遅牛早牛

時事雑考「2024年6月の政局-自公維の賛成スクラムが呼びよせるものは」

1.珍しいドタバタ劇  政治資金規正法改正案、再々修正へ

 政治資金規正法の改正なくして、政治資金パーティー還流金の不記載(裏金)事件に端を発した政治改革の出口はない、というのが筆者の基本ラインであった。逆にいえば、適切な改正をおこなえば事態は収拾するということであり、適切なのかどうかは立場によって変わるものであるが、国会での議決において余裕のある多数派を形成することが当面の決着となるのであるから、自民党としては公明党はもちろん中道に位置する日本維新の会の賛同をえることが最重要かつ優先度の高いものであったということであろう。

 さて、どの程度の改正におさめるべきなのかについては、与党内の軋轢、野党間の駆けひき、世論の圧力などが複雑にからみあっているので、まさに湧水で鯉の切り身を洗うようなキリキリとした運びであったと思われる。

 そんな中、5月31日自民党から岸田氏の意向を反映した再修正案がしめされた。その主な内容は、パーティー券購入者名の公開基準額を27年1月から「5万円超」に引きさげる、また政策活動費の支出状況が分かるよう10年後に領収書を公開するというもので、岸田総理が公明党の山口代表、日本維新の会の馬場代表と個別に会談し、それぞれの要求を受けいれ合意に達したという。

 その結果、今国会で同法の改正案が成立する運びとなった。ようやく迷路から脱けでることができるという意味で、政権としては一安心と思われたが、ツッコミどころが多くのこされており、たとえば27年1月からという開始時期には遅すぎるという非難が噴出すると予想される。

 また、政策活動費の「領収書10年後公開」についても期間短縮の要求がでてくるであろう。一定期間後に公開できるということであれば7年、5年と短縮しても事務作業としては変らないということで、さまざまな議論がおこると思われる。

 そういった議論にくわえ、修正と引きかえに賛成にまわる公明党と日本維新の会にとって、それが党内で「納得できる内容」といえるのかなどと、あれこれ想像するのであるが、両党とも党内での議論が平穏にすすむとは思えない。まあ、参議院本会議で可決されるまではザワザワすると思われる。

 というのは、もうすこし厳しくてもよかったのではないかという相場観もあって、いわゆる「のりしろ」の幅が気にかかるという向きも少なくないのである。いいかえれば、100パーセント丸呑みというほどのものであったのかという疑問もあって、ウエストのゴムがゆるい感じを禁じることはできないのである。ということで、一部でささやかれていた自民党内の不満については徐々に鎮静化していくと思われる。

 と書き終わってから、政策活動費の開示基準を50万円超とする自民再修正案をめぐり維新の反発が急浮上し、6月4日の総理出席予定の委員会、衆本会議の日程が延期された。丸呑みといいながら小さな骨がひっかかった模様である。大小にかかわらず喉に刺されば大事であるからか、再々修正のうえ明日にも本会議で可決される見込みであると報道されている。(6月4日14時記)

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時事雑考「2024年6月の政局-政治資金規正法国会の出口」

1.政治資金規正法の改正が焦点なのに自民党案は遅すぎゆるすぎで失敗

 「早くやらないから劇症化しちまったじゃないか」と隠居が愚痴っている。「政治と金」で紛糾した場合は「早期発見、早期治療」が一番であるのにどうしたことか。自民党が迷走をつづけていることはまちがいない。政権与党が迷走というとんでもない事態をおこすことを予想できなかった。自民党がこんなにだらしがなかったという点で、筆者の予想もあまかったことはたしかで、少なからず反省している。

 当初から政治資金規正法の改正が避けられなかったのだから、肉を切らせる覚悟できびしい案をだすべきであった。だが、党内がまとまっていないというのか、あるいは指導力の欠如というべきか、ようするに時間がかかり過ぎたうえに改正内容が中途半端であったことから、野党やマスメディアからはしっかりコケにされてしまった。改正案のとりまとめに気をとられすぎて、党内の危機感を整えられなかったことが災いしたといえる。これはよくある組織的症状で、所属議員全員の連帯責任であると思う。

 改正案を与党でまとめられなかったのがすごく痛い

 とくに、友党である公明党との溝がうめられなかったことは問題処理において致命的であり、くわえて自民党内には司令機能が存在しないことの証明といえる。富士川の合戦以降の平氏に似ているといってもいいのではないか。

 にもかかわらず、「連立解消につながる」といった匿名のお気楽な発言がでたりして、それで公明党をけん制しているつもりなのが可笑しい、今の立場がまるで分かっていないのであろう。この段階で公明党の裏書がないのだから国会対策的には「とても恐ろしい事態」であることを党内で思い知るひつようがあるだろう。

 念のためにつけくわえれば、自民党は参議院では過半数にとどいていない、また衆議院では単独過半数ではあるが三分の二超ではない。

 ということは、衆議院での採決を強行突破しても参議院では否決されるであろうし、さらに衆議院へ返されたとしても憲法第59条の再議決(出席議員の2/3超)ができないので廃案となる可能性がきわめてたかい。つまり、衆議院で強行突破してみても出口はなく、かえって支持率が下がるであろうから、いずれにしても現状は「空拳かつ無力」といえる。

 いいかえれば、現在の自民党案については原形をとどめることはむつかしい。では、いわゆる「落としどころ」はどうなのかということであるが、最低でも他党と同等か、できれば世間をおどろかせるレベルの厳しさでまとめるということであろう。しかし、全野党相手の修正作業は困難であるから中道政党の主張をとりいれること(修正)が考えられるが、話にのってくれる野党がいるのか分からない。つまり確実性についてはなんともいいがたいのである。

 だからどう考えても、与党である公明党と連携すべきであろうが、同党には支援組織からの反発が大きいという事情があるのであろう、生半可な妥協では公明党自身の選挙がむつかしくなるリスクがあって、「同じ穴のムジナと見られたくない」ということであろう。「政治と金」問題に限定すれば連立状態にはない、離脱の可能性もゼロではない、ということは大再編時代の幕開けかもしれない。(どこかで折り合う可能性がないわけではないが)

