苦に息も絶え絶えということで、岸田政権は空前の危機に直面するであろう。

 北風が吹きはじめるころまでに、社会福祉党に豹変しなければ、内閣支持率10パーセント台もありうる。大げさではあるが、故なきことではない。

 大雑把な表現であるが、DXもGXも子分、親分は社会福祉。それでわが国は再生する。と、腹をくくったら、いつ解散してもしなくても総選挙は大勝利であろう。政治とはそういうものであり、時代は革命をこえる変革を欲している。

本体部分が2万字をこえたので(その1)(その2)に分割した。

 今回数字表記を全角に統一してみた。やはり、間延びしている。さりとて半角だとキリリとして強すぎる。そこで混合にすると使い分けがむつかしい。例によって文中敬称略の場合あり。)

解散には大義と動機がひつようである

 「6月解散7月総選挙」がきえ、今では「秋解散」が大勢のようである。しかし、その可能性は低いと思う。まず動機がみあたらない。さらに、与党の選挙情勢がかんばしくない。来年の自民党総裁選を優位にするためには解散総選挙が必須であるかの論調を聞くことがあったが、必須の意味が分からない。そんなことよりも仕事でしくじらないことがもっとも大事なことであり、この状況において最大のしくじりとは、解散した総選挙で20議席以上減らすことだから、どう考えてもしくじりの泥沼に突入することにはならないだろう。

 さらに、総裁選での有力なライバルと目されていたK氏はマイナンバーカード問題で評判をおとしていると聞く。また、最大派閥のA派も船頭が多いためか迷走中で、まちがっても総裁選候補をまとめあげることにはならないと思われる。ということで、総裁選の見通しは今のところ無風である。

 前にも述べたが、広島G7は拍手こそもらえても有権者にとって食べたい餅ではなかったわけで、これからも総選挙を支えるほどの外交成果がたやすく手にはいることはないだろう。むしろ、竜頭蛇尾でツメあま(詰めが甘い)だから、外交上の難問には取りくんでほしくないという声も巷にはある。まあ、期待はさまざまである。ともかく防衛費比率2パーセントとかを、あっさりと決めてしまったものだから、心配が先にたっているのではないか。

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時事雑考「2023年6月からの政局-風邪ひくな秋の冷えこみ-」

( 「国会会期末間近になり、いろんな動きがある。情勢を見極めたい」というのが13日の岸田総理の記者会見。それが「今国会での解散は考えてない」と15日夜には終息にいたった。わずか3日間のつむじ風に永田町はほんろうされた。それについては各紙やネットニュースが各方面の反応をつたえている〈以上本稿「」部分は朝日新聞から引用〉。

 魔がさしたとは失礼だから、とりあえずは岸田氏の操作癖がでたと受けとめている、筆者のいう暴走である。いきなり13日に総理みずから解散をニタッとほのめかし、15日にはサッと打消した。短期間のことではあったが、総理自身がマッチポンプを演じたといわれても仕方がない。本来なら政治スキャンダルというべきであるが、さあ追求ということにはなっていない。が、岸田氏にとってプラスになることはない、顛末からいってむしろマイナスになるであろう。

 つまり、13日の発言の趣旨あるいは重さからいえば解散を強行すべきであった。もし強行できなければ食言となることは本人もよく分かっていたのではないか。

 論理構成からいって、15日の解散なし発言を正とするなら、13日の発言は不要であったから、軽率のそしりを免れないであろう。否、13日の発言が正であるなら15日前に重大な決断を導く、恐ろしい情報が入ったということではないか、たとえば自公過半数割れとか。しかし、そのような調査内容を部外者が知ることはできない。万に一つそうであるなら、情勢がかわらなければ秋解散も無理ということになる。

 さらに、夏がすぎても物価高に生活が圧迫され、立憲民主党にもそよ風ぐらいは吹くかもしれない。くわえて、日本維新の会を中心とした一部野党選挙協力の展開しだいで、戦況(選況)が大きく変わるであろう。ともかく解散できるのかという事態に陥ることを与党とくに自民党は憂慮すべきである。

