遅牛早牛

時事雑考「政界三分の相、保守グループの巻」

「政界三分の相」とは

◇ 2022年1月時点で、わが国の政界は三グループに色分けできるのではないか。一つは自民党および公明党による保守グループであり、現在ここに政権がある。二つは、中道路線をいく日本維新の会と国民民主党の中道グループである。三つは、2021年10月の総選挙において政策協定を結んだ立憲民主党および日本共産党などによる左派グループである。ここでグループとしたのは、理念や政策あるいは政治手法において少なくない共通点をもっているだけではなく、何らかの「結合力」を有していると考えられるからで、具体的には第一の保守グループは連立し政権を担っている。

 また、第二の中道グループは昨年の総選挙の結果をみるかぎり追い風状況にあるが、中道路線の意義を有権者にアピールしながら支持の定着を図ることが先決であろう。当座の国会対策において共同歩調を模索しているようであるが、支持層としては対立よりも協調のほうが受け入れやすい。

 残る第三の左派グループは、立憲民主党の新代表の口から明快な路線表明がされていないので霧の中ではあるが、路線が大きく変わることはないと思われる。多少の流動性をふくむが、表現系はともかく実態としての選挙協力は変わらないと考えている。

 さらに、小政党や諸派の動きも注目すべきであるが、ここは概説なのでしばらくは触れないことにする。したがって、今回は現下の政界が三グループによる「三分の相」を呈しているという、人相ならぬ政相の話である。

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時事雑考「2021年暮れゆく年の瀬に、沸々たるもの少しあり」

◇ 今年もあと三日となりました。新型コロナウィルスに翻弄された一年でしたが、政界も総理交代と総選挙で大きく変わりました。また、延期されていたオリンピック・パラリンピック東京大会は無観客ベースで何とか形を整えましたが、課題山積だったといえます。オリンピックのブランド価値はまだまだ健在といえますが、国際オリンピック委員会にとっては自己革新が求められる時代になったといえます、、、、「自己革新が求められる」ということは「多分できないだろう」とみんなが思っているということです。

◇ 新型コロナウイルスはオミクロン型まで変異しました。この先どうなることかと心配されます。パンデミックは社会のストレステスト(過負荷試験)といえますが、テスト(試験)というより本番そのものです。来年も真摯に対応していかなければなりません。また、ストレステストは社会の患部を白日の下にさらしました。この二年間で思いもかけない多くの問題が明らかになりました。対策の強化が望まれるところですが、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ことにならないようにと願うばかりです。しかし、「多分忘れるだろう」とみんなが思っているでしょう。

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時事雑考「視界不良、立憲民主党のこれからと合流組の誤算」

立憲民主党の新代表は何を悩むべきか

◇ もう少し時間が必要ではないか、と思う。立憲民主党の新執行部は代表の泉健太氏をはじめ「新しい」人たちであるから、有権者としては待つことも大切だと思う。やはりというべきか、わが国の政治にとって野党の存在がきわめて重要であることはこの十年の経過からいって誰しもそう思っているのではないか。それに、急(せ)いても仕方がないので、ここは内心イライラしながらも見守るのが上策であると思う。

 さて、前代表の辞任表明からおよそ50日、新執行部は山積する難問を背負いながら再生の道筋を模索していると思われるが、前途は思いのほか険しく厳しい。さらに状況を難しくしているのが、選択肢が限定されていることであろう。この状況を将棋にたとえれば、打ちたい桝目にはすでに相手の駒が打たれているようなもので、とにかく打つ手が限られているのである。それに「再生」という桝目はない。

中道という沃地」を放棄した代償はあまりにも大きい

◇ そもそも10月の衆議院選挙で「中道という沃地」を放棄したことが大きな戦略ミスであったことから、議席減にとどまらないダメージを受けるという容易ならざる事態が生まれ、それがなお続いているのである。これを来年7月の参議院選挙までにどこまでリカバリーできるのか、難問というほかに言葉はない。

 普通に考えれば、新代表だからフリーハンドで臨めるはずで、そのための代表選挙ではなかったのかと党内世論が動きだしそうだが、現下の国会対応に紛れているためか、そうなるのかならないのか今はわからない状況にある。

 そこで、意地悪ないい方に聞こえるかもしれないが、前代表時代に行きづまっていたことを代表を変えたぐらいで解決できるはずがないのであって、問題は「選挙の結果」から生じてはいるが、その根っこは「選挙以前」から内在していたと思われる。であるなら、いずれ根っこの問題が顕在化し、展開次第では泉執行部の前途を阻むかもしれない。