 野党の多くは自民党の衆議院での強行突破を誘発し、参議院での頓死をねらっていると推測される。いずれにしても本件はすべて自民党の責任であり、政治改革に不熱心であるとの心証を有権者にうえつけ、政局わけても総選挙における優勢をかためたいということであろう。自民党に策がなければ事態はそうなると思われる。この窮地からのがれるには、世間がおどろくほどの厳しいものを自公で修正案としてまとめるしかないのではないか。あるいは、恥を忍んで立憲・国民案をまるのみしてみせるとか。というほどの火急の事態となっている。

 ところで、世間をおどろかせるほどの厳しい内容で、はたして議員活動が円滑にまわるのかについては、ここでは判断がつかない。しかし、そういったいいわけが通用する状況ではないというギリギリの判断をするのであれば、きびしい規制によって、今後の政党・議員活動については思いきった痩身化をはかるしかないといえるし、それは自民党議員にとっての苦難の道になると思われる。

 筆者は、理屈ではなく現実問題としてここはやるしかないと考えるが、自民党議員の多くは今なお「飛び火をうけた」ていどの感覚でいるだろうから、党として大決断にいたらないかもしれない。たしかに「裏金事件」でいえば身におぼえのない議員も多いことから気の毒な面もあるが、くどいようだが現実は問題の質と領域が大きく変化したということであり、そのことをリアルに受けとめられない自民党議員が多いということであろう。派閥解消とかはまずまずであったが、要の政治資金規正法の改正案を現場にまかせたのが傷を深く大きくしたと思われる。それでも、有権者の多くは身からでた錆だと思っているだけのことで、かなしいかな晩秋の深夜にふる雪のような寂しさを感じる。

 この苦難は野党においても似たようなものであろう。もちろん、程度の差があるとしても、党財政の苦しさは各党とも同じであるから、我慢くらべの度が過ぎて体調を崩すところがでてくるかもしれない。

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時事雑考「2024年5月の政局-4月補選は頂門の一針か、あるいはじり貧のはじまりか-」

【 3月の1人あたりの実質賃金が前年同月から2.5%減少した(厚生労働省毎月勤労統計5月9日発表)。名目賃金が0.6%増加したものの物価上昇率が3.1%であったために差引減となった。これで賃金が物価に負けている状態が24か月もつづいていることになる。来月からは春の賃上げの結果が反映されるので、いよいよ実質賃金が上向く見通しであるが、プラスに転じる時期については多数の専門家が秋ごろと予想している。しかし、中小規模企業の賃上げが低水準にとどまる可能性も高いことから、プラス転換は25年に持ちこすとの見方も浮上している。

 筆者はウクライナ紛争の長期化や中東情勢の悪化などから資源、物流コストが高止まりとなり、また円安の加速を考えれば、さらなる輸入物価の上昇が避けられず、くわえて価格転嫁の進展も予想されるので結果として3%台の消費者物価上昇がつづくと予想している。ということで、減税などの生活支援策をそうとう強化しないかぎり、年度内のプラス転換はむつかしいと考えている。ということは、賃上げが物価を追いこせている少数の家計と、物価についていけない多数の家計とに分断されると同時に両者の所得や生活の格差が拡大していくと思われる。ということで、低所得層においてはひきつづききびしい状況がつづき、否応なく生活の質をおとさざるをえなくなると思われる。追加の生活支援策が必要だと思うが。

 ところで、政治資金規正法の改正協議が急ピッチですすんでいる。会期内に仕上げるべきであろう。くわしいことはまだ分からないが、公職選挙法にならった連座制の導入には筆者は反対である。この連座制というのは現行法体系からしても異様なもので、そこまで法曹にたよらなければならないのかと嘆じている。そもそも有権者が投票で決着をつける道があるのにと思うし、選挙で当選した者に落選以上の罰をあたえることでどれほどの正義が達成されるというのか、大いに疑問であり、やりすぎになるとも思う。さらに投票の価値を不安定にする点においても主権者の権利の侵害ではないかとさえ思う。

 筆者は公選法の連座制も憲法とは不調和であると考えている。たしかに最高裁の判断はあるが、連座制の適用例をみながら考えさせられることも多いのである。人生をかけている政治家にとって過酷な仕組みであると思う。

 さて、政治資金収支報告書の記載不備あるいは判断の過誤さらに解釈のちがいなどが失職や公民権停止をもって贖わなければならないほどの罪であるのか判断が難しいと思うし、個々の事例にもよるが悪質性の抽出がむつかしいことをいえば現行と同じではないかとも思う。さらに一票を投じた有権者の付託はどうなるのかなどについて考えをめぐらせれば巡らせるほどに、不均衡がすぎるように思うのである。また、法廷で議員をどんどん辞めさせられる手だてをもうけることには慎重であるべきで、議員を委縮させることは民主政治の退行をまねくのではないかと危惧もする。あるいは政権側の武器となり、実質専制政治の道をひらくかもしれない。公開情報であるから詳細に記すれば記するほどAI分析の精度が向上することの意味する危険についても考慮すべきではないか、世界的に個々の議員への干渉が強まっているといわれているが、そういったことへの予防策も同時に考えてほしいものである。(例によって文中敬称略とする場合がある)】

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時事雑考「2024年4月の政局-裏金事件と日米首脳会談-②」

はじめに 世の中が連休の話題で盛りあがっている。しかし、そうでない人たちも多い。ところで4月の第3週に用事があって3日ほど箱根強羅に滞在した。予想通り国内外からの旅行者が多く、混雑の一歩手前であった。連休中は箱根も想像できないほどの人込みになるだろう。

 そうこうしているうちに、円安が進み、対ドルでの円の下落が止まらない。ドルをもつ旅行者にとってはウキウキする話であるが、円をもらって海外で暮らす人々には悲惨なことである。

 所得や資産において中位値以下の家計にとって為替で得することも損することも縁遠いことであろう。しかし、輸入物価の高騰は迷惑かぎりないことである。毎度の主張をくりかえすが、日銀は庶民の味方ではないことはたしかで、ときどき敵になる。さらに円安がすすめば物価目標(2%)が達成できて大手をふって利上げができると踏んでいるのであろうか。おそらく来年の高めの賃上げを期待しての金融緩和維持と思われる。