 今国会のできばえであるが、政府与党ともに自賛のようである。しかし、自公の小手先政治にはあきあきしているのではないか、というよりも政治家の処理能力に疑問をもちはじめたと、そんな気がする国会であった。いずれにせよパッチワーク型政策の限界がみえてきたことから、先々を心配する有権者も増えていると思われる。このままでは内閣支持率はゆっくりと沈降していくだけであろう。

 ところで、日銀は新総裁になっても超金融緩和をつづけるつもりらしい。たしかに、緩和を中立方向にすこしもどしたからといって物価上昇の2%をこえる部分をそぎ落とせる確証はない。それよりも、せっかくの賃金上昇傾向に水をかけることになっては元も子もない、さらに景気回復の腰を折ってしまえばマイナスだから、だれが総裁であってもここは模様ながめということになるということか。

 しかし、物価高に円安が拍車をかけているとか、国民生活など眼中にないのであろうとか、人びとの不満は高まっている。とくに、勤労者や年金生活者の預金が目減りしていることは確かであるから、いつまでも不公平な金融政策をつづけるのは無理であろう。人びとの日銀への信頼がそこなわれるリスクを政府も心配しなければならない。

 さらに、これ以上の円安は政治的に危険である。製造業における円安効果が剥落していると聞く。であれば日銀総裁が超人然としている意味がないと思うがどうであろう。生活資金が円安によって浸食されていると感じる人びとにとって、日銀は癪のたねになりやすいので、そろそろ異次元の金融緩和全般の後始末にとりかからなければならないとみんながそう思いだしているのであるが、打つ手がないという悲惨な状況にある。もし日銀幹部が「日本人はおひとよし」とか「がまんづよい」と思っているのであれば、それはとんでもない考え違いであると忠告しておきたい。声なき声を掬(すく)いとれば、そろそろ日銀政策委員も国民審査の対象にできないものか、といった程度の過激さはおり込みずみなのか。まあ暴論ではあるが、分かったうえでいいたくなるご時世なのである。

 さて、解散が早くて秋の臨時国会ということになれば、政局は日本維新の会を中心とした野党の選挙協力に焦点をうつすことになる。それへの対応をめぐる立憲民主党の党内葛藤にもスポットライトがあたるであろう。

 また暖房のスイッチをきった自公関係も修復にうごくとみるのが常識的であるのだが、中には荒天を期待する向きも少なくないようであるから、なにが起こるのかは不透明といえる。

 総選挙にむけての各党の展望については、5月25日の弊欄時事雑考「2023年5月の政局観-総選挙への助走と維新-」で詳述した。もちろん偏見と妄想の寄せ鍋風であるが、栄養価は高いと勝手に思っている。

 この国の政治は、意識高い系と関心高い系がうごかしているように思われているが、意識も関心も低い系の動向をむしすると間違うことになる。低いといってもゼロではない。またニュアンス的には、意識系が非利益的に、関心系が利益的に語られているが、それがどうしたという気がする。

 投票への影響をいえば国際情勢の比重がたかくなっていることから、日米関係重視だけでは不十分で、野党でいえば日中関係での新機軸を提案できなければ政権がまわってくることはないであろう。自民党にとって、鉄板支持層といわれた右派層が邪魔とはいわないが、同党の重荷になりつつあるのではないかという声が妙にリアルに残っている。例によって、文脈上敬称を略する場合がある。)

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時事雑考「2023年5月の政局観-総選挙への助走と維新-」

(台風2号が異常発達と聞く。ふと皐月台風と維新が重なる。ところで解散総選挙の予想が、浜辺に浮かぶ軽石のように目につきはじめた。時期は秋という。しかし、千人がそう予想してもこれだけは分からない。それを承知の上で、筆者も予想に走る。当たり外れと同時に、予想の筋つくりが頭のなかを整理するのにちょうどいいのである。だから、時期と同時に得票動向にも政治の真実をもとめて妄想を重ねている。