 また、ベテランと呼ばれる立派な先生方が物陰で息をひそめているようで何かしら不気味であるが、見えないものは存在しないのだから新執行部は影におびえず突き進んでいくべきであろう。

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時事雑考「立憲民主党の再生なるか?遠ざかる二大政党制 (その1)」

◇ 苦境にたつ立憲民主党の新しい代表が11月30日には決まる。政党は公器であるからその動向には衆目が集まり、とくに代表選についてはその過程と結果は人々に何かしらの政治的感慨をもたらすものだが、残念ながら今はブルーな空気が漂っている。

 これではいけない。野党第一党の代表選が浮かない顔つきでは、わが国の政治そのものが危うくなる。そこで陳腐な表現ではあるが意義ある代表選を経て12月の臨時国会では新代表の鮮烈なデビューが見られることを期待しながら、余分なことではあるが「なぜこうなったのか」についての管見を述べながら新代表への祝辞としたい。

◇ 先ずは、「立憲」なのか「立民」なのか、あるいは「民主」なのかである。略称はたんなる記号ではあるがハッシュタグとして広範なコミュニケーションを支えるものである。だから、まとめたほうがよいと思う。

 そこで、憲法改正をめぐる今日までの経緯を考えれば「立憲」はあきらかに左派であることを宣言するもので、他方「立民」は中道左派を中心とする中道までの領域宣言であり、「民主」は中道右派をも包含する風呂敷のようなものであるが、反面「もふもふ」感が強すぎるのと実行力の欠如を連想させるところが弱点かもしれない。

 ここは「立憲民主党とは何者ぞ」と問われているのだから、自分たちが描く自我イメージと有権者がもっているイメージをできるだけ近似させる努力つまり修正が必要であると思うが、そういう議論が欠けているのではないか。

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時事雑考「すりかえられた争点―選挙のてん末と時代おくれ感」

◇ 衆議院選挙がつねに政権選択につながっていることはまちがいない。が、今回(10月31日)の選挙がどのていど政権選択の色あいをもっていたのかについては「ほど遠い」ものであったというのが偽らざる実感である。

 実態からいえば、日をおうごとに自公連立・岸田政権にたいする信任投票の意味あいがつよめられたといえる。つまり菅前総理の突然の総裁選への不出馬表明は経過としてはドラマチックではあったが、結果からいえば「争点はずし」を意図したもので、アベ・スガ政治への国民の評価から逃げたことは明白であった。

 しかしこのことから「やはりうしろめたいのかな」と憶測するのは甘いのかもしれない、権力集団の本能は権力保持に特化している現実をふまえれば、すべては選挙において有利か不利かの判断にもとづいている。だからこれに美学とか倫理観をぶつけてみても詮ないことである。ここで筆者が残念であると言葉を修飾してみても、モリカケサクラ問題も広島の買収事案の資金疑惑も感染症対策あるいはオリパラ東京大会もさっさと俎上から降ろされ、現実はできたての素うどん(岸田政権)のお味はいかかがですかと問われることになってしまったのである。まだ食べてもいないのに味はどうかと聞かれても答えようがないので争点どころか焦点まで定まらず、そこはボケた感じの選挙になってしまった。つまり「争点はずし」は成功したのである。

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時事雑考「芳野連合の賃上げと岸田総理の分配政策」

◇ 来年春の賃金交渉について、連合の芳野会長は10月21日にひらかれた中央委員会後の記者会見で、ベースアップ2%程度(定期昇給をふくめ4%程度)の賃上げをもとめる方針であるとのべた。

 これで9年連続のベースアップ要求となる。「新会長として来年春の賃金交渉をどのようにまとめられるのか手腕をとわれる」とおさだまりの記事が目にうかぶが、これは連合会長だけの問題ではない。むしろ政府と経営者にかせられた、日本経済のこれからの成長をどのように導くのかという国民にとってもきわめて重要なものといえる。予言的にいえばおそらく「ターニングポイントになる」であろう。いや「ターニングポイントにしなければならない」と思う。