 ところで物価上昇をカバーしきれない家計がどのぐらいあるのかなどは日銀にとってはどうでもいいことかもしれない。だが、低所得者ほど物価上昇に痛めつけられるのだから、庶民にとって物価優先の日銀が敵であることは変わらないのである。(物価の番人が物価上昇を期待しているのだから困ったものである。)もちろん金融政策よりも政府の分配政策のほうが直接的ではるかに責任重大であり、最低でも物価目標の2%程度は制度としてカバーできるように政府も日銀も手をつくすべきだと正論ぶった主張をしておくが、世の中なぜかしら低所得者への目線はいつも冷たいのである。

 くわえて、現在のところ実質賃金の低下に歯止めがかかっていない。雇用労働者の50%程度は春の賃金改定の恩恵(これも考えてみれば変な表現だが)に浴すると思われるが、残念ながら残りの50%の人たちの賃金がどうなるかはまだまだ分からないのである。また、非労働力人口の中の未就業者(学生など)は物価上昇にはきわめて弱い立場にある。さらに非労働力人口の主力である高齢者は年金とたくわえで日々の暮らしをしのいでいる、つまり多くの家計のキャッシュフローは赤字で、貯蓄からの補填で穴埋めしているか、もしくは生活の質をおとしていると思われる。

 このように投資性貯蓄の恩恵にあずかれない家計の困窮度がたかまる中で、貧しさを加速しているのが高物価経済であるから、適切な分配政策を欠いた物価目標ははっきりいって貧困増殖政策の側面を有しているといえる。ということで、筆者は庶民の生活に無頓着な日銀を庶民の敵であると表現している。

 しかし、輪をかけて冷淡なのが自民党ではないかしら。単独過半数を制する政党として前述の問題に対しては関心が低すぎるということである。その気になれば立法できるのだから、まあ偏食しているのだろう。現在、裏金事件で評判が悪いが、それ以上に「弱いものの味方」でないと人びとが実感しはじめている。自民党の「おれたちの天下」感が横溢するようでは低所得者の生活がよくなることはなく、このことは過去30年間を直視すれば明らかであろう。格差拡大と深刻な貧困がわが国の現実である。このことを正面で受けとめなければ支持者が増えることにはならない。ということで第一党ではあるが限界政党というべきである。

 格差問題や貧困対策について、政府は行政的にも努力をしているようではあるが力不足で途中で投げだすのではないかと危惧している。そのぐらい根の深い問題なのである。ところで、自民党の支援者の多くが経営者(多くは小規模)であるのだが、後援組織をつうじて従業員への配分増を自民党が要請したという話は聞かない。つまり軸足は労働者におかれたいないのである。いい悪いではなく政治的立ち位置として自民党には限界があるのであって、新しい支援層に対する政策をつうじての開拓を怠っているといえる。地方の衰退が自民党の未来をかき消している。つまり政治的な投資対象ではないと思われはじめているのではないか。(ここが最重要なのある。)

 最近では政権交代派のほうが過半との報道もあるようだが、リベラル立憲民主党の偽善性が気になるとしても、このまま自公でいくのとリスク的には同程度と人びとが割りきれば次の総選挙では自民党は大敗し、連立政権の組みかえが必至となるであろう。(あるいは勢いで非自民政権が可能になるかもしれないがその場合の連立は混迷すると思う)そのぐらいわが国の貧困化が急速にすすんでいるのである。先進国の中の低賃金国であるわが国がさらに目に見えて貧困化しているのである。これを他国は喜劇とよぶであろう。といった状況を放置すると急進的政党がうまれ、その跳梁を阻止するためにさらなる急進政党がうまれるのではないか。こんな時に、政治改革論議をちまちまとやってどうするの、もっと大胆にやらないとアリ地獄からは抜けだせない。野党が腰を抜かすほどのことを提案しないとダメな情勢であるといえる。文中敬称略】

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時事雑考「2024年4月の政局-裏金事件と日米首脳会談-①」

【まえがき 新年度となる4月には新入社員と新入生が桜の花にむかえられる。むかえる桜木は'染井吉野'がほとんどで、これはエドヒガンとオオシマザクラの交雑によるものの中の一樹を始原とする栽培品種であり、生まれは江戸時代後期の染井村、現在でいえば豊島区駒込のあたりで、当時は大名屋敷の植栽を請け負う植木業がさかんな地域であった。接ぎ木による栽培なので同一地域での開花時期がそろうことから、また花弁がややおおきく開花期間もすこし長いなど、ことのほか豪華でいわゆる花見が成立する品種(クローン)であるといわれている。

 多様性の時代にあっても、愛でるサクラは均一性、斉一性の象徴ともいえる'染井吉野'のクローンであるのがなにやらおかしくもある。そのクローンにむかえられる新人に求められるのが個性と創造性であるから'染井吉野'とは逆方向にということであろうか。

 ともかく、整然と散っていくサクラ吹雪が好まれるが、なにも散りぎわまで揃えることもないのにと思う。そういえば、同年同月同日に生まれんことを得ずとも同年同月同日に死せん事を願わんと『三国志演義』では劉備、関羽、張飛の三人がぶちあげる桃園の誓いはとてもよくできていて見事なクライマックスシーンとなっている。話の筋でいえば結局そうはならなかったが、「共に散る」ことが同志愛の頂点といいたいのであろう。清く壮絶でありまたなまめかしさをふくんでいる。

 なまめかしいといえば有名な『同期の桜』の原詩といわれている『二輪の桜』(西条八十作詩、雑誌『少女倶楽部』昭和13年2月号掲載)は少女のつたない恋の歌であろうか。詩は表むき軍装である。妖艶さにはさらに日を要するというのに、あと数日もすれば散っていくのだから、熟することのない青いままの恋であろう。などと想像はつきない。