 G7広島は成功であったと思う。核兵器削減・廃絶を主目的とするならば失敗と批難されてもしかたがないが、先進国サミットの流れを前提にするかぎりここまでという判断は尊重されるべきであろう。限界があったとしても前進であったと思う。

 ゼレンスキーだけでなくプーチンの参加も、との声が聞こえてくるが、G7では無理筋であろう。対ロシア非難国、制裁国が中心のウクライナ支援国会議であるから、プーチン非難の流れは変えられない。また、直ちに停戦をと主張するのが平和主義者の作法であるかのごとき意見もあったが、その停戦ラインが事実上の国境線となることを承知の上での発言なのか、そうなれば侵略優位の発言であるから平和主義とは矛盾するではないか。ここに大きな悩みがあるといえる。立場や考え方に差があったとしても、ここは侵略者に痛打を与えなければならない。でないと侵略が繰りかえされるであろう。

 さて、国内では日本維新の会が台風の目になりつつある。支持率が大きく回復しているキシダ政権ではあるが、不思議なことに勢いは守勢である。維新vs立憲の争いに漁夫の利をねらっているのか。うろんな話である。

 好感度が低いからといって立憲たたきに奔走し、リベラル退治に熱中しすぎると思わぬ反撃を受けるかもしれない。政権批判票の受け皿であるはずの維新が野党第一党取りに熱をあげすぎると、くるはずの票がこなくなるかもしれない。多少なりとも選挙調整をやらなければ、キシダ政権のガードマンではないかと思われるぞね。これが今回の主題である、例によって敬称略の場合あり。)

さて、国会は残り4週をきり、終盤へ

 連休があけると後半国会である。今年は延長がなければ6月21日に閉会をむかえる。また、残り会期が4週を切るころになると、法案処理のラフスケッチをまえに、与野党の国対(国会対策委員会)は思惑と駆けひきの空間に閉じこもる。

 さて、政局の焦点である解散総選挙である。その話の前提には「G7広島」の成功が必須条件となっているが、今のところ成功というべきであろう。まずは順調といえる。

 さらに、G7後の内閣支持率の動向に注目があつまる。ちなみに、今月20、21日におこなわれた毎日新聞の全国世論調査によると、岸田内閣の支持率は45%で、4月15、16日実施の前回調査36%から9ポイント上昇したと伝えられている。なお不支持率は46%で10ポイント下げている。〈毎日新聞2023/5/21/15:54(5/22/11:09)〉他の調査においても支持率は上昇していると思われる。私見ではあるが、内閣支持率は照度計であって評価計ではない。感染症の収束が世の中を明るくしているだけのことで、G7も大過なくうまくいったことへの安心感の反映であろう。後述する物価上昇による生活圧迫や増税、負担増をキャンセルするほどの威力などは、もとからないというべきであろう。

 ということで、G7が首尾よくおさまったからといって、解散総選挙の青ランプが点灯しているかといえば、そうはならない。なぜなら支持率を紡ぐ民意には奇矯なところがあって、一筋縄ではとらえられないというよりか、G7は食べたい餅ではなかったということではないか。

 では食べたい餅とはどんな餅なのか。それが分かれば苦労はないわけで、おそらく総選挙の勝敗を決する「食べたい餅」をめぐり各党それぞれに悩むところであろう。とくに、立憲民主党は結党(2020年9月)以来の最大の危機を迎えているから、もしアベ流であるなら、立憲にとって最悪のこのタイミングでの解散総選挙こそが、立憲を押しつぶすチャンスであると考えるであろうが、維新の隆盛が報じられるなかで、立憲から維新への野党第一党の移動がキシダ政権にとってどんな利益となるのかについて冷静に考えれば、リスクの割にえるものが少ないことにたぶん気がついているのであろう。また、別のリスクとして自公の選挙調整が難渋していることもあり、解散総選挙へのふみだしがむしろ鈍くなっているように思われる。とくに、このタイミングで立憲をつぶす意味はない、つまり代表がないがしろにされ、求心力を欠いた弱い立憲にはむしろつづいてほしいのに、わざわざつぶしにいくことはないというのが、常識的な論理なのである。