◇ いまだに「春闘」と呼称されている春の賃金交渉については「曲がり角の春闘」あるいはたびたび「春闘終焉」と半世紀前からあれこれといわれてきた。とくに高度経済成長にのっかった賃上げが1975年をもっておわり、それいこうは経済情勢や産業事情あるいは政治情勢の影響をうけるなかで、なんとか賃金決定システムをいじするための労使のむつかしい調整がおこなわれてきたといえる。

 とくに1980年代にはいってから、わが国の賃金が世界でも最高水準にあるとの認識にたち、このままではいちじるしく国際競争力をかくことになるとの問題意識をたかめるなかで、日経連(当時)をちゅうしんとする経営者団体の賃上げとそれをもたらす春闘システムにたいする抵抗はつよまっていった。それから30年、経営者の要望どおりわが国は先進国のなかの低賃金国になった。

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時事雑考「たそがれる日本と錆びつく政治Ⅱ」

◇ 衆議院が解散(10月14日)されいよいよ総選挙がはじまる。各党の選挙公約もでそろい久しぶりの政権選択選挙である。その前哨戦のつもりかもしれないが、「文芸春秋11月号」に「このままでは国家財政は破綻する」と現職の財務省事務次官が投稿したからちょっとした騒動がおきている。内容はやや古典に類するがとくだん非難すべきものではなかろう。財務省としてはとうぜんの主張ではないか。だから経済同友会の櫻田謙悟代表幹事もはやばやと賛意を表したのだろう、賛同の声もおおい。

 しかしながら憤慨する方面もあるようだ。たとえば高市早苗自民党政調会長は「失礼ないい方だ。基礎的財政収支にこだわって本当にこまっている人を助けない。こんなばかげた話はない」と10日のNHK討論番組で反論したようである。まあ、失礼であるのかどうかはよくわからないが、こまっている人を助けないで財政収支だけを改善するべきとはだれもいっていないわけで、ここは高市政調会長の過剰反応ではないか。というのも基礎的財政収支の改善は反論のよちのない政策目標であるから、新政権がそれを尊重しないつもりならその理由をまず説明すべきである。

 いいかえれば、通貨主権をもつ国はいくら借金しても財政破綻することはないのだからいくらでも赤字国債を発行してもいいとの理屈(たとえば現代貨幣理論など)を採用するならそのことを一度しっかりと議論すべきである。それというのも国民は何十年も赤字国債はよろしくないから早晩ゼロにすべきであると信じているというか思いこんでいるわけで、そうではないというのであるなら、そう説明をすべきである。しかし国民のおおくは納得しないであろう。そんなうまい話があるはずがないという国民の反応はまともといえばまともである。

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時事雑考「岸田内閣発足から衆議院選挙へ-たそがれる日本と錆びつく政治Ⅰ」

◇ 9月30日弊欄の冒頭に政局コメントとして湯気がたっている岸田総裁誕生にかんたんに触れ「『ちょっとはかわる』のか『かえてもかわらない』のか注目したいと思う。」とむすんだ。

 筆者の手元でいえば、10月6日日経新聞はさっそく岸田内閣支持率を59%と、また朝日新聞は45%と報じた。いずれも4、5日の調査であり新内閣にたいする国民の第一印象をはかるうえでたいへん興味深いものである。他紙あるいは各通信社の調査もおなじ傾向で、歴代にくらべけっして高くはないところがミソであろう。

 この内閣支持率についての調査はたしかに変な調査ではある。とくに朝日の45%と日経の59%とではおおきな差があるのが不思議であるが、数字比較にはとりたてて意味はなさそうだ。が、調査ごとの傾向には民意といわれるものの気分がうかがえる。

◇ その気分の一つが、自民党中心政権でかまわないが、新内閣にあまり期待してもしかたがない。女性の党役員や閣僚あるいは当選回数の少ない若手の起用など工夫があるものの、それを生かしきれるのかぎもんである。

 二つが、党内刷新がふてっていというか旧弊温存で反省につながっていない。もうちょっと反省をかたちであらわせなかったのか、とくにモリカケサクラ問題の処理にはなっとくしていない。また国の借金による風船経済と格差拡大あるいは感染症対策へのぎもんなど政権へのふまんもおおく、くわえて党内疑似政権交代のわざとらしさや限界を感じている。

 三つが、期待がひくいのはパワーが感じられないからで、くわえて調査からははなれるが野望、野心、豪腕、狡猾といったワイルドかつネガティブな匂いがしない。ここはもとめる政治家像に微妙な変化がおこっているとも考えられる。 