 ところで、わが国の労働界では連合結成時から会長と事務局長として名コンビと称された山岸章氏と山田精吾氏にも別れの時が1993年におとずれた。1989年から2期4年の激務を終え山田事務局長が退任することになったのである。この時点において山岸会長の3期目に対しいろいろな声があがっていた中で、「散る桜残る桜も散る桜」と連合本部の役職員をまえに己が心境を良寛の辞世の句に託した。良寛というよりも海軍航空隊のにおいを感じたが、本人は一年後の退任を予告したかったのであろう。その場に居あわせたなら、だれだってそう受けとめたと思う。名コンビといえども「共に散る」ことはむつかしい。いや、散りぎわこそ思うようにはいかないのが人生である。

 散りぎわこそ思うようにはいかないというべきなのだが、二階俊博氏の次回不出馬宣言はさすがに手際がいいと感じてしまう。突き落とされるのであれば自分で飛び降りるといわんばかりに「全責任は自分にある」と決した。評論は勝手であるが実践はむつかしい。筆者などは二階氏がいなくなった自民党あるいは与党がうまくまわるのか疑問に思っている。ほめているのではない、それほど彼我の価値観にはちがいがあるのだが、さりとて貶(けな)すこともないのである。

 かなり塩味のきいたところと脱藩議員(失礼!)を自派に受けいれるあたりが「あしながおじさん」風であり、さらに主要紙から花まるなどをもらっていないところが本物ぽいということである。などと評価をすると、おそらく立憲民主党や日本維新の会からは「てんご(悪ふざけ)いうな」といわれるであろう。

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「研究会の準備と現下の政局についての一言」

【今回は、時事雑考ではなく定例の「研究会」の企画をテーマとしている。「研究会」については前回が2021年2月掲載なので丸3年間の空白がつづいている。感染症へのおそれが足の運びを鈍らせていたわけであるが、くわえて筆者の引っ越しも影響している。ということで「研究会」の再開をねらっての提案である。】

【さて、すでに新年度が視野にはいっているというのに政治の場では「裏金事件」の尾が切れず、ずい分と難渋しているようである。その原因のひとつが鳴り物入りではじめた政倫審が生煮えで終わったことであろう。政倫審への期待感を高めたのはマスメディアなのであるが、これは商業性をもつ組織としてはしかたがないことであると思う。「政倫審なんて大したことにはならない」と斜にかまえ、いかにも訳知り風にあつかっていたのでは報道にはならない。太鼓をたたいて期待感を高めないと商売にはならないのである。

 しかし、そうであったとしても政倫審がビッグニュースを生む舞台ではないことは経験からいっても報道関係者は理解していたと思うのだが、結果は予想通りもの足りないものであった。だから、真相が明らかになると期待していた人びとは不満を募らせることになったが、そういった不満を追い風に「証人喚問」をせまっていくのが野党とそのシンパの目論見なのである。この罰則をともなう「証人喚問」の心理的圧力は相当なもので、虚偽発言であることの証明が困難であるとわかっていても、応答はたいへんなのであろう。汗だくだくの場なのである。ということで記憶にあるなしについては外からその真偽を確かめられないことから「記憶にありません」という答弁が多用されてきたということである。このさき「証人喚問」をやるにしても「記憶テスト」になる可能性がたかいと思われる。

 ということで真相解明という意味ではむだなように思われるが、疑わしい宙づり状態がつづくことが野党にとっては好都合なのであろう。くどいようであるが、検察と法廷以外の場で真相が暴かれることはめったにないのである。ただし、隠せばかくすほど、また白(しら)をきればきるほど、疑惑がふくらみ腐臭がひどくなるので、野党が真相解明と称しながらもろもろこだわるのは戦術としても意味があるからであろう。

 ここで、突きはなすようだが、知りたいことのほとんどはすでに明らかではないか。ただ、証拠がないだけで有権者の投票にあたっての判断材料としては十分だと思っている。もし証明できるのであれば検察はさらに多くを起訴していたであろう。国会は立法機関であって司法機関(裁判官弾劾を除き)ではない。権能においても不十分であるのだから、真相解明をてこに国会の時間資源を浪費してはならないと思う。とりわけ予算案は年度内に自然成立するのであるから、参議院での予算審議は貴重である。国会での質疑応答は予算執行にあたってのガイダンスの役割を負うことから細目もふくめ丁寧におこなうべきである

 また、3月17日には自民党大会が開催され「政治と金」への当面の対応がしめされている。さらに、不記載であった議員への処分も国会会期中には明らかにされるという。(それでは遅いことを多くの議員が理解しているので、党内的にも早められるであろう)それをまっての議論再会ということになるのではないか、と予想している。

 そこで、「どうせうやむやにするのだろう」という予断をもって酷評している向きも多いが、世の中そういう人々だけではなく実際のところ不十分な対応におわってほしいと期待している人たちがいることも事実であろう。一連の騒動には権力をめぐる政争という側面もあり、どうしてもドロドロとした策謀がうごめくことは止められないし、もっといえば内心では自民党にけじめをつけてほしくないという立場もあると思われる。とりわけ、自民党の支持者の間においても穏便な終息を期待する向きもあるのではないか。

 しかし、国民全体の視点でいえば、そういうことでは困るのである。国のかじ取りが難しい時であればこそ、政党が自らけじめをつけることで国民からの信頼をとりもどすことが一等重要であり、そのためには深甚なる反省がひつようなのである。もちろん政党に深甚なる反省などがありうるのかとも思うが、そういった反省過程を元からありえないと全否定したところで、政治の砂漠化を止めることはできないわけで、唯一手元に残っている投票という鞭を握りしめながらここは反省過程を厳しく見つめることに「被統治者である主権者」としては落ち着かざるをえないのでないかと思う。

 さて、今回の自民党の主題は「安倍派処分」と「長老引退(追放)」であると考えているのだが、野党においては岸田総理をさまざまな手で追及しているようにみえて、しかしじつのところは岸田さんに手を貸している面もあるように見うけられる。たとえば今回すすんで政倫審にのぞみ弁明したのは岸田文雄氏と西田昌司氏であったというあたりがなんとも象徴的ではないかと思う。つまり二人の発言の肝は「責任をとるべき者が居る」ことと、それは「小さくいえば自分もふくまれるが、大きくいえば自分はふくまれない」ということで、党内闘争宣言の趣きがあるように思われる。