 

 もちろん、ここは呼吸が整えばうってでるのが自民党流だと断言すべきであるが、G7後の情勢の好転に、自信を深めているのかもしれない。党内世論は秋以降に移りつつある。政局からいえば、国会会期を延長してでも解散総選挙にもちこむことが上策だと筆者は思う。が、政権の応援団ではないので、声をあげることもない。ところで立憲の泉代表は野党が一致しないかぎり不信任案を提出してはならない、どこを向いているか分からない銃の引き金を自分でひくことはない。さいごまで、党再生の道を探るべきであろう。

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時事雑考「世襲議員は議会の華なのか?」

(5月連休のにぎわいを聞きホッとしている。さて、統一地方選挙前半・後半と5つの衆参補欠選挙の結果は、日本維新の会の一人勝ちということか。あるいは立憲民主党と日本共産党の連れ負けなのか、いよいよ党勢が鮮明になってきた。

 自民党は4勝1敗で、勝利のようだが内容は微妙である。だから解散を急ぐ空気が急速にひろまっているが、今からでさえ遅れたタイミングになると思う。

 キシダ政権との対立軸を鮮明にし、勢いにのる維新の選挙準備がととのわないうちに解散総選挙をという目論見がうまくいくはずがない。アベ時代とはちがううえに、姑息で華がない。

 春の賃金交渉では満額回答の花が咲きみだれ久しぶりのあかるい光景となったが、本命が中小、非正規、未組織であることに変わりはない。また、満額であっても実質賃下げも起こりうるので油断できない。さらに、年金生活者は生活切りさげにうめいているから、市井にうといキシダ政権の弱点があらわになると、総選挙どころではなくなる。好事魔多しといいたい。

 だから、自民党が飽きられているのは正しいが、それだけではないだろう。まあ、野党の選挙協力しだいではあるが、アベスガ時代とはちがう時代文脈に入ったと考えれば、かかげる政策もすこしづつ変えなければと思う。

 一方、立憲と共産は嫌われている。とくに、反省に名をかりた党内抗争はさらに支持を失うであろう。それよりも立憲は2020年9月の合流に無理があったところが反省点ではないか。中道層が維新にながれはじめている現実を直視しないと先の展望がなくなると思うが、むつかしいところであろう。振子の左への回帰をひたすら待つのか、あるいは世間は維新に袖にされたと見ているのだが。どうする立憲、である。

 野党は、維新基軸が確定ということであろう。松井代表が鮮やかに引退したのが良かった。試合巧者である。おそらく維新あての人材ファイルがキャビネットからあふれるほどになるだろう。しかし、さばききれるのか。いつになるのか分からない総選挙のその日まで、緊張の連続である。今回は漢字ひらがな比率を漢字方向にすこし移しました。)

◇ 世襲議員を「議会の華」といえば反発も大きいだろう。リトマス試験紙ではないが、この「議会の華」という表現に違和感をおぼえず、「そうかもしれない」と受けとめる人は世襲議員に寛容であるから、容認派といえる。おそらく、「議員として仕事をしてくれればいいではないか」とか「本人次第」と答えるであろう。たしかに、選挙で選ばれたことは事実であるから議員資格を問われることはない。

 他方で、「どこが華なのか」という声も多くあがると思われる。政界では話題になることが華である証だと冗談半分でいう向きもあるが、話題によるというべきで、たとえば将来の総理候補にランキングされることなどはさしたる根拠がないとしても、華である証明といえると思う。

 公正な選挙によって選ばれた国会議員が、国民の代表として国政に参画する。参画にあたっては皆平等であると、理屈ではそうなっている。しかし、七光りほどではないにしても、なにかしら「えこひいき」があるように感じるのがふつうの人の感覚だし、反発の原因もそこにあるのだろう。

 また、よく二世議員ともいわれるが、三世もいれば隔世もいる。国会議員でなくとも地方議員や首長の二世、三世もすくなくない。まあ、家系図に記載されているのであれば、そのように呼ばれるのであろうが、しかし個人の事情もあって、そう呼ばれることが嫌だという現役議員もすくなくないことも事実である。