 筆者の管見であるが「いい子ぶりっこの競演」はそろそろやめにしてたまには「ホンモノの政治家の凄みをみせろ」というニーズが底流にあるのではないか。たとえば、拉致と北方領土問題への失望は深く、なんともいえない脱力感がある。とくに右から自民党をささえた人たちにしてみれば思いは複雑であると思うが、このあたりはある人物を信用しすぎたのではないか。この問題の本質は「靖国へは参拝するだけ」、「憲法改正はいうだけ」という包装紙商法にあるのであって、支援するがわの眼力がとわれている。野党の非難をきいているとつい勘ちがいするのだが、自民党はだんじて右翼政党ではない。都合のいいときだけそんな顔つきになるだけである。まあそういった軟体性が強みであるのかもしれない。

 さいごは、いつものことで申しわけないが、自民党ほどにも変われない野党への不満である。朝日の調査では衆院選での投票先(比例)について、自民41%、立憲13%とそれぞれ-2、+2ポイントで前回とくらべてもあまりかわっていない。問題は立憲の数字でこの時期、この状況での数字としてはもの足りないかぎりである。せめてあと10ポイントは欲しい。選挙の結果はあるていど上のせされると思われるが、消去法で票がはいるのでは政権奪取はおぼつかないのではないか

 また、日経の調査では立憲が(選挙)協力すべき相手について、共産党とすべき6%、国民民主党とすべき25%、両方とすべき33%、両方とすべきでない20%、他はいえない、わからないとなっている。調査の詳細がわからないのでコメントはひかえるがいまの国民の気持ちをいえばそういうことであろう。

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考える-さまざまな疑問その5」

◇ もうすぐ2021年9月がおわる。猛暑にあって気候変動問題についていろいろと考えてきたがさほどの猛暑ではなかった。猛暑よりも台風14号の進路と降水量が気候変動らしかったと思う。それにしても文が長くなりすぎたし脈絡に靄がかかったようで反省している。

 さて、自民党総裁選挙がおわり岸田文雄氏が総裁になった。前回あるいは前々回に紅白試合とか歌舞伎演目とすこしばかり揶揄してみたが、公開での議論はめずらしいことからか関心がたかまり、わすれられていた政策をめぐる議論が生にえが多々あったもののそれなりに盛りあがったことは評価できる。この期間メディアジャックといわれるように自民党一色の報道になったがちかづく衆議院選挙を考えれば野党側も公開討論会などをやってもよかったのではないか。野党間の選挙協力がすすんでいるのであればなおさら積極的に取り組むべきであろう。

 もちろん政党間の公平性は担保されるべきではあるが、内閣総理大臣の選出に直結するものであったことから支持不支持にかかわらず注目されたのはとうぜんであろう。政治家はいったことには責任をもつべきであるから総裁選での討論内容をちゅうしんに野党もかっぱつな議論をしかけると思われる。しかし、まえのお二人が議論をしない、かみあわせない達人だったからひょっとして新総裁のふつうの対応がいかにも新鮮にうつるかもしれない。「ちょっとはかわる」のか「かえてもかわらない」のか注目したいと思う。

◇ 気候変動問題は《その5》に突入してしまった。いい残したと思いながらあれこれとおいかけているうちに同じことを繰りかえしているところもあって、また章だてでないこともあり全体像が不鮮明でわかりにくいと自身で思っている。

 たしかに各論の逐次展開ととつぜんの論理飛躍がからまっており良くいってエッセー的評論、普通にいえば年寄りのくりごとであろうか。

 とはいえ本テーマは人類の資格試験それも実技、実演がちゅうしんのとてもむつかしいもので、失敗すれば明日がないとまではいわないが悲惨な事態をまねくことはたしかであろう。脱炭素経済へえんかつに移行してほしいものだが、そのためには人びとの意識変革がひつようでありとくに自らの欲望の抑制あるいは制御がじゅうようとなる場面がふえてくると思われる。

 これからは化石燃料の使用抑制から禁止へときょうかされていくと思われる。こういった禁欲運動をベースにした脱炭素社会にはどうしても社会規範による補綴(ほてつ)がひつようではないかと考えながら、最終的には「炭素倫理」とでもいうべき強固なバインダーかいると思うが、まだ具体的なイメージがえられていない。