 自民党内においては、派閥解消が30年来の宿題であったのだから、まだ半壊状態とはいえ筆者などは今回の暴走的決断を評価している。くらべるのは悪いと思うが、野党においても各党とも宿題をかかえているのだが、今のところ果敢に挑戦しているとは思えないのである。今回、派閥から金権を取りあげ政策集団化に成功すれば、残念ながら(?)またもや自民党が先頭にたつことになるであろう。ともかくもきびしい試練をうけたグループこそが鍛えられるということである。

 内閣支持率が歴史的な低水準にあることから、岸田政権がすこぶる脆弱であるかのようにうけとめられているが、しかし派閥が半壊状態にあるなかで、総理であり総裁である岸田氏が手にしている権限は、役職人事権、選挙公認権、資金配分権など絶大ともいえるもので、今でこそ十分発揮できていないのであるが、環境次第でさまがわりになると思われる。

 にもかかわらず脆弱というよりも虚弱と見られているのがふしぎではある。それは見かけというかスタイルの問題であって、やっていることを吟味するならば、狷介ではあるが結果において老獪でもあるといえるであろう。筆者が評した「暴走宰相」の面目躍如であって、世評でいわれるほどの低品質ではないと思っている。もちろん嫌われていることはまちがいないのであるが。

 つまり、プロセスこそ感心できないが(酷いと思うが)、やっていることはそこそこの内容であって、そういう成果の面に対してはほとんどの批判勢力が運といいたいのであろうが、3月段階での賃上げ率(連合集計5.28%)などは、政府は関係ないと大声をだしてみても結果は結果であって、すくなくとも政労使でタッグを組んでいることは事実であるし、連合もそれを否定していないではないか。運も実力のうちであろう。

 この点だけでいえば立憲民主党は損をしている。昨年の臨時国会では岸田総理が経済三唱、泉代表は賃上げをふくめ沢山三唱、玉木代表は賃上げ冒頭三唱となんか分かりやすかった。とはいえ2023年10月の段階でいえば、2024年春の賃上げが連合傘下では前年を上回ることはほぼ見えていたわけで、のこるのは円高などの急変時への対応が気になるといった程度であったと記憶している。賃金交渉に知悉していれば野党として「かっこいい立ち回り」もありえたのではないかと思っている。結局のところ、せっかくの賃上げ三唱のわりにはおくれをとっているのではないかとみられている分、損しているのではという意味である。こういった成果争いは非対称な関係であるから、単純な比較はアンフェアというべきであるが、連合が支持団体であることが、小企業、未組織、非正規からは縁遠いというか、非友好的な見方をされているように思われる。この分野では野党にも活躍の場があると思われる。

 また、国民生活とは直接関係しないといっても株価が4万円台を固めつつある。これも明るいことには違いない。さらに、TSMCの工場誘致で一地域とはいえ活性化している。ものづくり拠点を国内にとりもどすことは産業あるいは経済衰退への特効薬ではないか。くわえて国防を考えた時に、戦闘機は必需装備であることから英伊との共同開発は予算やメンテナンスだけを考えても有用であろう。不要なものはすぐ買えるが、ひつようなものはなかなか買えない、買うことができてもべらぼうに高いのである。高価な装備は継戦上の欠点である。戦闘機は不要であるというのであれば別の話と思うが。

 また、3月19日、日銀はマイナス金利をはじめ金融政策の見直しを決定し、正常化へ一歩を踏みだした。次は、小企業、未組織、非正規における賃上げであり最低賃金の引き上げであろう。連合もふくめ政労使スクラムの真価が問われる場面がきている。あわせて専任の総理補佐官の真価も問われるということであろう。

 すこし現政権をもちあげ過ぎのように思われるかもしれないが、仮に立憲民主党を中心にした連立政権ができたとして、たとえば先ほど記した項目について岸田政権とは違う方法でどれほどの成果がえられるのであろうか、また少子化対策において増税なしに有効な施策を打つことができるのであろうか。健康保険料というもっとも徴収しやすい、つまり不満がでにくい財源に着目するなど思わず「卑怯者!」とさけびたいが、5.28%もの賃上げによる保険料収入増が確実に発生するのであれば、連合として目くじらを立てるほどのことでもないと筆者などは安易に考えてしまうのである。近未来において立憲民主党などが政権を手にするのであればなおさらのことで、前政権のわだちを巧妙に活用してこそ、安倍政権のように長期政権が可能になるのである。大胆な現実路線を考える時期ではないかと思っている。

 最終的に雇用労働者の名目所得増がどのていど見込めるのかがまだ不明であるので生活支援策について断定的なことはいいがたいが、本年の6月には定額減税が実施されるので、おおむね6月7月の可処分所得は世帯あたり4万円(所得税3万円+住民税1万円を本人分と扶養親族人数分を税額控除)以上増えることになり、事務処理は複雑になるが生活面では中元手当などの一時金とあわせ砂漠のオアシス状態になると期待している。また、低所得者支援等も実施されている。これらは昨年の臨時国会で泉代表が提起したインフレ手当給付に相当するものといえるかもしれない。

 ところで、名目所得が増加すればとうぜん所得税等が増えることから税収が伸びることになり、今年中にもいわゆる課税最低限をあげることも可能であろう。少なくとも物価上昇分についての減税措置などは理屈がとおると思われる。また、春の賃上げから取り残される可能性の高い非課税世帯には直接給付を考えることになるのではないか。といったように、政権としてはいろいろなアイデアが浮かんでいると思われる。

 現時点では裏金事件もあって立憲民主党としては追い風的であるが、「安倍派処分」と「長老引退(追放)」の内容によっては人びとの政権への評価がかわる可能性もあると思われる。この点は用心しなければならないであろう。なにしろ相手は暴走宰相なので「まさかの一手」と野党のアイデアを臆面もなくとりこむのがお家芸であるから、油断は禁物ということである。

 そうなると野党は足元をすくわれるということで、与党の一角からだされた、年内のおそい時期の解散という異例の発信に驚いているが、まさか年末調整を視野にいれての発信であるのであれば、解散時期についての研究がそうとうすすんでいるということであろう。