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「労働運動と雇用問題(2)コペルニクス的転回が必要」

(2023年4月6日掲載分の続きである。コペルニクス的転回がひつようであると表題にくわえたが、本文での説明を欠いたままであった。天動説から地動説への転換のごとく、従来からの「労働市場の流動化は労働者にとって不利」といった天動説のような考え方から、これからは「労働者にとって有利である」とする地動説に転換してはどうかという提起である。もちろんいくつかの条件つきで、また人手不足が続くことが前提ではある。たぶん激論になるだろう。

 ところで、国会が後半戦に入ったが、まさか補選や地方選に気をとられて低調ということではないだろう。せめて、安全保障についての基本論議ぐらいは今国会で詰めておかないと、秋までに予想される総選挙がスカスカして盛りあがらないのではないかと心配している。以前から指摘しているように、キシダ政権には暴走嗜好(思考でも指向でもない)があって、無自覚にやっちまう可能性がある。だから、左派グループが体当たりでやらないと止められない、なにしろブレーキ系が弱いから、どこまでもいってしまう、と思う。

 その後は、なにがどうなっているのか分からないまま、おそらく政界再編になるのではないか。左派を支持する筆者ではないが、米中対立や防衛予算あるいは敵基地攻撃について、もっともっと議論をこなしておかないと、またこのままでは分断がひどくなるのではないかと心配である。賛成できなくとも、なぜそう考えるかについての議論をつくせば、糸が切れることはない。議論をごまかすから糸が切れるのである。

 ところで、用語法つまり言葉づかいだけの問題なのかしら。「捏造」の次が「サル・蛮族」で、どちらも無理して使うこともなかったのにと思っていたが、日本維新の会が立憲民主党にたいし国対共闘の凍結を匂わせているとの報道が見うけられるが、にわかには信じがたい。両党共闘に亀裂を生むほどの問題なのか、と思う。補選もあるし、なんとなく背後に複雑な思惑がありそうで、怪しくもある。それにしても、筆頭幹事解任は重いことである。

 さて、主要メディアの報道ぶりには隔世の感があり、思えば政権追及の激しさがずいぶんと鈍り、そのぶん野党が攻撃されている。

 そんななか、馳石川県知事が選挙公約であった定例記者会見を拒否していると、4月8日朝日新聞朝刊が社説を付して伝えている。その内容は(文中の同局とは石川テレビを指す)、「事の発端は、同局が昨年公開したドキュメンタリー映画『裸のムラ』だった。馳氏は、県職員らの映像が無断で使われており、肖像権の取り扱いに問題がある、と主張している。これに対し、石川テレビは『映画は報道の一環で、公共性、公益性にかんがみて、特段の許諾は必要ない』との立場で、1月から対立が続いていた。」(朝日新聞社説「石川県知事 会見拒否は許されない」2023年4月8日13版)というものである。双方の主張はさておき、石川テレビ社長が、知事が求めていた会見への出席を、欠席することを理由に、知事が定例会見を拒否するのはいただけないのであるが、ここで取りあげたのは弊欄での論点としている「報道機関がうけた影響」とのかかわりではなく、これこそが権力側の報道への圧力ともいえる具体例ではないかという理由からであり、自民党の「(報道の自由についての)規範がごう慢に傾いている」兆候ではないかということである。構文が複雑でもうしわけないが、警戒警報のつもりである。

 結局のところ、高市vs小西の発端となった放送法の「政治的公平性」にかかわる問題については、事実として報道機関に影響がおよんだのか、というもっとも重要な点については、いっこうに解明がすすんでいない。すすまないのはだれのせいなのかは後日のテーマとするが、この場では「やはり、およんだようだ」というのが筆者の心証である。「だからどうした」という声も聞こえてくるが、心証であるからどうもしないけれど、大げさにいえば、わが国のジャーナリズムが消えそうで心配だ、ということで、ともかく反権力の半鐘がじゃんじゃんと鳴るほどでなければ、この先が危うい。やかましいのも困るが、音無しいのはもっと困るのである。