 さらに、地球規模での対応でなければ効果的でないことだけはたしかであるが、そうはいっても国家間、地域間の格差問題の解決でさえみとおせないのにそんな上等な芸当ができるのかしらと不安になる。くわえて国連や国際機関の出番であり活躍がきたいされているのだが、かぎられた資源の配分などという腕力のいる仕事をはたして彼ら彼女たちがこなすことができるだろうかと不安である。もちろん、いちばんの不安が再生可能エネルギーが化石燃料を完璧にリカバリーできるかであることはかわらない。

 気候変動問題についての論調はひきつづき悲観のパレード風であるが、なにもゴールまで悲観一色になるとは思っていない。はじめは悲観、最後は楽観がベストと考えている。楽観ではじめて悲観でくれるよりもいくらかましではないかと思う。

 (こんかいも漢字をへらし、かな多めにと思っていますが、20字もかながつづくときれめがわからないので適当に漢字をいれています。また名詞は漢字で、述語あるいは動詞はかなゆうせんとしました。やややりすぎ感があるので次回は修正を考えています。なお不徹底のかしょについては容赦ねがいます。)

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時事雑考「2021年猛暑に気候変動問題を考えるーさまざまな疑問その4」

◇ 9月16日秋分が迫る。今年も大雨が心配である。さて、自民党総裁選がかまびすしい。予想どおり総選挙に向けての紅白試合の様相を呈しはじめている。

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 「ぶっ壊したはずなのにご子息がおなじように語るぐらいの小芸では大向こうからの声はかからない。それにしても優柔不断と目されていた判官が意を決して館の魍魎退治を宣言したところまでは戯作としては平凡ながらも久しぶりの活劇かと一同総立ちになりかけたが、これぞ鬼の霍乱かな関白自ら魍魎に刃を突きつけたものだから魑魅が魍魎を討つなど前代未聞とばかりに床板を踏みならしての大ブーイングに関白こらえきれず扇子を落としたところで幕が下ろされた。いよいよの二幕が上がらぬうちから踊りでたのは河野乃守、振り上げた拳のおろし先を失い暫し自失の判官殿を横目にサッサッと関白跡目を名乗りでたから町衆の喝采のおおきからんことまさに近年比べるものぞなし。さて二の幕が上がりきったその舞台に気がつけばお市の方が高下駄佩剣の男装束にて野郎歌舞伎にあらず娘歌舞伎にもあらずと大剣を振りかざしての一舞いに賑やかし気分もあってかやんややんやの大声援ありいっときの思わぬ盛り上がりに当代役者番付も刷り直しかと世情の苦難を脇においての大騒ぎこそ尋常にあらず、これではさすがの昆濾那(ころな)も手出しができまいと喜びあったそのときに舞台袖に手をかけてしばらくしばらくと声を張りあげるも気づく客こそ少なからん。さように火を吹くがごとき熱気ではあるが小屋外は通る人影もまばらで秋影引きながら懐寂しく家路を急ぐ諸人は昆濾那退散をただ願うばかりなり...」といった歌舞伎演目に沸く永田町芝居小屋は月内活況を呈すであろう。

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 さて、「かえてもかわらない」政治法則を忘れてはならない。党内疑似政権交代がまやかしであったとの知見は国民的財産でなければならない。それを忘れ旧弊になびくのはメディアの商業主義に原因がある。前任への過酷な批判なくして真の交代とはいえない。つまりアベスガ政治の徹底的な反省なくして前進はないのである。という意味において目くらましでありまやかしではないか。

 「かえなければならない」のは政策であり制度であるのに表紙をかえてことをすまそうとするのは民主政治の堕落である。まして人気幻灯劇は厳に慎んでもらいたい。今のわが国はそんな場合ではないだろう、これは小学生でもそう思っている、つまり被害に遭っているのだ。

 手をあげた面々の浮かれた気分にこちらの気分が悪くなりそうで、感染症対策の緊密化を国民に要請しながらあたかも総選挙の予行演習をなすがごとき報道ぶりに「だれが協力するのでしょうか」と問いたい。

 それにしても今ごろアベノミクスの検証かと思いつつも批判あるいは検証のものさしを確認し確定させることは政党にとってきわめて重要であることから急がばまわれということもあるのでここはぐっとこらえて、立党は立論からではないかとつぶやきながら現下の政局については筆をおくことに。

 (今回も気候変動問題についてとくに需要面から雑考しています。引き続き漢字ややすくなめ、かな多めです。)

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