 さらに、来月の訪米が支持率反転のきっかけとなるのか、これはだれにも分からないが、目先が裏金事件一色なので、逆に転機となるかもしれない。

 岸田氏にとって一擲乾坤を賭す解散総選挙はワンチャンスしかないのだから、おそらく必殺の構えであろう。だから侮ってはならない。前々回にも提起したように、立憲民主党は腰を低くしてすべてを譲歩してでも野党連携をすすめるべきであると思うが、あらためて薦める気はない。なぜなら、口先はともかく野党第一党指向が本心であるかぎり議員一人ひとりの当選戦略が優先されるので、最終的に選挙協力には期待できないということになる。

 ということで、泉代表も死にものぐるいの暴走宰相を正面でうけとめなければならない。それには単独ではとうてい無理である。合従策なしに勝機を迎えることはないとすべての人が考えていると思う。】

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時事雑考、「2024年3月 液状化に向かう日本政治と安全保障」

【2024年度予算の年度内成立が確定した。難航したがほぼ予定の着地といえる。民主主義は多数決ではないが、民主政治は多数決である。だから造反のないかぎり内閣提出法案は可決されるはずであるが、不祥事があると政治日程が不安定化する。今回は「裏金事件」が災いしたが国会日程への影響は軽微といえる。

 ところで、3月2日土曜日が休みにもかかわらず衆議院で予算審議がおこなわれたのは、与党側の要請を立憲民主党の首脳部が受けいれたからだと伝えられている。その理由は特別委員会の設置や政倫審の継続などの与党の譲歩がえられたことと、野党としてのまとまりを優先し日本維新の会や国民民主党の声を尊重したためということのようである。尊重なのか忖度なのかくわしいこは分からない。3月4日の月曜日でもよかったのではないかという声もあるが、それでは予算の自然成立日(参議院が、衆議院可決の予算をうけとった日から30日以内に議決をしなければ衆議院の議決を国会の議決とする)が4月2日となり、参議院の予算委員会の審議次第で年度はじめの処置が必要になる。現下の情勢を考えれば予算の年度内成立すなわち3月2日までの衆議院の可決に岸田総理としてつよくこだわらざるをえなかったということであろう。

 この点について3月4日の参議院予算委員会では、立憲民主党の議員がえらい剣幕で岸田総理にせまっていたが、のがした魚は大きいということであろう。つまり、参議院予算委員会を舞台にしたかけひきにおいて、さらに参議院の政倫審をふくめて野党優位の審議をおこなうという目論見であったということであろう。

 しかし、その目論見ははずれ参議院予算委員会としてはふつうに、できれば29日までに来年度予算案に対する参議院の意思を決定するひつようがあるので、攻守の立場が逆転というよりも元通りになったということであろう。

 予算の年度内自然成立が確定したことで、岸田政権は一息つけるわけであるが、引きつづきの政倫審もきな臭いようで、さらに順調そうに見えるが賃上げにも中小・非正規の壁があり、日銀の金融政策も袋小路のようで、課題山積といえる。とくに、実質経済成長のマイナス化が不気味で、いいのは株価だけという政治的には嫌味な空気である。

 さて、政治資金をめぐり関係議員一人ひとりの政治責任を追求する声は次の総選挙までつづくと思われる。安倍派なのかそれとも旧安倍派というべきかふと手がとまるが、安倍派の人たちがとくべつにグルーピングされるのは、天下無双の派閥として権勢をほしいままにしていたことが災いしているのであろう。世間では「盛者必衰の理」と受けとめていると思われる。そこで、グルーピングの通称として「裏金議員」というのは烙印がきつすぎるので賛成しかねる。(といっても、そうなるだろうが)また「還付議員」というのもあるが水漏れしそうで笑ってしまう。あるいは「簿外議員」というのもあるが、べつの意味あいが哀愁をよぶので止めたほうがいい。ともかく、世間のきびしい風を覚悟すべきだし、有権者には選挙で白黒をつける責任がある。これで投票率がさがるようでは有権者の負けということかもしれない。

 保守派用語である「禊(みそぎ)」をつぎの選挙でうけるという発想があるのは有権者を甘く見ているからだろう。禊は選挙の前にやれということで、選挙で禊をやる議員は落選ということではないか。

 あれこれいっても、まとまりの悪い野党にとって「裏金議員」追放の御旗をかかげられることは、政策の一致といった高いハードルを越えることなく、すり抜けられるという意味でホクホクであろう。野党連携の成功率が高くなるといえる。また低迷気味の立憲民主党がそれらの小選挙区で譲歩に徹すれば自民党を議席減に追いこめるかもしれない。

 そういった野党連携に道をひらく機会を与えないためには、選挙の前までに党内できびしい処分をくだすこと以外に手がないのではないか。起訴されなかったからといって罪がないということではない。また、単純なミスともいえない。派閥が指示をするという意図的組織的な不記載であり、法違反である。岸田総裁には処分という大仕事がのこされている。で、処分される人たちはどうするのか。処分の内容にもよるが、公認の可能性があるのであれば受けいれ反省することになるであろう。そうでなければ集団離党するか引退するか、それとも党内で反抗するかなどパターンはいろいろ考えられるが、不記載という違反をひっさげての反抗では先が見えている。想像以上に前途多難である。

 岸田総理の評価がわれている。それよりも、正直いって派閥解消が事態を複雑にすると思われる。つまり、自民党内の政局は派閥関係であったので分かりやすかった。しかし、派閥を解消すると今までの方程式がつかえないから、先が見えない。先が見えないと何ごとも決められないことになるのではないか。

 それと法案の取りまとめ、あるいは内閣提出法案の事前審査などの本来の議員任務がどうなるのかも重要である。立法府なんだから審議がおろそかになっては困る。全般的に法案審査の水準がさがっているようで、省庁への対応力もよわくなっていると心配する人もおおい。