例によって、文中の敬称は略すこともあり、です。)

13. 雇用各論Ⅰ 「給料で負けているから、商売で負けるのだ」

 良い悪いの仕分けをしているわけではない。歴史の結果としての現実をどう受けとめるかの議論であって、今では遠い過去のこととなったが、「世界有数の高賃金国」の賃上げのあり方について、もっといえばこれ以上高い賃金を支払うためには、雇用構造を海綿体にして雇用調整を頻繁にやるか、為替で調整するか、生産拠点を海外に移し総原価を下げるか、企業の公租公課を下げ、その代わりに国民負担率を上げるといった方法しかないということで、結局ほとんどの項目を実践した結果、30年かかったが「G7の低賃金国」を実現したといえる。 

 皮肉ながらも、高賃金国を解消するという目標を達成したことは見事であったといいたいが、非常に残念なことであった。また、今となればなんのために低賃金国にしたのかという疑問が残されたまま、目標だけが達成できたことをどう評価すればいいのか、と悩んでいる。

 とくに、リジットな雇用構造にたいし、まず不安定雇用層をつくり、そこで雇用と賃金とのトレードオフ関係を強めれば、やすやすと不安定な低賃金層を形成することができたということであろう。そのための扉をひらいたのが有期雇用であり、労働者派遣法の一般化であったといえる。さらに、雇用労働者のうち約4割が非正規労働ということになれば、国全体としての労働コストは大幅に削減できたということである。そうなれば雇用者所得が下方に引っぱられることから、労働の再生産あるいは個人消費が低迷するうえに、限られたパイのもとでの値下げ競争がデフレをさらに固定化していったと考えられる。つまり、みんなで作りあげたデフレ経済ということである、すくなくとも筆者にはそのように思えるのである。

 さらに、その旗振り役が改革派の政党であったり政治家であったり、あるいは著名企業の経営者であったりして、そのうえ口では「デフレからの脱却」とかいっているのだから、なにがなんだかよく分からないというのが正直なところであった。

 だから、「それなら、コスト削減をやめたらいいではないか」といいたかったのであるが、しかし世の中の向きは真逆で、デフレ対策のためにさらなるコスト削減に血道をあげたものだから、「みんなでつくろうデフレ経済」がますますひどくなり、筆者自身も見当識をうしなった気分に陥ってしまったのである。

 ただ給料をあげればすむことを、労働生産性向上の範囲でとか、付加価値生産の向上を伴うべきであるとか、なにやら呪文のように難しい話が飛びだしたのであった。

 そのくせ、個人消費拡大あるいは需要喚起策について真剣に悩んでいるというから、支離滅裂というか、むしろたいそうな喜劇ではないかと思ったものである。

 喜劇といえば、国をあげて力を入れているIT産業の育成でも、日米におけるIT技術者の給与水準を比較すれば、米国では地域差がかなりあるが、概ね10万から13万ドルで、専門職としてしっかり優遇されているといえよう。一方のわが国では専門職とみなされているのかさえ定かではない。なかなか統計数字が手に入りにくいのであるが、よくて5万ドル台であろう。為替レートで景色が変わるが、昨今の円安においては、米国のほぼ半分といったところであろうか。(冗談じゃない!)

 これでは競争に負けてあたりまえである。人件費が半分なら競争に有利だと宣(のたま)うようでは、ITの世界では永遠の敗者となるであろう。ずっと技術者虐待と揶揄されているような低劣な処遇で、世界を席捲する技術開発を期待する方がおかしい。そういった経営者の性根がわからないのであるが、冷静に考えればわが国には「管理」はあるが「経営」はないと思われる。一見賢そうで実は間抜けている経営者がわが国を貧しくしているのかもしれない。それに気がつかない政治家は20年以上にわたって小難しい作文を役人と一緒になってひねくり回しているが、うまくいかないのであろう。この際、政治家がいうべきことは、「給料で負けているから、商売で負けるのだ。まず給料で負けるな!」と叱咤することではないかしら。

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