 年度内成立が確定したなどと喜んでいるようであるが、その予算にしても112兆円をこえる膨満ハリボテ予算ではないか。財政規律や行政改革はどこにいったのか。借金でつじつまをあわせているだけで、後世へのつけまわしではないか。いつまでも続けられるとは思えない。今のままでは危うい、と思う。

 いまさらガラガラポンとはいわないが、せめて底にたまったドロドロだけでも何とかしなければ内憂の集積場になる。ということでやはり、「安倍派処分」と「長老追放」が岸田総裁の歴史にのこる大仕事であると思っている。

 あとは、日米同盟の新定義であるが、「是々非々」というのは「ノーといえる日本」であり「任怨分謗」とは「なにがあっても支えていくから」ということで、どちらを選ぶのか。分断症状の米国だからわが国の選択は値千金といえるのである。彼は危険と分かっているのに賭けてしまう、そんな政治家かもしれない。】

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時事雑考「2024年2月の政局-政治と金から賃上げへ-」

【この時期、酒蔵がひらかれ新酒がひろうされる。秋に収穫された新米が仕込みをへて35日ほどで酒になる。灘、西宮、伊丹と近隣の酒どころでは蔵びらきに酒好きが列をなす。その一人としてならんでいる。ならぶことが楽しい。30分ほどで番がきて、利き酒セットを紙製ホールダーにのせる、そしてたかだか50ccほどをゆっくりと口にふくんでいく。多く飲むことがかなわなくなって久しいが、陶然とあたたかい海にしずんでいく感覚にかわりはない。ということで2月の生産性は低下してしまうのである。

 ところで、昨年10‐12月期の経済成長率がマイナス0.1%となり年率換算では0.4%の減速となった、尋常ならざる驚愕の落ちこみである。良くないとは思っていたがまさかマイナスになるとはと多くの専門家も驚きを隠せない、とか気楽にいってんじゃね~よ(失礼)と毒づきたくもなる。そりゃ実質賃金が前年比で2.5%も減少しているのだから、個人消費が失速するのも当然のことであり、個人消費がふるわなければ経済はマイナス成長となるのは必然といえる。だから経済専門家は想定の範囲内であったというべきであった。

 ゆゆしき事態の原因は「物価にノックアウトされた賃金」すなわち昨年の賃上げが不足していたことにあるわけで、まさにこの国の経営者の多くがケチで予見力がないことの証左であるといえる。

 といいながら、岸田政権の責任はひとまず措くことにする。それは、なんでもかんでも政府の責任にして一件落着とするマスメディアや経済評論家の無為無能ぶりをまずは浮きぼりにしたいためであって、政権政党にたいする責任追求はこのさい有権者にまかせて、ここでは反政権を装いながら、本当のところは自分ではなにも考えてない「ブルシット・ジョブ」にいそしんでいる連中にたいして最大級の罵詈雑言でなじりたおしたいのである。

 ほんとうに賃上げ不足であった。昨年の賃上げ率が連合や経団連また政府調査においても近年まれにみる高さであったことは事実ではあるが、それで充分ではなかったのである。本当は秋の物価上昇を想定し9月にも賃金交渉を再組織すべきであったと思う。大手のためではなく未組織、小企業のためにである。

 神経質な筆者の気分の反映のようではあるが、経済運営において、この時期年率換算で0.4%もの落ち込みは致命的とさえ思うわけで、本文でもふれているが、2024年の賃上げでは実質賃金の落ち込みをどこまでリフトアップできるのかが焦点となるであろう。とくに連合傘下の労働組合が要求満額を確保できたとしても国全体としてみれば昨年の物価さえもリカバリーできない可能性のほうが高いことから「岸田賃上げ路線」は逆風にみまわれるのではないかとじつは心配しているのである。経団連と連合は当年度の物価状況を見ながら年央にも追加交渉にふみきることを考えるひつようがあるのではと思う。

 なぜなら4月には5000以上の品目の値上げが予定されている。2月は消費の底である。消費者の不安が最高潮になれば1-3月の成長率がさらに下振れするであろう。また中小組合への回答は5月が山で、未組織、小企業での賃上げは夏場の最低賃金と連関している。つまり8月の実質賃金の水準次第では半永久的に雇用者所得の回復が見込めないという氷河期にむかうような雰囲気になるのではということである。

 そういうことで、賃上げの確証もないのに「物価安定目標2%」をかかげてきた日銀の能天気な庶民窮乏化策に怒りをおぼえるのであるが、与党や霞が関からそういった声がでないのはどうしてなのか、と首をひねっている。さらに経済政策では役にたたなかったということで与党の存在価値も疑われる季節にはいるのではないか。ということで、今回は「裏金事件」にゆれる永田町と賃上げへの期待を中心にまとめた。】

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時事雑考「2024年の計-主要野党の対応(その3)支援団体の動き」

はじめに 昨日の1月26日国会がはじまった。150日間の会期である。「政治と金」については、自民党の政治刷新会議の方向性もふくめ分かりやすい議論を求めたい。とくに簿外金(裏金)の使途の解明については何のためにどのような議論をするのか、事前に与野党でしっかり詰めてもらいたいものである。そうしないと、この手の議論はややもすると乱打戦にながれやすく華々しいすれ違いに終わることが多かった。それでは国会資源のむだづかいだと思う。

 さらに、政治資金規制法の改正もひつようであろう。しかし、同法への連座制の導入については慎重に議論すべきである。よく公職選挙法の連座制が参考例として紹介されているが、そもそも二つの法律には性格の違いがあって、同列に論じるには無理があると思う。たとえば収支報告書への不記載・虚偽記載についての共謀が立証されない(できない)事案について、連座制で議員の責任を追及し、辞職に追いこむことによっていかなる正義が実現されるのであろうか。さらに、金額の多寡が起訴基準にあるようだが、金額だけで違反の悪質性についての判断ができるのかなど課題もある。何でもかんでも司直の手にゆだねる流れについては、検察国家をめざすのかという危惧さえ覚えるもので、そもそも政治に金がかかるという理屈の中に有権者とのかかわりや交流の存在が指摘されている。適正に処理されている事例のほうが多いわけで、一部の派閥や議員の不始末で全体に重荷をかすのは本末転倒ではないか、という声も強いことから全体の議論が迷走する可能性もあると思われる。今さらややこしい議論をするよりも、有権者が次回選挙で投票によって審判する方がはるかに合理的だというのが、筆者の意見である。

 ちなみに、公職選挙法の連座制は1925年普通選挙制の導入時から規定されていたが、いく度となく改正強化され、1994年(2回)の改正では「拡大連座制」ともよばれた。筆者としてはきわめてきびしいルールだと受けとめているが、選挙は民主政治の根幹であることからやむをえないと考えている。また、「おとり行為」や「寝返り行為」などの免責規定があるなど、なかなかにむつかしい規定で異論も多い。

 他方の政治資金規正法は資金の動きを開示させるいわば形式を求めるルールである。形式といいながらも重い刑罰が科せられているところに特徴がある。とくに公民権停止は政治生命にかかわるもので、かぎりなく重いといえる。公正な選挙で選ばれた議員の形式違反と選挙そのものへの不正行為に対する違反への処罰が、連座制という責任追及としては合憲違憲ギリギリの手法を同列にあつかっていいのかという論点において、大いに疑問が残るものである。

 まあ、権威主義国が好んで使いそうな手法であって、とくに選挙で選ばれているが気にいらない議員を辞職させるのに格好の手段になるのではないかと、未来小説的ではあるが気にしているところである。

 わが国が全体主義とははるかに遠いと安穏と構えているだけでは民主政治を守ることはむつかしい。190をこえる国連加盟国のうち全体主義とはいえないまでも選挙に公正さを欠いている国は想像以上に多い。また議員活動に国家権力が介入する国もさらに多い。抽象的な「民主主義の危機」が病症として具体化しているのが世界の現実なのである。厳罰化というのはもっはら司直にゆだねることでその恣意性についてのリスクを負うだけでなく、主権者の怠慢を助長することで民主政治の向上にはつながらないと思う。

 野党は選挙で決するべきである。政治の場に検察権力を多々導入することはけっしてためにならない、とくに野党にとってはそうではないか。連座制適用の主要事例をふりかえればまたちがった考えも浮かんでくると思うが。

 この国会は、とくべつのむつかしさを抱えている。表層的な問題も多いし重要である。さらに深層にも大きな課題がよこたわっている。とくに外交防衛でいえば、対米関係であろう。日本も小さくなったが、米国もしかりである。日本もふらついているが、米国もしかりである。本当に多極化を受けいれるのか。であれば、隣接国との関係を整理するひつようがあるかもしれない。台湾有事よりも半島有事少なくとも北からの挑発の可能性は高いと考えるべきではないかとも思う。

 それもあって世界は同時多発紛争の危機に直面するであろうし、地域と規模と程度によってわが国の対応も変わらざるをえなくなるであろう。危機に瀕すれば国民の選択肢は狭められる。国民は自粛するであろうが、それがあらたな政治危機を生むと予想される。

 ということで今回は、主要野党を対象にらくがき帳のように書いてみた。書けば書くほど労働団体の役割が浮上するのであるが、冷えた雑煮は雑煮ではないということなのか。あるいは16.3パーセントの限界のなせるものなのか。

 昨年、日米関係について「任怨分謗」か「是々非々」かと問題提起をしたが、筆者自身いまだに結論をえていない。

 さて、賃金交渉の季節となった。小企業での賃上げ、価格交渉が焦点であろう。この領域で成功すれば歴史的成功との賛辞をおくりたい。中小企業ではない、対象は小企業なのである。これがわが国の課題の筆頭であり、産業構造問題における核心である。この問題にかぎれば岸田政権を応援したくなるのだが、新しい資本主義の二の舞にならないことをせつに祈るばかりである。

 「裏金事件」は「簿外金事件」と表記を引用をのぞき変更した。おもな理由は「裏金」のニュアンスが多様であり、事実をこえて憎悪感情を生むおそれが強いと考えたからで、インパクトには欠けるが「簿外金」のほうが正確である。

 -コラムの構成については、(その1)(その2)(その3)となっているが、執筆が3週間程度で元のラフスケッチに順次肉付けをしている。したがって後にある文章のほうが新しいはずであるが、ラフスケッチでの構文を軸に書きこんだ場合はときおり前に書いたもののほうが、視点としては新しいことがあって奇異に感じられるかもしれない。作文法に由来するものなので理解願いたい。】

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時事雑考「2024年の計、主要野党の対応について(その2)緊迫する現下の動き」

はじめに 「岸田文雄首相は18日、自らが会長を務めていた自民党岸田派(宏池会)の解散を検討する意向を表明した。」(日経新聞電子版2024年1月18日19:29)暴走宰相の面目躍如であろうか。四囲の情勢から先手をうたざるをえなかった面があるにしても、局面を動かしたということであろう。もちろん党内に課題を残したものの対外的には先手を取ったことから1月29日の集中審議はすこしだけ楽になったといえる。それよりも、場合によっては年内解散それもわりと早い時期の可能性がにわかに上昇ということかもしれない。さらに、党内がこじれれば大再編にいたるかも。世界の動きをみればこの程度で驚くことはないと思う。

 前回は、非自民非共産のゾーニングで野党協力あるいは連立については、立憲民主党(立民)が主要政策でそうとうな譲歩をする以外に成功の道がないことをしつこく述べた。憲法改正反対、安保法制破棄、原発廃止にこだわらなければという条件について、さっそく関係者に声をかけてみると、そんなこだわりをもっているのは少数であるとの話であった。立民の多数がそうであるのにその方向に動かないということであれば、よほどの制動力がはたらいているのか、それとも休眠しているのか、あるいは表裏を使いわけているのか、本当のところは分からない。 

 動かないということは熱量不足ということかもしれない。制動しているのが支持者であれば政策変更は難しいのではないか。よく高山では気圧が低すぎて沸点がさがりコメが炊きあがらないという。似ていると思う。

 ところで、「ポスト岸田?」といった思わせぶりな記事がときどき顔をみせるが、いつの話なのか。また内容が「タラレバかもしれない」の大安売りで、筆者のものと大差がない。新しいようで実のところは陳腐なのである。】

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